母から叔母への命の手紙:1通目(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)一月三十一日)3

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  このシリーズは、母と叔母の掛け合いを書こうと思っていたのですが、叔母からいただいた母の手紙集の中には、とても言葉では言い表せない素晴らしい手紙が入っているのです。私の大叔母さんにあたる「前野のおばちゃん(と呼んでいました)」が入院している祖母に宛てた手紙まで入っています。もう祖母が亡くなる前なのかな? 小さい頃、前野のおばちゃと自分はどういう親戚関係なのかなあと思っていましたが、それも解明されそうです。そう、叔母(洋子)が送ってくれた手紙の束は、秋武の親族、友人関係を解き明かす宝物なんですね。こういう時には生成AIが役に立つのでしょう。しまった父から私に宛てた手紙をすてるんではなかった(父が亡くなった時に捨てた)。それにしても昔の方は達筆です。読むのに一苦労です。そして、通信手段がなかった時代です。手紙をたくさん書いています。叔母からいただいた束には一体何百通入っているのだろう。ライフワークが増えました笑笑。


 また、祖父(璋二)に宛てた友人のハガキまであります。昭和三十七年十月十日です。まだ葉書の切手が5円です。今は葉書が85円です。郵政事業はダメですね。サービスがどんどん落ちてくるのに値段だけ高くなります。

 今日は、その祖父に来た祖父の友人岸本さんからのて葉書です。なんと、裏が出光興産株式会社の日章丸です。昭和二十年代後半にイラン石油を輸入し、敗戦に打ちひしがれていた日本国民を感激のるつぼに巻き込んだ出光興産株式会社の人気はすごかったのです。

この写真の日章丸は三世号かな。昭和三十七年十月七日竣工です。この葉書の三日前です。

 当時は、世界最大のマンモスタンカーでした。真に働く姿を顕現し国家社会に示唆を与えることが土性骨がある明治生まれの昭和男たちにはできたんです。

 「拝啓お元気ですか。私も至って元気で国際港湾協会に勤めています。先日、台湾の港湾視察にまいり、一週間北は台北、南は高尾を回りました。

 本日、出光の世界一のタンカー日章丸が羽田沖に着岸。三笠宮ご夫婦はじめ多数の来賓が乗船しました。私も参り、副社長の出光計助君とも東筑時代の話をしました。貴兄の話も出光氏から出ました。お嬢さんは今でも出光に勤められていますか?まずは右のことを知らせます敬具」



 計助さんは出光佐三店主の末弟です。計助さんは、祖父 璋二の東筑高校時代の同窓生です。祖父と計助さんは大親友で、同時に上京し、同じ下宿でした。計助さんは東京高等商業学校(現 一橋大学)、祖父は早稲田でした。よく「計助の代わりになあ、東京高商に試験を受けに行ってやたんだ。あいつは、俺に頭が上がらないんだ」と言っていましたがその真偽やいかに笑。

 母は、祖父が計助さんに頼んで出光興産株式会社に入れてもらいました。計助さんに会いに行くと「秋武、すまんがこの部屋でちょっとまっていてくれ。用事が済んだらすぐくるから」と祖父に伝えました。すると、待っている間に計助さんの専務(当時)部屋のサイドボードにある一番いいウィスキーを一瓶まるまる、それもストレートであけて、飲み干してしまったそうです。計助さんは「秋武、相変わらずだなあ」と笑っていたどうですが、母は恥ずかしくてしかたがなかったとの後に私に話していました。

 祖父はお酒が大好きです。枕元に日本酒の一斗樽が置いてありました。朝の起き抜けに、一斗樽を開けて、一合升についで飲んでから、朝ごはんの席に「おはよう」と言いながらでました。当時の食卓は、親父がいないとご飯が始まりません。

 すると、祖父は、そのご飯にお酒をかけて「健、酒茶漬けだ〜」と言っていました。

 夕飯の時よい子にしていたら、夕飯が終わったら本屋さんに連れて行ってくれて本を買ってくれました。

 私は、小さい時はとてもおしゃべりだったみたいで、あるとき「男がぺらぺらしゃべるな!」とゲンコツをもらいました。私が大泣きすると母が「孫を殴るとは何事ね!」と祖父に食ってかかっていました。

 東京六大学が始まると、祖父はTVに釘付けです。もちろん応援は早稲田。その時、酒がなくなると、「健、すまんが、酒を買ってきてくれ。お前の好きな、おかきも買ってきていいから」と空の一升瓶を渡されます。当時は、まだ、量り売りの時代です。買ってくると、それを飲みながらまた六大学を見るのですが、渡されたお金のお釣りは、ぜ〜んぶもらえるんです!!! だからお酒を買いに行くのは大好きでした。今なら子供が買いに行くのはダメだけど爆笑。

 ある時、祖母と母でかけていて、祖父と祖父の友人が祖父の家で飲んでいました。私も子供一人でお留守番。すると酒がなくなりました。その日は酒屋さんが定休日。祖父が台所の下を漁っていると、「あったあった。飲むぞ!」と、一升瓶でコップに注ぎました。

 飲んだ途端「ぶー」と二人とも吐き出すではありませんか。そう、中身は灯油だったのです。昔はよく灯油もスタンドで量り売りをしていて一升瓶に入れていました。ガソリンや軽油はだめだけど。私は何が起きたのかわからなかったんです。

 祖母と母が帰ってきて大笑いです。酒飲みって昔から意地汚い笑。私もその血を引いているのかな。

 祖父と私は、性格がそっくりなんです。

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このページは、宝徳 健が2025年1月31日 07:59に書いたブログ記事です。

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