大和を救った琵琶湖の女神2(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)一月二十六日)2

| コメント(0) | トラックバック(0)
 (平成二十五年(2013年)三月二十八日掲載分)

大和を救った琵琶湖の女神②

 

 

戦後の過った自虐史観で、私たちは、史実までもが嘘としている社会に生きています。それを神功皇后(じんぐうこうごう):息長足姫(おきながたらしひめ)を通して検証していきましょう。

 古墳時代に我が國が朝鮮半島に軍勢を連れて渡ったことは史実です。

 日本書紀・古事記によると、仲哀天皇・神功皇后は、九州の熊襲征伐のために筑紫(福岡市)に滞在していました。神功皇后には神がかりなところがあり、半島にある新羅を征服するように仲哀天皇にすすめます。しかし、仲哀天皇はそれを無視しました。

 すると、仲哀天皇が急死しました。替わって神功皇后が海を渡り新羅を征服し、その後、新羅はヤマトに臣従するようになりました。

 古墳時代前期ですから、四世紀後半です。

  古墳の副葬品といえば、三角縁神獣鏡などの銅鏡が有名ですが、この頃を境に、副葬品の主流は鏡から武器へと替わります。この頃の我が國は内戦状態にはありませんでした。つまり、我が國に新たな武器は必要ありませんでした。そうです、半島側に我が國の武器を渡す必要があったのです。

 左派お得意の侵略論ですか(笑)?

 その頃、高句麗が大陸の方から朝鮮半島南部諸国を圧迫してきて、我が國に救援を求めてきたのです。


 これは高句麗の広開土王碑に明記されています。「391年以降倭が渡ってきて百済や新羅を破り臣下にした」と。

 神功皇后は、朝鮮出兵から帰ってきてすぐに、應神天皇を生みます。この應神天皇が、政権をヤマトから河内に移します。 つづく

万世に その一系を 受け継ぎて 千代に八千代に すめみまの國

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/9682

コメントする

カテゴリ

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2025年1月26日 11:27に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「アスリートのすごい快挙(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)一月二十六日)」です。

次のブログ記事は「どの本よりわかりやすいホワイトハッカー(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)一月二十六日)3」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。