私は、その中である茶器がとっても気に入りました。
茶道の心得があるわけではありません。高校時代は硬式テニス部でした。かなり、ハードな練習をしていました。その練習の途中で、ある部屋を窓から覗いたら、なんか変なことをやっています。「何だろうこれ?なんか飲んだり食べたりしているぞ。よし、いってやれ」と思って入りました。それが茶道との出会いです。「ようこそ茶道部へ」とみんな素敵な笑顔で出迎えてくれました。疲れた身体だったので、上品な和菓子がとても美味しかったのです。お薄(おうす)も私好みです。男性が釜でお薄を作っています。Uくんと言いました。それからとても彼とは仲が良かった。なよなよしていたので、時々からかいました。「このお釜(オカマ)はU君です」と言って。彼はいつもニコニコして聴いていました。
母に茶道部のことを話したら「よかったわね〜。自分のお小遣いの範囲内でいいから、きちんとお返しをしなさい」と言われました。言われたままに和菓子屋さんに言って事情を話すとその季節にあった素敵な和菓子を選んださいました。
人数より少し多く和菓子を持っていきました。持っていったときは、この前はいなかった茶道部の先生もいました。
「あなた茶道部にはいりなさい」
「いえ、それは無理です。テニス部の練習がありますから」
「では、この前はなぜ茶道部にきたの?(優しい笑顔で)」
「なんだかとても興味がわいたので」
「それが一期一会です。来られる時でいいから来なさい。私たちみんな大歓迎です」
「でも、私は茶道の素人です。茶道の作法など何も知りません」
「みんなにそのとき会いに来てくれればそれでいいのよ。みんな大歓迎です。それも一期一会です」。
茶道はなんて素敵なんだと感動しました。
「そうなんです。私はその後も時々出没する茶道部の幽霊部員だったのです笑」
深く茶道をおさめたわけではありませんが、それから私は大の茶道ファンになりました。和菓子と茶道の発展の歴史も知りました。大人になって、「あんどーなつ」という漫画に出逢いました。若い女の子の「安藤 奈津(あんどーなつ)さん」が両親を亡くしたのに、本当に素晴らしく浅草で生きる物語です。そして、あんどーなつは、大会社の会長と日本一のお茶の先生と出逢います。
なんと。ふたりは、若い時に結婚を約束した恋人同士だったのです。結婚を約束した二人には赤ちゃんができます。でも、両家の反対にあって別れ別れになってしまいました。その子も二人から引き離されてしまいました(二人はその後は別々の人生を歩んだ)。なんとその子が、あんどーなつのお母さんなのです。そう、二人は、あんどーなつの祖父母だったのです。この漫画素晴らしい。季節ごとの和菓子も紹介されています。ちなみに、あんどーなつが働く浅草の和菓子屋さんは、規模は小さいけれど、創業から260年の老舗です。
また、前置きが長い🥲。そんなこんなで私の茶道はど素人ですが、たまらなく好きです。そんなこんなを考えていたらその茶器が欲しくなりました。ある時、親父さんが機嫌がいい時を見計らって言いました。
「もう、忘れた」
「親父さん、この茶器は気に入っていらっしゃるんですか?」
「気に入らなければ、そこには置かん」
「そうだ、前から、親父さんに教わっていた言葉を今、思い出しました」
「なんだ、突然」
「『商売はお願いすることから始まるって』教えていただきましたよね」
「なんだいったい面倒だな。はっきりいえ」
「この茶器欲しいんです・・・」
「だめだ、その棚の中のものはな、人にやったことがないんだ」
「そうですよね。いや、親父さんが気に入っている茶器でお薄が飲みたいなとずっと思っていたものですから」
「お前も成長したな。人に物を頼むのが上手くなった。だけどダメだ」
「わかりました、ほとぼりが覚めたらまたいいます」
「ダメだ!!!!!」
もともといただけると思っていない私は親父さんとの会話を楽しんでいました。
すると、突然、親父さんが部屋から出ていきました。
「(怒らせたかな)」と思いましたが・・・。
親父さんが社長室に帰ってきました。手には新聞紙を持っています。その戸棚を開けてその新聞紙で、その茶器を乱暴に包みました。そして、
「ほれっ」と私に新聞紙にグチャグチャに包まれたその茶器を下さるではありませんか。「俺の言葉をおぼえていた褒美だ」
「あ・あ・あ・ありがとうござます。一生大切にします!!!」
とその日は持って帰りました。うれしくて仕方がありません。カバンの中には大切な茶器が。
なのに私は、その日飲みにいって、みんなに茶器を見せびらかしていたら、茶器を飲み屋さんに忘れてしまいました。「あっ、しまった」と思い、その店(結構高級な店)に電話しました。ありましたが、ママが「ああ、あれね。実はね私は茶道もかなりやっているの。あれはいい茶器だわ。どうせ飾るだけでしょ。あなたには勿体無いから、しばらく預かっておくね。使わしてもらうわ」。
時々ママに茶器が健在かどうか、元気でやっているかどうかを確認しに店にいきました。娘をお嫁に出した気分です。でも、その娘は、その後二度と帰ってこないのです。所在はわかっているのに、自分が所有できない。かなしい。大切にお茶会で使ってくれているみただからいいけど🥲
親父さんには言っていません。将来天国で逢えたら「カミングアウト」します。親父さんごめんなさい。私の一生の不覚です。いまだに胸が痛い。
まんが「あんどーなつ」でも、まだ、赤ちゃんを、無理矢理引き裂かれた時に、母(奈津の祖母のお茶の先生)は、車の中にいる赤ちゃん(奈津の母)の側にある茶器を置きます。それは5億円をくだらない、天下の名器で、日本一の茶道家に代々伝わる、祖母にとって最も大切な物です。今は、あんどーなつの手にあります。母から大切にするようにいつも言われていました。あんどーなつは、二人が自分の祖父母であること知りません。その茶器がそんなに素晴らしいものであることも。
亡くなった母の形見として奈津はいつも大切にその茶器でお茶を飲んでいます
飲み屋に茶器を忘れて、なおかつ、ママに取り上げられた。自分の失敗をごまかす悪いやつです。私は。
なっちゃん(奈津は浅草のみんなからそう呼ばれています)、ありがとう。勝手になっちゃんのことを使ってごめん。あなたの大ファンより。
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