宇佐美の親父さん24:伊勢湾台風①(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)一月二十五日)4

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 さて、親父さんが飛躍的に事業を拡充した伊勢湾台風についてです。決して認証制度亜ぢ震災の時のちんぴらのように儲けるだけ台風を活用したのではありません。それは、これまでの親父さんの記事を見てもお明かりいただけると思います。シリーズで書きます。

【伊勢湾台風】 総務省データです。

 1959年(昭和34年)9月26日夕刻に紀伊半島先端に上陸した台風15号(伊勢湾台風)によって、台風災害としては明治以降最多の死者・行方不明者数5,098名に及ぶ被害が生じた。
 この台風による犠牲者は全国32道府県に及んだが、その83%は高潮の発生によって愛知・三重の2県に集中した。これによって、その後の高潮対策が大きく進展したが、それに留まらず「災害対策基本法」制定の契機となるなど今日の我が国の防災対策の原点となった。

  •  伊勢湾台風によって伊勢湾奥部に既往最高潮位を1m近く上回る観測史上最大の3.55mの高潮が発生し、それが不十分な防災対策のまま市街化して来た日本最大のゼローメートル地帯に来襲した。加えて、大量の木材が貯木場に集積していたことやそこが高潮災害の危険地帯であることの自覚や警戒心の不足、さらに来襲が夜間であったことなどが加わり、災害が激甚化した。

  伊勢湾台風は、我が国観測史上最強・最大の上陸台風である室戸台風(1934年)に比べ、台風のエネルギーとしてはその半分程度でありながら、これを格段に上回る被害をもたらした。その原因は、未曾有の高潮の発生と臨海部低平地の堤防の決壊にあり、愛知・三重両県における建物の全壊・半壊・流失数の全国比は犠牲者数の全国比83%に近い73%に達していた。高潮氾濫によって人と建物の被害がほぼ同じ割合で増大し、この関係は地域や時代を問わず共通していることを示した。

【宝徳より】
 すごいでしょ。インフラが今と比べてはるかに劣っていたとはいえ、阪神淡路大震災並みの被害です。親父さんに聞いたのですが、台風の水が2か月以上ひかなかったそうです。

 小学生の時、伊勢湾台風や狩野川台風の話を聞いて「怖いなあ」と思うと同時に、「日本人は偉いなあ。また先輩たちはこんな台風の被害を乗り越えて、日本を復活させてくれたんだ〜」と思ったことを覚えています。当時のことはあまり覚えていません。被害の状況なんかは、生まれた次の年ですから、覚えているはずがありません。

 でも何年にもわたって、災害の復興を常に繰り返している日本人の在り方には敬意を表します。

 さあ、親父さんは、どのようにしてこの伊勢湾台風の逆風をプラスの変えていったのでしょうか。

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このページは、宝徳 健が2025年1月25日 09:21に書いたブログ記事です。

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