民を豊かで幸せするための導き
です。
戦国時代の寺は。博多の寺、滋賀県琵琶湖周辺の寺、奈良の寺、石山本願寺、比叡山等は、設けた金で地域の中央銀行としてその地域を牛耳っていました。では、なぜ、信長はそれらを攻めたのか。
戦国武将で「天下統一」の考えを持っていたのは、信長だけでした。他の戦国武将は、天下を統一するなど、その考えも持ちませんでした。なので、他の地域で誰が何をしようと放っておいたのです。
信長だけ(あまり戦はじょうずではなかったが)は「天下布武」を掲げましたから、その寺の存在が障害になります。また、放っておくと諸外国に攻められてしまます。日本の国を強くするためには当たり前の経済原則である「人・物・金・情報」の国の経営資源のサイクルを「大きく太く早く回す必要があったのです。なので、全体最適ではなく部分最適である寺は、かえって庶民を苦しめることをしているのです。数日前にこのブログに書いた「合成の誤謬」ですね。
天下統一に向かっている信長には、他の武将はそうみえました。まさに、
燕雀いずくんぞ鴻鵠の志をしらんや
(燕や雀のような小さな鳥はワシのような大きな鳥の気持ちなどわからない)
です。
信長のコンセプチュアルスキルに気づいた秀吉と家康は、天下を統一しました。
閑話休題。
繰り返し申し上げます。兵庫県って、県民の誰かを幸せにしていますか?政治は政治家の都合、行政は官僚の都合、企業は経営者の都合などなど。
もう一度言います。支那人は理想論だけ語っていますが、なかなか含蓄があります。
燕雀いずくんぞ鴻鵠の志をしらんや
おっと店の紹介だった。明日ね。
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