大和を救った琵琶湖の女神5(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)一月三十日)2

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  (平成二十五年四月七日掲載分)

竹生島(ちくぶじま)を説明してゐます。

 この島は、平安時代に国家に公認された「式内社」の都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ)と宝厳寺が鎮座します。神社に祭られてゐるのは、すべて女性です。

 さて、竹生島はどうやつてできたか。ある神話を紹介します。

 滋賀県と岐阜県の県境に伊吹山があります。私はこの山が大好きです。

  竹生島からも伊吹山はよく観えます。伊吹山は男神です。近くにある浅井岳は女神です。あるとき、伊吹山と浅井岳が背比べをしました。伊吹山は敗けてしまゐ ました。敗けて怒った伊吹山は、浅井岳の山頂を切り落としてしまゐました。切り落とされた山頂が琵琶湖に落ちて竹生島になりました。

 さて、息長氏の本拠地は米原氏です。今はあまり栄えてゐませんが、この地は立地的にとても重要な土地でした。そこを息長氏が抑えてゐたのです。

 ここには鏡などの出土品で知られる山津照神社などの息長古墳群があります。そして、神功皇后の父親の墓と言われているものは前方後円墳です。息長氏の勢力がみてとれます。

 ちょっと話はそれますが、古代に都を防備する関所が三つありました。不破関(美濃国)、鈴鹿関(伊勢国)、愛発関(越前国)です。その一つ不和の関が米原から東に行ったところにあります。

 米原は壬申の乱の激戦地でした。

 不破の関跡

 勝利者の天武天皇(大海人皇子)が設けた関です。


 話を戻します。日本武尊を裏切った息長氏がどうして娘を天皇の后として送り込んだか。つづく。

ひっそりと たたずむ関に つけられた 不破という字が 平和を求む 

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このページは、宝徳 健が2025年1月30日 06:38に書いたブログ記事です。

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