私の母は、最初、父と結婚するのが嫌で嫌でしょうがなかったそうです。叔母から聞きました。
伯父と父が大親友で、父は大親友の伯父(母の兄)と兄弟になりたかったみたいです。それで紹介されたようなのです。結婚と当初は(当時は仕方がなかったのですが)狭い市営住宅で、祖母、父、母、叔父(父の末弟まだ中学生だった)、姉、私、妹(後で生まれた)の7人家族だったのです。母と父は新婚の時から父と叔父とと一緒の部屋で過ごさざるを得なかったそうです。父の仕事の都合で大阪に住んだのですが、母は郷里の福岡県遠賀郡芦屋町に帰りたくて仕方がなかったみたいです。
それでも長い歳月を父と重ねていって、母も父をお互いに尊敬するようになりました。貧しい貧しい時代を経て。定年を過ぎてから父の収入も安定し、晩年は穏やかな人生を送っていました。母が平成七年に亡くなった時に通夜の席で父が私に言いました「健、何の欠点もなかったお母さんだったな」と。母の
遺品には着物のひとつありませんでした。お茶碗と湯呑みだけ。姉が父を怒りましたん。「着物のひとつも買ってやらんね!!」。と。当時はそんな時代ではなかったんです、当時の女性はそんな人間ではなかったんです。それが当たり前だったのです。それを知らずに昭和b昭和といういな!
物事には、一気呵成に進めていくときと、そのことを運用しながらコツコツと成果を収めていく時があります。たとえば、空爆や征服しかしない海外の軍隊は、征服した後の運用が下手というか稚拙すぎてしまいます。アメリカ然り、それん然り、欧州然り、各民族然り。
我が国は、他部族を征服をしたことがなく平定をして運用に力を入れてきました。なので、我國は
世界で唯一神話の世界から歴史が連続した人間社会の奇跡の国が実現したのです。
理想論しか掲げない支那の古典は言っていることは素晴らしいのですが、誰も実現しようとしません。実現しようとするとその人は殺されてしまう民度の低さがあるからです。
でも、書いていることは立派。貞観政要にも「創業は易く守成は難し」とあります。つまり、運用とは大変なことなのです。
M&Aも同じです。M&Aとは「Mergers(合併)and Acquisitions(買収)」と訳します。欧米の思想です。彼らは努力することが嫌いなので、企業を売り買いの対象にしか考えていません。我が国には「譲渡し」「譲受」という言葉が付加されます。つまり、大切にしますよという意味です。
運用が全てなんです。
大企業同士の合併では、吸収した方が吸収された方を叩き潰さないとうまく行かないケースが多いのです。エネオスがそうですね。第一勧銀(現みずほ銀行)は、それをやらなかったから、いまだにG出身だF出身だ等のたまっています。
でも、中小零細企業のM&Aはそうではありません。PMI(Pos-Merger Integration)の運営という出口戦略をもっとも大切にします。
さてさて、私のM&A物語を明日から書いてまいります。乞うご期待!!!
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