いま、スカンジナビア航空がどうなっているか存じ上げませんが、少なくとも、私みたいに長々とブログを書く人ではなかったようです🥲。
石油業界が、通算産業省に始まり、利権の中で、ぐだぐだの世の中という濁流の中でもがいていました。今、考えると酷い世界でした。
私も石油業界の失望しかけました。本を何冊も読みました。特に、佐三店主の「出光五十年史」「出光七十年史」や戦後の荒廃の中で我國をまた立ち上げようと命をかけた明治から昭和一桁の男たちの。
知りたかったのです。世の中の不合理を味わっていた方々が何をしたかというより、なぜ、しらけなかったかを。
そして、知りたかったのです。細かい社会の動きに一喜一憂するのではなく、世の中の大きな流れ(森羅万象)がどうなっているのかを。いまだにつかめていません。私は、これを掴めるまで、一生を終わることができない。
そうこうしているうちに、こんな石油業界で愛知県の宇佐美の親父さん(まだお会いしたことがない)、熊本県のBさん、大阪府のTさんなどの(まだまだいらしゃいますが)、素晴らしい人たちのことを知るようになりました。Bさん、Tさんのことについてはまたいずれ。
親父さんのことをいろいろと聴いていると、決して順風満帆な生き方ではありませんでした。
まず、親父さんは現金安の掛け高という油の売り方をはじめました。当たり前のことですよね。でも、他のガソリンスタンドは、現金高の掛け安です。かつて我が国には、マイカーを変える余裕が多くの国民にありませんでした。なので、掛け売りの法人かお金持ちがガソリンスタンドの主流でした。それが池田勇人総理大臣の所得倍増計画で、国民の所得が向上し、国民もあこがれのマイカーが持てるようになってきました。まだ、クレジットカードはそう発達していないので現金客です。
ところが現金客を安くすると、「それまで」主流だった掛け客が黙っていません。その頃、だいたい現金客vsかけ客では、掛け客の方が7円か/ℓら10円/ℓガソリンスタンドにとってはコストが高かったのに。なので、看板を出す現金客の価格を安くすると、掛け客まで、それに合わせろと言ってきます。ガソリンスタンドはそれではたまらないので、現金の看板価格を高くするか看板を出さない商売をします。寿司屋(当時は回転寿司はなかった)ではあるまいし、たかだか消耗品のガソリンスタンドでそんなことをするなんてあり得ませんよね。
でも、この業界は、私が、平成十年に大阪に赴任した時、兵庫県石油組合はまだやっていました。信じられません。こういうのを時代錯誤と言います。こういうのをパラダイムシフができない人たちと言います。
宇佐美の親父さんは、スタンドを作ってすぐに現金安の掛け高をやりました。至極当然です。それが商売人です。それをみんなが寄ってたかって(元売りである出光まで)、宇佐美に「安売り」というレッテルを貼ります。
私が宇佐美を担当した時に親父さんに言われました。「宝徳、当たり前のことをやっているのになぜ、この業界では非難されるんだ」と。
宇佐美の親父さんは、燃料油脂新聞のトップに、「通称産業省、元売り、石油組合、関有製品販売業者(ガソリンスタンド)さんへ」という痛烈な批判記事を載せます(この記事を欲しくて燃料油脂新聞の編集長クラスの人に頼んだのですが、燃料油脂新聞社には保存されていませんでした。なんたるアーカイブ)。普段は喧嘩を人に売る人ではありません。とても穏やかな優しい人です。でも、売られた喧嘩は買う人です。ものすごいレベルで、そして、人が考えもしないやり方で。
正常なやり方で販売を拡充させようとすると、レッテルを貼られる。そのくせ自分は何百万円も掛けてイベントばかりを行い、相変わらず現金高の掛け安をやる。
たった、こんなことでさえ、自らの改革でできなくなってしまった業界だったのです。情けなくてしかたがありませんでした。
一度、あるスタンドが市場から撤退する時に、近くにある宇佐美のスタンドに掛け客を紹介しようとして所長が訪問しました。価格リストを見せると宇佐美のガソリンスタンドの所長さんから「ああ、うちは掛け売りのお客様にこんなに安く売りませんから」と即座に断られ、這う這うのて体(ほうほうのてい)で帰ってきました。
まったく、安売りとは、どの口が入っているのか。宇佐美以外のスタンドです。
さあ、宇佐美の親父がトラックステーションを始めるきっかけになった、次から、伊勢湾台風という超大型台風の話をします。これでも業界は宇佐美を目の敵にしました。
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