トラックステーションの話は、宇佐美の親父さんの話と重複(ちょうふく)するので、このシリーズでは割愛します。直営店には、何もありません。窓を拭くタオルは使い回しです。洗濯機を中古屋さん(今のリサイクルショップのようなもの)で買ってきて、強力洗剤で洗って白くしました。私たちが実習を受けた直営店(私は広島、O君は門司だっけ笑)では、毎朝、ドライブウェイに洗剤を巻いてデッキブラシで声を大きく「一、二、一、ニ」と出して磨く、棒擦り(ぼうずり)というものをやっていました。この直営ではやっていません。また、棒擦りが終わると、二階の事務所の人がスタンドに降りてきます。全員でラジオ体操をしたあと、国旗掲揚です。半旗なんてやろうものならぶん殴られてしまいます。そのあとは、皇居遥拝と宗像大社遥拝です。そのあとスタンドで朝礼です。これらもやっていませんでした。これって道路の人みんなに観られているので、かなり、恥ずかしいのですが。慣れると「いいもんだな〜」って思います。大切なスタンドの朝の儀式です。
ということで、二階人たちのお力添えももらい、この朝の儀式をスタンドでやるようにしました。するとびっくりしたのは、スタンドの先輩たち(かなり年の差があります)が、率先して大きな声でやってくれるのです。そうなんです、職場に白けていただけで、自分たちも本当はやりたかったのです。
人間には
自然型
可燃型
不燃型
の三種類があります。自然型は自分で燃えられる人、可燃型は誰かに火をつけられると燃える人、不燃型はどんなにやっても燃えない人です。先輩方はみんな燃えたくても燃えられないでヤキモキしていた可燃型なんです。ある先輩から言われました。「いい人にきてもらった。仕事が楽しいよ」と。
昭和五十八年(1958年)八月にO君から「なんか楽しいイベントができないかなあ」と言われ一緒に考えました。O君は絵が上手いのです(私は図画工作は壊滅的に下手)。企画を作って二階の事務所の総務担当のHさんに稟議を上げました。たった二十万円の予算です。するとHさんから書類が帰ってきました。「不可」と。同時にHさんが二回から私たちの元に降りてきました。「お前ら、俺が却下したからってもう諦めるのではないだろうな。通るまで何度も何度も申請するんだ」と言いました。やった〜と思って、何回申請したかは忘れましたが、通してくれました。
当時の出光興産株式会社は、これが楽しいんです。私たち若者がやりたい仕事ぐらいだと、よほどプアーな提案でない限り、必ずやらせてくれます。それも成功しなければならないので、成功の確率が上がるプランになるまで、先輩たちがダメ出しをするんです。二階で仕事をするようになってからもそうでした。楽しかったなあ〜。
これが「働きがい改革」です。「働き方改革=働かない改革」ではありません。現に私は二階の事務所で仕事をするようになったとき、平均月間総労働時間は350時間以上でした。そのことに対して、何も不満はありませんでした。当時の出光興産株式会社は残業手当などありません。社員が放棄する形になっていました。
これもいなあ〜。と思いました。残業手当をもらうと仕事が会社の仕事になってしまいます。今やっているのは、社会に貢献するためにやっている自分の仕事を出光興産株式会社という場を借りてやっているんです。だから月350時間の(労働時間なんて言葉は大嫌いです)仕事の時間は楽しくて仕方がありませんでした。どんなに嫌な目にあっても。
そのイベントも大成功でした。3日ぐらいやったのですが、売上は通常日の3倍ぐらいになりました。
当時はスタンドでイベントをやるなんていう発想は他社系列も含めてありませんでした。誤解しないでください。その後スタンドで花盛りになる巨額の資金をかけたもの上げイベントではありません。
O君と二人で、スーパーにいったり、安売り店に行ったりして景品を見繕い、そして、きれいになったタオルと最高の元気で、最高の笑顔のおもてなしをして、進化した私たちのスタンドをお客様に観ていただきたかったのです。このイベントは関係ありませんが、さあ、ここで一つ業界の一つの課題が解決されます。DMを出したり新分広告に入れたりするには予算が足りません。なので、イベント前1週間はポスティングをしました。
昭和五十八年九月に各元売りが「無鉛ハイオク」を出したのです。それまでのハイオクは「オクタン価」というガソリンの不燃性を補うために、鉛が混入されていたのです。それが道路などに染み込むと四エチル鉛となって、体に害を及ぼします。信じられないですよね。そんなものを今売っていたら大変な環境問題になりますよね笑。土壌汚染でスタンドもM&Aができなくなります。
その市場調査で二階の事務所で仕事をするようになったのです。出張所というのは、本社や大きな支店にあるようい、「これはスタンドの燃料だから販売課」「これは潤滑油の仕事だから潤滑油課」「これは産業燃料の仕事だから燃料課」「これはガスの仕事だからガス課」「企画の仕事とスタンド建設の仕事は企画課」ではなく、すべて少ない人数の人間でやらなければなりません。これもとても面白かった。それに、この経験がその後の私の出光勤務にとても役に立ちました。「ああ、人事はこれを俺にさせたくてわざわざ新入社員を出張所に送り込んだのか」と、勝手うぬぼれていました笑笑。
ただし、思ったのは「なんで全石油元売がいっせいに売りに出すの?」でした。
次回、価格の話もしますが、この「一緒に」という仕事が好きな業界です。それと、販売店の店頭価格まで元売りが支持します。つまり、末端価格を元売が指示するから、卸価格を販売店が強力に押し込んでくる業界だったのです。丸善石油の酷い話も含めて。お楽しみに。
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