西宮市政百年⑨:佐々成政(皇紀二千六百八十五年 (令和七年一月二十二日)

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  私が西宮に来たのは、平成十年です。名古屋支店で出光興産株式会社から転勤を命じられ大阪支店販売一課長として赴任しました。住んだのは今のマンションとは違う社宅でした。甲子園八番町です。甲子園筋の阪神甲子園から南に200mぐらいのところにありました。

 

 まだ、あまり都市開発はされておらず、今のららぽーとがあるところは、阪神パークでした。フラミンゴやカミツキガメがいましした転入手続きは、西宮市役所鳴尾支所でやります。

 

 この支所すごいんです。大典記念の碑があるんです。つまり、第日本帝国憲法発布記念です。


 それと鳴尾小学校は日本一古い歴史があるとか(知らんけど)。森繁久彌さんも卒業されています。一面がいちご畑だったそうですが今はその面影はありません。鳴尾町になったのが明治二十二年(1889年)です教育勅語が明治二十三年ですからそれより古い。いちご狩りが始まったのが大正八年(1919年)です。すごい歴史ですね。

 

 鳴尾や甲子園近辺にはとても住みみやすい。学校が近い。大きな病院がいくつかあるのでクリニックもたくさんあります。医療の質も高い。そして、買い物がとても便利です。つまり、住みやすさ三種の神器が揃っています。

 

 私の息子など、小学校・中学校は歩いて3分。高校は歩いて5分です。

 

 それと、上鳴尾墓地には、なんと、鳴尾村初代領主 佐々成政の十三供養塔があります。すげ〜。知らなかった。佐々成政は、秀吉に運命を翻弄されました。でも、決して暗愚な武将ではありません。

 

 明日観に行こうっと。ねっ、鳴尾って素敵でしょ?私は、鳴尾と甲子園しか知らないから。だって、西宮っ広いんだも。

 

 あっ、一つ訂正。この前、太平洋と日本海の両方があるのは兵庫県しかないと書いrたら、読者からクレーム。山口県もでした。修正してお詫びします。申し訳ございませんでした、

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このページは、宝徳 健が2025年1月22日 08:30に書いたブログ記事です。

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