2025年2月アーカイブ

 昨日の讀賣新聞のトップ記事は「DDoS攻撃」でした。ディードス攻撃と読みます。大量のデータを送り付け、システムに障害を引き起こす攻撃です

 年末年始(それも12月26日から)に国内の航空会社(日本航空)や金融機関(三菱UF銀行、りそな銀行、みずほ銀行)など(NTT docomo)が狙われました。それも「絨毯爆撃型(企業内のサーバーやネットワーク機器を広範囲に攻撃する)。新聞記事はこの絨毯爆敵型が国内でこれほど大規模に行われるのは異例と言っています。これの対応するには「能動的サイバー防御」が必要だと言います。

 今回、被害にあった企業の多くはDDoS攻撃に備えて、警視庁や内閣サイバーセキキュリティセンターが推奨する「CND(コンテンツ配信サーバー)」を入れているそうです。大量のデータを送られても複数のサーバーで分散処理し特定のサーバーへの負荷を軽減するものです。

 でも、CND導入はとてもコストがかかるので、全部のサーバーには導入していません。このため導入している企業でもCDNで守られていないサーバーあたところです。なので導入していないサーバーで被害が起きました。海外サーバーのブラックハッカーはこれで自信を深めたでしょう。一定の効果があるのですから。今回は犯行声明がなかったので一種の実験のようです。

 この方法で中小零細企業や中小零細企業が活用しているクラウドなんかが攻められたら、中小零細企業はひとたまりもありません。さて、どうするか。解答はまだありません。

 クラウドがやられると言うことはAIや生成AIもおかしくなると言うことです。ITは、新しいシステムを開発するときに、セキュリティまで対策を打っていません、だから、ブラックハッカーはその仕組みさえ知ってしまえば、いくらでも攻撃でき、セキュリティは常に後追いになります。怖いですね〜。

 今、研究している医療のセキュリティが狙われたら、ほとんどの医療でDDoSの絨毯爆撃型なんて対策をしていないのですから、手術中や治療中の患者さんはどうするのでしょうか?
 この記事では、宇佐美の親父さんが非真面目な思想で開発したTCS(トラックステーション)について、私が親父さんから伺った話を書いています。今日のテーマはゆで卵です。



 親父さんの非真面目もきっと、常に試行錯誤とトライアンドエラーを繰り返したのでしょう。でも、一緒に宇佐美のTCSに行くたびに昔あった話を楽しそうに話してくれます。必ず思いとともに。

 ある日、一緒に巡回した日に、昔、ショップ内のテーブルに「ゆで卵を3個50円(当時)販売した話を聞きました。

親「どうだ、宝徳、それなら買う気になるだろう」
私「はい、でも、それって原価割れではないですか?」
親「全くお前はいつも何も考えん奴だ。真面目に考えるなと言ったろう。非真面目だ。馬鹿につける薬があったら100万円出してもお前につけてやる」

 また、これです。何回目だ。と、思ったけど、何回も言うというのは親父さんに言わせたら1万回だそうすから。うん、1万回聴こうと思いました。

親「一度に3個もゆで卵を食う奴がいるか? 多くの人が一個か二個、ゆで卵のカゴに返していくんだ。どうだ。これなら原価割れしないだろう。お客様に喜ばれて結果的に儲かるのがお客様のためになるんだ。安いなあ、って買って気分が良くなって、そして、結果的にもうかる。うんうん。宝徳なあ、商売は儲けよう儲けようとするな。儲けようとすると商売が小さくなるぞ。お客様のためになることをしていれば、お客様が自然と儲けさせてくれるんだ。覚えとけ」(このセリフも100回は聞きました)。

私「(すっげえ! これって二宮尊徳の『遠くを図る者は富み、近くを図る者は貧す』じゃん。口で言うの簡単だけど実践はこうするんだ」

 私に自慢すると親父さんの顔はたまにドヤ顔になるのが可愛いのです。

 そして、さらに思ったことはスループット会計とそれを実現するための制約条件の理論なのです。私の頭に入っていたことの実践版をいつも親父さんは現場で「魅せて」くれます。福澤諭吉先生のいう「実学」とは、こう言うことなのでしょう。上滑りの学問ではダメだ! ということですね。

が〜ん。

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 今、宇佐美の親父さんの記事を素晴らしく書き上げたのですが、ブログに嫌われて「そんな記事をお前は書いていない」と保存を拒否されました。ものすごくショックです。一回下書きで保存すればよかった。涙涙。折れた心を補修するために朝ごはんを食べて来ます。悲しい〜。
 母は、子供たちが勉強しなくても決して「勉強しなさい」とは言いません。私は、中学一年の時、とても乱れました。成績も落ちまし。高校一年生の時も3番で入った成績一年後とんでもないことになりました(これは事前に両親に断っておいたが流石にこれは許容範囲外)。母はたった一言「あなたはこんな成績を取る子じゃないのよ」。と、涙を一粒ながします。それ以外はいつもの明るい笑顔です。これをされては男として無視できません。中学の時と高校の時の成績は次の試験で一気に上げました笑。(知らんけど)。

 母は私たちに勉強を教えたことがあったかな・・・・・・。という感じです。最初に習ったのは「鉛筆の削り方」です。当時まだ電導はありませんでした。小さなマッチ箱のような鉛筆削り機の穴に鉛筆を入れて回せば削れます。でも、母は、これを許しませんでした。ナイフで一本一本削らせるのです。何回かやるとうまく削れるようになるのですが、勉強する前に鉛筆を削るので、なんか勿体無くて次からは勉強のあとに削るようにしました。

 次に辞書の引き方です。へーーーこんなにいっぱい言葉ってあるんだ。とか。同じ読み方でも違う感じがあるんだとかいっぱい色々なことを知りました。今では、スマホで検索しますが、スマホが出る前は辞書が大好きでした。私は、何ページぐらいにその言葉があるというのを覚えていました。

 次に手紙の書き方と推敲の仕方です。我々がSNSをやるような頻度で手紙を書いていたのではないかなあ。なので、こんなたくさん残っている。

 さて、今日は、まだ病気になる前の母です。昭和四十年一月一日。お正月に祖父(璋二)がきています。連盟でハガキを書いています。ハガキ代は五円です笑。私は小学校一年生。大阪府枚方市に住んでいた頃です。

 祖父が遊びに来ている時、祖父はいつもの習慣で朝からお酒を飲もうとしました。父が「申し訳ありませんが、子供たちがいるので朝から飲むのをやめていただけませんか?」と言ったら一日機嫌が悪かったみたいです。

 話は遡りますが、父と母が結婚したばかりのときに、母の実家に行きました。夕食の席で、祖父が「さあ、佳男君(父)、一杯やろう」と言いました。父は、「いえ、癖になりますから控えます」と言った父にソフト祖母は惚れたみたいです。まだ、昭和三十一年です。まだまだ敗戦の爪痕が消えていない時です。貧しかったのです。
  今日は、潤滑油の話をしましょう。民生用と工場用で潤滑は分かれます。工場用はとてもたくさん種類があるのですが、もし、緊急に必要となったときは、同じ種類ではなく、粘度で合わせていいきます。ただし、切削油と言って、ものを切る時にかける潤滑油別です。出光は当時から潤滑油シェアが日本一でした。潤滑油にはとことんこだわっていました。新入社員時五月の連休のことです。確かあのときは五連休だったと思います。年配の社員の方が「五月も連休はすまんが全部開けてくれ。その代わりうちの母ちゃん飯を家でご馳走するら」と言いました。出光の社員は家族同士や妻帯者と独身がとて仲がいいのです。出光にはかつて、家族会という佐三店主が続けてきた文化があります。各支店出張所で家族は全員きます。社員はもちろん、独身寮、女の子、お客様、業者の方が年に一度集まって、美味しいものを外で食べる会です。なので、本社や支店出張所にいる人で知らない人はいないのです。これは、次に、「うちに遊びに来いよ」がありますし、仕事でどんなに遅くなって、奥様が社員全員を知っているという安心感につながっていました。集合社宅があるところは、奥様方がそれはそれは仲良くなって、私たち男どもに対する圧力団体になります笑。転勤が多いから仕方がないんですよね。私は、一つのところに長く勤務した方ですが、それでも、19年間で5か所(研修を含めたら6か所)を渡り歩きました。

  あと潤滑油は、船舶と原発用いるタービンオイルとか、みかんの葉にダニ(ミカンハダニ)がつかないようにする潤滑油とか、水道屋さんがパイ部を切る時に使う、パイプカットとかがあります。あっ、飛行機に使う潤滑油もあります。

 また、みんなが転勤になると引越しの手伝いに言っていました。とても楽しい会社でした。変な売り方以外は。

 郡山出張所を二年で転勤になり、千葉支店に行きました。その時の嫌な思い出です。

 ガソリンスタンドで売るエンジンオイルをBFC(当時、ベスト(一番いいオイル)、ファースト(2番目)、クレスト(普通))と言いました。ブランド名はアポロ。ギリシャ神話アポロンです。ちなみに工業用オイルはダフニーです。ギリシャ神話では、アポロンとダフネです。又、前置きが長くなるから一番後に書きますね。

 そのBFCのキャンペーンを昨日書いた無鉛ハイオクと同じようなキャンペーンを本社が行うのです。どの部署も恥ずかしい成績は残せません。何をやったと思います?
 今日から二十四節気は「立春」です。新しい春です。暦としては今日からが一年です。

 そして、七十二候は、立春 初候 東風解凍です。「はるかぜこおりをとく」と読みます。

 まだまだ寒いですが、春を感じるあたたかな風が東の方から吹いて、湖や川の氷を溶かしていくころです。東風とは春風のことです。

 東風というと菅原道真公の和歌を思い出します。

東風(こち)ふかば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春なわすれそ

 これを「におい」としたり「春をわするな」としたりするバカな日教組の教育がありますが、そうしてしまうと、せっかく道真公が詠まれた歌が、道真公の歌ではありません。日教組は余計なことをするな。

 子供達の脳は知的好奇心に溢れています。すぐにものを覚えます。漢字も和歌も。子供達にわかりやすいようにという日教組の「小さな親切 大きなお世話」は世の中にいらない。共産主義左翼リベラルはすぐに「小さな親切 大きなお世話」をします。一瞬耳に心地よいので国民も騙されます。


 道真公は、拷問の刑で人殺しばかりやっている支那に呆れて「支那からはもう学ぶことはない」と、遣唐使を廃止しました。日本は、支那と離れている時ほど、幸せになります。みごとな平安文化が咲き誇りました。千年以上も前に、女性が詩や小説を書いています。欧米や支那でこんなことをやったら、その女性は即座に拷問で殺されます。道真公は我國を救われました。

 政治家も少しは正しい歴史を学べよ、思い込みのイデオロギーではなく。

 さて、立春の和菓子は?
  覚えていなかったけど、私って「基本情報技術者」の資格を持っているんですね。そう言えば、出光興産株式会社 大阪支店販売一課長の時に他課の3人の女子社員から「課長も一緒に受けませんか?」と誘われて受けた記憶があります。3人共美人だったからOKしたのかな笑。その時合格したのですね。思い出しました。当時の出光興産は経営が厳しくて、この3人の美女軍団が入っていた英会話クラブが廃止になりそうになりました。また3人がきました「課長、なんとかしてください」って。まあ英会話クラブの費用なんて、支店長・副支店長以下私たち役職者が少し交際費をがまんするだけで出ます笑。「何でもかんでも削減すればいいのではないだろう」と思って、「よし、先輩たち(冗談)、俺も英会話クラブに入れてくれ。俺が入っているんなら廃止できんだろう」と言って、楽しく英会話をしました(学生時代はないとかなったけどもうすっかりしゃべられなくなっていましたが笑)。職場って思い出創りですよね。それも「働きがい改革」の一つです。働き方改革=働かない改革とは違います。

  だって、役職者にとって一番嬉しいのは、部下たちの楽しい笑顔ですものね。楽」と「楽しい」は違います。私は高校時代インターハイを目指してテニスをしていたときには、「どんなに苦しくても試合で負ける悲しさに比べたらましだ」と思って練習を重ねていました。そう不合理不都合不条理鬱陶しさという苦しさを乗り切った後が「楽しい」のです。乗り切った人のみに与えられるお天道様のご褒美です。

 苦しくないところにあるのは「楽」です。働かない改革です。楽な仕事なんかあるか!!!


 それと、昨日、国家資格「情報処理安全確保支援士」のセミナーをリモートで受けました。まず、これに通ればホワイトハッカーの道が開けますね。取った後のIPA(独立行政法人情報処理推進機構)のサポートも手厚いし、仕事をするにあたっての情報もどんどん流してくれるようです。


CEH(Certified Ethical Hacker:エシカルハッカーであることを証明できる国際資格)
CISSP(世界では注目度トップクラスである資格)

 などは、この情報処理安全確保支援士を取って経験を積んでからチャレンジすればいい。

 今は、「応用情報処理技術者」で情報処置のインプットの基礎力を構築し、「情報安全確保支援士」でアウトプットのホワイトハッカー能力を構築していきます。

 みなさんに宣言はしてみたものの、どうやった取ればいいんだと思っていましたが、これで道筋がはっきり見えました。70歳までに取ります。世の中の情勢は私に75歳までに取ると言った猶予を私に与えてくれない情勢になってきました。

 また、3省2ガイドラインというものがあります。厚生労働省、総務省、経済産業省の3省が定めた2つの医療情報システムを安全に管理するための2つのガイドラインです。つまり、情報システムの「運用管理」に関するガイドラインです。いつも官僚の悪口をこのブログで言っていますが、こういうのを作らせたら日本の官僚はピカイチですね。怖いのは、官僚がこの運用を管理しようとすることです。

 さあ、ホワイトハッカーの道筋が見えてきました。私の20年超に渡るコンサル経験、プロファイリング能力に加えて、これまでやった医療機関のコンサルをまとめ直し治験を深める。そして、このガイドラインで医療現場の運用を深め、情報セキュリティ能力と高める。

 私の医療スーパーコンサルのあり方です。もちろん他業種もこれまでやった50社以上のコンサル治験をまとめなおします。

 この歳になって、こんな世界が待っているなんて。感謝合掌。今は、すこし身体を痛めていますが、これは天が今のうちにその治験を高めろと言っています。

 すみません。昨日からの続きは、又明日から描きます。
 私のド下手な図で今日も親父さんの非真面目を解説します。


 ある時、あるTCSで、親父さんが突然私に言いました。

 「宝徳、所長に言ってな、ロップもらってこい」

「???? ロップて何ですか???」

「お前は大学を出てロップも知らんのか!!!」

「う〜ん、あっ、ロープですね」

「知っているんなら最初から聞くな」

どんな会話やねん。何をするんだろうと思いながら、借りてきました。

所長も心配でついてきました。




  このなかで紹介する母からの手紙は、順不同になります。あまりにも数が多いので。今日の手紙は(平成六年(1994年)四月十七日です。母が亡くなるのが、平成七年(1995年)七月十日ですから、もう余命一年ちょっとです。胸が締め付けられます。

 私たちには極力弱音をいないようにしていましたが叔母(洋子)にはこの手紙の中で言っています。平成七年に意識がなくなってICUに入りました。その前に妹(幸)と二人で病院に見舞いに行きました。行ったら、一般病棟のベッドの上で、量ってを持ち上げてブルブルと震えています。

 「どうした!」と私がいくと、もう苦しそうで苦しそうでたまらない顔をしています。それでも、手招きします。「忙しいのにいつも見舞いに来させてごめんね」と。いつも自分より人のことです。医者に聞いたら「この方法だとよくなると思います。」と言いました。私は言いました「では、なぜ、それをやらないんですか」。医者「御家族に聞いてからと思って」・・・・・・。では、「私が行かなかったらずっとその治療はやらないのか」?と聞きました。胸ぐらをつかみぶん殴ることを必死で抑えながら。

 すぐに集中治療室に入りました。父と交代でICUの前の廊下のソファーに泊まり込みました。親父が泊っているときに亡くなりました。「すまん」と電話が入りました。「俺が泊まりの晩でよかった」と言いました。後日の葬儀では「秋武の義父・義母には実の息子のように可愛がっていただきました。今回は、とんでもないことをしでかしました。すみません」と母の死を悼んでいました。

 病気がありましたが、弱っていた足骨が折れて入院しました。外科に入院したのに、内科で死ぬか。霊安室に担当医は来ませんでした。「解剖してもいいですか?」との伝達だけをして。即座に断りました。顔ぐらい出せ。

 都立大塚病院です。

  亡くなったとき遺品整理をしました。自分のものは何もありませんでした。姉(一美)が父(佳男)に怒りました。「着物の一つもかってやれ!」と。それほど、自分のことより人のことでした。いつも使徒のことばかり。そして日本の優れた文化「婦道」を全うした日本女性の鏡のような母でした。病気になる前は、寝ているのを見たことがありません。「お母さんは、一体いつ寝てるんだろう」といつも思っていました。

 その後も妹はこの死に納得できず、父と一緒に「訴えたりしないから、なんで外科に入院したのに内科の病気で亡くなるのか。亡くなった原因を教えてくれ」と数度手紙を出しました。返ってくるのは担当医ではなく、院長のワープロの手紙ばかり、それも同じ文言で。詫び状をワープロで書くことは絶対にしてはいけません。受け取る方は、何度も同じミスをしているんだな、と判断します。

  母の葬儀には、彼女の出光興産株式会社勤務時代の活躍から、なんと、やめて何十年も経っているのに、役員の方がいらしてくださいました。同僚の女性も(一人を除き、もう退職なさっていましたが)。

 私は昔、母が出光で働いていたことを社内で言っていませんでしたから、私の上司たちは、「なぜ、あの方が寳德のお母さんの葬儀にいらっしゃるんだ」とびっくりしていました。

平成七年(1995年)七月十日(月)  死因不明。 享年六十二歳。激動の人生でした。

  具体的には、譲り受け側の義務として、保証の解除または移行を位置付けた上で、保証の解除または移行のクロージンを条件としの設定や保証の解除または移行がされなかった場合の契約解除条項や補償条項等の設定からでしたね。

 ①DD
  これは前に申し上げした。何もないように見えても、それは契約成立のためになんらかの課題・問題点は抱えています。また譲渡側の経営者からのヒアリングのみで譲渡し側のリスクは評価することはできません。完全には無理ですが極力、客観的な情報ををとらないと、結果的に表明保証の補償額・保証期間等で結局、売渡側の負担増につながる恐れがあります。


②表明保証の内容
 表明保証とは、契約当事者が特定の時点において、契約目的物や当事者に課する事実が真実かつ正確であることを表明し、相手方に対して保証することです。

  表明保証の期間や瀬人上限が設定されていない場合や適用場面が一義的に明確でない規定が存在する場合、譲渡し側が課題な表明保証責任を負担するリスクがあります(そのための裏付けとしてDDが必須。しかしながら原稿のスモールM&AにおけるDDは価格が低いため不十分なことが多い)。表明保証を範囲を巡った紛争は、譲受が側と譲渡し側の関係性が悪化した時です。なので、バリューエーションやDDがとても重要なのです。

 次回は、クロージング後の支払い・手続きを説明します。
  私、昨日は、皇紀三千年まであと十五年とかバカなことを言いました。三百十五年です🥲。

 さすがにそこまで生きたら化け物です。二千七百年が後、十五年です。

 閑話休題。SNSは、ソーシャルエンジニアリングの格好の標的だということを知っていますか?そーしゃるエンジニアリングは、かなり高度なコミュニケーション能力が必要なことはおわかりいただけたと思います。復習しますが、ソーシャルエンジニアリングとはマルウェア(PCやその利用者に被害をもたらすことを目的とした悪意あるソフトウエア)を用いずにパスワードなどの情報を盗み出す手法です。
 
 あなたの会社の情報システム部の担当者をよそおって電話をかけてログインするパスワードなどを聞き出したりします。それほどSNS上の情報とはプロファイリング(あなたがこんな人だということをどんどん知っていくこと)をしやすいのです。

 チャットなどで関係を構築しオフ会などを開催し関係性を築いていくことも考えられます。
SNSがこれほど普及していない頃は、家に視察に行ったり、オフィスを見に行ったりしてプロファイリングをしていたのですが、SNSはそんなことしなくても手軽に情報が入ります。

 また口コミサイトもそうです。転職サイトが運営しているものなど、情報がダダ漏れです。

 メールや電話などもそうです。電話の方がある程度プロファイリングができていると、メールよりも臨機応変に対応できます。

 では、どうやって新たな情報を電話で聞き出すのでしょうか? 

 うちの家は、知らない番号は、携帯で後から検索して、必要ならかけることにしています。ほぼ、9割必要ない電話です。固定電話はやめました。なので、ナンバリングシステムももうありません。つづく
 なんでも、今年の節分は二月三日ではなく、二月二日だそうです。太陽の周りを地球が一年でまわっていなからだそうです。


 節分とは、一定の日付ではなく、二十四節気の「立春の前日」を指します。そして、立春は代用の位置によって決まります。

 地球の公転周期は365日より若干長いので、閏年で2月を29日にすることで暦を調整しています。なんか、2月3日の節分が2月2日になったのは、124年ぶりだとか。

 小さい頃はよく豆まきをしましたね。父はいつも仕事でいないので、外とうちに向かって撒いて、その後、「歳の数だけ食べるのよ!」って言われましたが、いっぱい食べていました。

 恵方巻きのことは、三十八歳で大阪に行ってからです。私は小学校三年生まで大阪にいましたが、そんな風習は知りませんでした。

 さあ、今日からが新しい年です。 というか明日から立春ですから新しい春です。それにしても寒いけど笑。
 この前は石油業界の「カルテル癖」の話をしました。

 今回は、無鉛ハイオクの酷い売り方の話をしましょう。

 数ある商品を、時々、本社は競争社会に陥れます。それで新商品の売上をあげようと。無鉛ハイオクの場合、ハイオク/(ハイオク+レギュラー)の比率で支店や出張所を争わせ速報を出すのです。当時は、視点・出張所を合わせると販売関係部署は出光で70強ありました。そして出光金アポロというハイオクの名前だったので、「金比」という名前のハイオク比率で争そわせました。

 そうしたら各支店は何をやったか。レギュラーのタンクにハイオクガソリンを入れて、販売店に売らせてハイオク比率「金比」を上げていたのです。

 地道に販促活動をやって、所長さんたちを説得し、担当地区の全体ミーティングもやり、販促物の使い方や声の掛け方の運用方法を説明してきた私は、金比はNO.1でした。自慢ではありませんが私は、販促キャンペーンでは負けたことはありません。

 スタートして1ヶ月がたったころ、上記の変な売り方が始まりました。私は絶対にやりませんでした。
  初代内閣官房安全調査室長の故佐々淳行氏が著書で書いていらっしゃいました。

  新聞記者には三種類あるそうです。経済部・政治部・社会部。経済部は普段から経営者と接しているので紳士だそうです。政治部は時によって猛獣になる半紳士・半猛獣だそうです。社会部だけは断言しています。猛獣だと。

 普段、経済部と接している経営者は、記者は紳士だと思っているそうですが、何か自社等にスキャンダルがあると、いきなり猛獣の社会部が出てくるから面を喰らうすです。

 私は興味ないから、中居とフジテレビの番組なんて見ていないのですが、だいたい週刊誌ごときが書いた記事に、メディアも政治も翻弄されすぎです。自分たちで調べようともしない。こんな曖昧なことで10時間以上も記者会見をやりますか? 橋下さんの一言で情勢が変わっても、文春もメディアも反省の色がない。

 今、日本で一番の悪は財務省とメディア(それも社会部)でしょう。
  母が大好きだった叔母(洋子)は、母六十二歳が亡くなった時に「汎子(ひろこ)姉ちゃんが死ぬはずない。だから私はお葬式にはいかない」と言っていたそうです。これらの手紙は息子を洋子姉ちゃんの家に連れて泊まりに行った時に、一部もらいました。その後、全てを私の家に送ってもらって、こうしてブログに書いています。

  この汎子の「汎」と言う文字は「はん」とも読みます。「ひろくゆきわたる」「ひろくて限られていない」「ひろく全体に行き渡る」という意味です。じいちゃんは名前をつける天才ですね。母は、その字の通りの人でした。誰からも愛され、誰にでも優しく、活発で。そのくせ、私が日本男児として曲がった行動をしたら、恐ろしくらいの厳しさでした。本当に病気が進行してまともに動けず、握力はゼロに近くなっていたときにも家事を休もうとしません。手伝おうとしたら「これは私の仕事。私に恥をかかせないで。あなたは男でしょう。他にやることがあるはずです」とすごい迫力で怒鳴られました。

 洋子姉ちゃんの「洋」も「大きな海」「広い海」「水の広がるさま」「限りなく大きくて広いさま」という意味です。母の名前の字と意味がよくにていますよね。  身体の中に優しさしか入っていないのではと私たち姉弟妹は思っています。

 母は、平成七年七月十日に亡くなりました(我が社の創業記念日にしています)。享年六十二歳の若さで。ずっと病気でした。全身リウマチで身体の関節はほとんどが人工関節でした。彼女の三大事件は、北朝鮮からの引き上げで身ぐるみ剥がれそうになりながら38度線を超えて帰国したことです。舞鶴港に着眼した時に「咸興からきた秋武は知りませんか」と軍隊に行っていた伯父(舜一)の声が聞こえました。「にいちゃんだ!!!!」と家族みんなで再会を喜びました。博多に上がっていたら会えないところでした。

 次は、出光興産株式会社の日章丸事件での活躍です。これについてはまた詳しく。

 3番目は私を産んだことです。変な意味ではありません。うちは、父方も母方も私が中学になるまで男の子は私一人でした。つまり私が産まれるまで男の子はいませんでした。親父は戦争に行った時、「ああ、これで寳德家の家計も途絶えるのか」と思いました。そして私が産まれ・私の息子が産まれ繋がったのです。晩年父は「このつながりがなんともいえない嬉しさだ」と言っていました。誤解しないでくださいね。当時はそうだったんです。歴史を否定する必要はありません。今では親戚関係に男は、我が家2人、伯父関係に4人、姉の子1人です。

 昭和三十三年八月二十日七時三十六分に私が産まれました。産声を上げなかったそうです。母は、真っ青になったことでしょう。お産婆さんの機転で、お産婆さんが私の両足首をもって吊り下げ、往復ビンタをしました。それで、産声を上げたそうです。なので、普段は信じられないぐらい優しいのですが、私が、日本男児として情けないことをしたら、鬼の形相で叱りました。
 父と母の結婚式。昭和三十一年一月八日 当時はこれが精一杯でした。敗戦後十一年です。


 さて、今日は、なんの手紙を紹介しようかな。叔母との手紙となるとまだまだ先になるかも。祖母と祖父、そして、母の子供の頃から結婚前の資料が洋子姉ちゃんからいただいたものの中にたくさん入っています。
 親父さんが作りはじめたのがトラックステーション(以後、TCS)はどんな業態をなのでしょうか。

 今は、たくさんTCSがありますが、宇佐美以外の他社は、何を打っているかという業種の範疇を超えていません。

 親父さんんTCSは「どうやって売るか」という業態なのです。

 そこにも親父さん得意の「非真面目さ」がふんだんに盛り込まれています。何回かに分けて紹介しますね。
   有鉛ハイオクに対して鉛を使わないハイオクを無鉛ハイオクと言います。オクタン価100でノッキングしなくなるという夢のハイオクです。零戦につかっていた燃料です。飛行機はノッキングしたら墜落するからです。

  それを全元売が一斉に9月1日に売り出しました。新入社員の私は、「日本は資本主義だよな。どうやったら競争に勝つためにと発想するのが普通なのに、どうして一斉に開発した商品を売るんだろう」という疑問を抱きました。
 テクニックだけではない、サイバーセキュリティの世界からでしたね。

  情報システムの世界では、「脅す・賺(すか)す・煽(あお)る」という手を使います。相手に一つでも、この気持ちをもたせるために攻撃をしますと書きました。

 脅すとは相手の「弱み」を知り、それを使って行動することを言います。弱みを作ってしまうこともしてくるでしょう。私は、新入社員の時に、賭けのお金を支払わない893さんのところに集金に行ったことがあります。私が店頭で接客をやっていた時「早くしろ早く」と893さんがやってきました。「給油した後は「おい、新人か?わかっているだろう?俺たちはつけだ」と、ビューッと帰っていきました。「そうなのかなあ」とおもましたが、なんとも仕様がなく所長に報告に行ったら、「ばかやろ====」と怒られました。「尾間から行って取ってこい!!!!」。

 私は「げーーーーー」と思いました笑。

 最初、とてもいかついお兄さんが出てきて一方的に「自分は悪くない、悪いのはお前たち」理論で攻めてきます。「つけとけと言ったらお前ははいと言ったじゃねえか!!」と。「脅されました」。「たったそれぐらいの金でガタガタ言うな!」「たったそれぐらいのお金だったら支払ってください」とのやりとりが。


 その後に少し優しそうなお兄さんが出てきます。それでなんとかなるかなとこちらは考え、少しだけホッとするのですが、優しい兄さんは、一万円を出して、釣りはいいからこれで支払うと言い始めます。これが「賺す(すかす)」です。脅した後にやると効果的です。


  きちんとお釣りを出すと、「まあ、とってけや。釣りで一杯やってくれ」となります。もう一度ビビります。  優しいお兄さんがそう言っている時にまたさっきの怖いお兄さんが怒鳴り魔はじめます。それもさっきとは違って、「お前だって金がほしんだろう」とか言って。これが「煽る(あおる)」です。

 これを何時間もやられると普通の人間なら参ってしまいます。結果的に集金してきたのですが、セイもこんも尽き果てました。

 ソーシャルエンジニアリングでも同様です。では、次回は、ソーシャルエンジニアリングにおける「相手騙す」方法を見ていきましょう。
 経営者保証解除の問題でしたね。お互いが以前からよく知っている企業同士である場合を除き、結構シビアな緊張状態が続きのは、スモールM&Aでも変わりません。一つ一つをきちんとクリアしてお互いにレビューを繰り返し確認していかないと、あとで言った言わないという状態になります。
 
 DDなどの確認も含めて各段階を丁寧に積み重ねた集大成が最終契約となります。

 経営者保証はその中で最も重要な項目です。

 中には「もう面倒だからあとはお前に任せるわ」という経営者もいますが、これは絶対にダメです。


 そう言う経営者ほど後で文句を言ってきます。「聞いてない」と。そりゃそうでしょう。「聞いてない」ではなく、「聞かなかった」んだから。
  
 M&Aに当たっては、そのステップとして当然ながら、士業専門家等との仲介契約・FA契約や譲受側との契約において秘密保持条項があります。それらのそれまでの関係者以外に相談する場合には、相談先を秘密保持契約の対象から除外した上でおこなことも大切です。

 その際、各相談先とどのタイミングで相談し秘密保持契約の対象から除外するかがとても悩ましいくなります。M&は他に情報が漏れてしまうと失敗するケースが多々あります。
 
 両当事者間で調整の上、保証の解除または、譲受側への以降を想定する場合には、こお最終契約に置いて保証の解除または移行を明確に位置付けることを検討することが必要です。

 具体的には、譲り受け側の義務として、保証の解除または移行を位置付けた上で、保証の解除または移行のクロージンを条件としの設定や保証の解除または移行がされなかった場合の契約解除条項や補償条項等の設定が必要で。

 次回は、こ具体的な条件をお示ししましょう。

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