母と叔母との命の手紙:9通目(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)二月十八日)2

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 今回は叔母(洋子)が小学校六年生のときに母から叔母へ出した手紙です。叔母が11歳か12歳です。そうすると母は23歳か24歳です。昭和三十一年一月八日に母は結婚しています。母は昭和七年九月生まれですから、結婚の時は25歳です。この時は、もう秋武姓から宝徳姓になっていますね。洋子姉ちゃん、可愛かったろうなあ笑。繰り返しますと、秋武家は、祖父(璋二)、祖母(綾子)、長女(堯子)、長男(舜一)、長女(汎子)、次女(雅子)、三女(洋子)です。雅子と洋子以外は亡くなっています。

  堯子は、北朝鮮から引き揚げてくるときに亡くなったそうです。毎年、敗戦の日には母が、その様子を語ってれました。「堯子(たかこ)」姉さんが亡くなる前には、コーヒー色をした嘔吐をしょっちゅうしていたそうです。「ひろちゃん、ごめんね。いつも汚いことをさせて」と謝っていたそうです。「優しい優しい人だったのよ」と、母はいつも言っていました。堯子が亡くなる時、めったに言わないわがままを言ったそうです。「りんごが食べたい」と。当時の朝鮮の子は、頭に籠を乗せて買い物に行っていたそうです。母は、朝鮮の子の真似をして、頭に籠を乗せてりんごを買いに行きました。引き上げ途中です。どんな危険が待っているかもしれないのに。母は買っていきたリンゴを擦り叔母に食べてもらいました。「あ〜、美味しい、ひろちゃんありがとう。」と言って亡くなっていったそうです。夏とはいえ寒い朝鮮の硬い土を、祖父と祖母は掘りました。そして、堯子を埋めたそうです。洋子は一歳か二歳です。それでも、泣きもせずに朝鮮半島と渡り、38度線を超えたそうです。


 アジアの立地を知らないアメリカは三十八度線で、北朝鮮(共産圏)と韓国(自由主義権)の境を引きました。もし三十九度戦にこれが引かれていたら後の朝鮮戦争はおきていなかったかもしれません。朝鮮半島のくびれが細いところだからです。

 父と伯父(舜一)は、我国統治下の北朝鮮在住の大親友で。父はどうしても叔父と兄弟になりたかみたいで、母を紹介されました。母は、最初嫌で嫌で逃げ回っていたそうです(洋子話)。母は、18歳から二十歳は出光興産会社に勤めていました。伯父は、東京で別の仕事に就いていました。同じアパートに住んでいました。まだ日本が貧しい時です。トイレや炊事場は共同だっみたいです。ある日、会社の飲み会があった母が帰ってきたとき、伯父が自分の食事の食器を共同の炊事場で洗っていました。母は「私に恥をかかせないで!!!」と伯父を怒ったようです。 出光興産株式会社を辞めてまもなく結婚します。その様子は以前このブログでお伝えしました。

 母はとても洋子姉ちゃんを愛していました。そして、洋子姉ちゃんがとっていてくれたたくさんの手紙を命の手紙として、このブログに書いています。
「洋子ちゃん、おてがみありがとう。遠足楽しかったですか? 毎日、洋子ちゃんの遠足の様子を書いたおてがみが来るかと楽しみに待っていましたのよ。洋子ちゃんも六年生で学校の御勉強やら遊ぶのが忙しいのね。こちらは桜の花も散ってしまひ、今は、つづじが美しく咲いています。つづじの木には細長い髪がどの木にもぶらさがっていて "木を大切にしませう"とか"花をとらないでください"とか書いてあります。それなのにこの間はおばあさんが二人でつづじの花を取っています。恥しくないかしらと思ひました。そしたら、子供会の人が注意していましたら "そうかい、ごめんよ"と云ひ乍(なが)ら帰っていきました。あのおばあさんはきっと恥知らずの悪いおばあさんですね。子供の方がえらいなあと思ひました。洋子ちゃん達の子供な会はどんなことをしていますか?おてがみ下さいね。又、気分のよい時書きます。ゆきちゃん つるちゃん としぼう みどりちゃん しゅんぼう しゅう さくらちゃん けいこちゃんによろしくね。

大好きな洋子ちゃんへ                                           ひろこ姉ちゃんより                                         」

 封筒が残っていないので、正確な日付がわかりません。小学校六年生の洋子姉ちゃんってどんなんだったんだろう笑。



母の中学卒業時の寄せ書きからです。
お袋、今日は塩田登子さんだよ。




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このページは、宝徳 健が2025年2月18日 13:17に書いたブログ記事です。

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