母から叔母への命の手紙:8通目(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)二月十五日)3

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 母と年が一回り違う叔母(洋子)がとっていてくれた母からの手紙を(たくさんあるので)順不同に書いています。祖母(綾子)が亡くなっています。手紙の日付は昭和三十八年(1963年)十月十九日です。亡くなったのは九月八日ですから、もう一月以上が経っています。悲しかったのでしょうね。母はかなりのショックを受けています。こんな愚痴っぽい母の手紙は今までみたことがありません。こんなに字が乱れている母の手紙を観たのも初めてです。母はまだ三十一歳です。

 前回の手紙でも申し上げましたが、私は、そんなに多く祖母の思い出があるわけではありません。でも、これを書いていると「もしかしたらこれもおばあちゃんの思い出かもしれない」と思うことがたくさんあります。井戸しかない台所だったのは前回紹介しました。その台所で祖母が焼き饅頭を作ってくれたのを覚えています。そして、ミルクが嫌いな私のいとこにミルクの歌を作っていました。「♫みるくみるくおいしいなあ砂糖を入れてギュッと回して飲みました〜♫」。なんでこんな六十三年前のことを私は覚えているのだろう? きっとこれからも命の手紙を書き続けると記憶が蘇ってくるのかなあ。

 手紙をとっていてくれた叔母のおかげですね。
「洋子さん 久しぶりに静かな午前中です。こんな時間をもつことが出来たの何日ぶりかしらと考えています。貴女からの手紙を今読み終わったところです。しばらくするとひとみちゃん(姉)は、今日は前中だけの授業)が帰ってきて、みゆきちゃん(妹)が起きて、かぜで寝ているおばあちゃん(父方)が起きてきておこられたり、笑ったりそうぞうしい本当の我が家になるでせう。

  昨日はひとみちゃんの運動会でした。ぜったい一等と云っていたひとみちゃん、自信があるだけに本当に一等でした(姉は運動も勉強もずば抜けて出来た。だけど、それは中学まで。高校に行って遊びの楽しさを覚えてから・・・。おっと怒られる笑)。たけしちゃんが退屈がって、お弁当を食べ終わるとすぐ帰ってきて、私だけひとみちゃんを迎えに行きました。運動会も済み、いよいよ秋も深まってきますね。編み物を習いはじめたとのこと、羨ましいですね。独身時代にいろいろならっておかないと損ですよ。私なんかなにも知らないしできないのでパパの給料がいくら少なくても(父は入院中)、私が助けることが出来ないですものね。洋子さんがお嫁に行く時は、私たちみたいな貧乏人のところへ行かないことです。来年の四月には私も機会をとって、近所で習いたいと思って居りますが、どうなることでせう。このごろあまり貧乏をしているせいか、ちょっと悲観的になってだめだなあと思ひます。洋子さんももっと自分のことを考えてたのしみ乍ら出来るよういしてください。人間どこえいってもこれまでと言うことなく不平不満があるものです。二、三日前の晩 お父様にてがみを書きかけたのですが、つい、お母様に書いている様な気になって、ぐちっぽくなりましたのでやめました。私もいつも心の中でお母様はもういなんんだ、いないんだ とさけびたくなる様に云ひきかせて居ります。いつになったら忘れることが出来るのでせう。三十五日になにも送りませんが、私の分までおまいりしてくださいね。雅ちゃん(母のすぐ下の妹。叔母・雅子)へもてがみを書かなければならないのですが、なかなか時間がないので、そのうち書きますから気を長くして待ってるようにと伝えてください。お互ひに健康だけは注意しませうね。一時すぎにねたり、ちょっとしか食べなかったりは毒ですよ。早ね早起きを守りませう。今日はひとみがお手紙を書くでせうから同封します。この間から たけしちゃん(私)が洋子ねえちゃんに書いたから出しといてと毎日の様にせめていたてがみ  何度も読んでくれたので憶えてしまいました。読みにくいので裏に、たけしちゃんが読んでくれとおり私が書いておきましたのでどうしても読めない時、みよんでやってください。ではまたね。またおたよりくださいね。
洋子さんへ     姉より
十五日ころ書いたてがみを出し忘れましたので、ちょっと書き足しています。十四日に送った小包はつきましたでせうか?それからそちらからの小包はいつ来るのでせうか? 今毎日内職で忙しいん日です。洋子ちゃんが帰ってから今はじめて内職が来たのですよ。では、又ね。

まきのようちえん。ようこねえちゃん、僕は一とうになりました。きょうはあめがふっているのであそびにいかれません。ぼくはあめがふっているときはきらいです。ようこねえちゃんまたきてね。さようなら。(私は五歳です)。」







 私のきたない字ですみません。写真を見てください。母が私の書いていることをきちんと清書してくれているのでそちらを書きます。

 まきのよちえんはまだあるのですね。昭和三十年創設ですから、もう六十三年。一度訪ねて行きたいなあ。この幼稚園のお絵かきの時間に絵の具で絵を描く時間がありました。私は、キリンを書いたのですが、なんと絵の具が画用紙に滲んでしまいました。すると幼稚園の先生が私の絵にコメントを書いてくれました。

「きりんさんが、はしっているすがたがよく出ています」爆笑! それからずっと小学生になっても中学生になっても図画工作は「2(5段階評価)」でした😭。でも我が母校の幼稚園に行ってみますね。

母が中学校卒業の時の寄せ書きです。お袋、今回は吉永恵美子さんだよ。



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このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2025年2月15日 15:15に書いたブログ記事です。

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