宇佐美の親父さん㉛:宝徳怒る(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)二月十八日)

| コメント(0) | トラックバック(0)
 このブログ記事のタイトルで、日にちのところですが、意味があります。皇紀から始めるのは、今、日本が皇紀何年かを知らない人のあまりも多いからです。

 日本の国体は天皇陛下です。そして、苦労に苦労を重ねて、歴代陛下が欧米・支那や世界のどこの国より以前から作りあげた歴史なのです。我が国が世界最古の国であることも知らない人が多い。そして令和を書いた後に格好書きで西暦を書いています。これが日本人の常識です。今、世界で元号をもっているのは日本だけです。それと、西暦もついでに書いているのは、あとで読み返した時に、元号と西暦が頭の中で一致するからです。令和はいいですね。令和(018)を元号に足したら西暦の下二桁になります。

 さて、宇佐美の親父さんと一緒に車に乗ったら、ほとんど親父さんが運転します。というか、私に運転させてくれません。理由は如何に。
  親父さんは飛ばすんです。その飛ばす自分のリズムを大切にしたいんです。一度、私が運転したときなそ、いらいらしていました。宝徳、飛ばしすぎるな(よく言うよ笑)。

 ある日、宇佐美の社長室で、親父さんと二人で話していた時のことです。(  )は私の心の叫びです。

「この前なあ、車である踏切を渡ろうとしていたんだ。その踏切に行くまで少し飛ばしてなあ。踏切まで行ったら急に遮断機がおりたんだ(遮断機は急におりない)。急ブレーキを踏んだらなんとか遮断機にあたらずすんだんだ」

「まあ、それはよかったですね(だからいつも飛ばしすぎないでくださいねと言ってるのに)」
「そうしたらなあ、目の前で電車の車輪がぐるぐるうごいているのが見えるんだ。あれは流石に頭がくらくらするな」

とそや顔で言います。「するなと同意を求められてもそんなまにあったことがないからわからんわ)」

「親父さん、今日、初めて親父さんを怒ってもいいですか?」

「ほう、お前も偉くなったもんだなあ。まあ、聞くだけ聞いてやるわ

「親父さんの命は、親父さん一人のものでは何ですよ。何千人の社員、何百万人のお客さま、親父さんに関わる人々!  みんな親父さんのことが好きで好きでたまらないから、親父さんみたいな理不尽な人についてきてくれるんでしょう。私もその一人です。私もその一人です。みんなの100倍は親父さんのことが大好きなんです」

 ここまできて私は不覚にも泣きながら怒っていました。

「お前、おれを怒るんではなかったのか。へん、泣いてやがんのと爆笑」

「親父さん! 私が怒ろうが泣こうがそんなことはどうでもいいんです。頼むからあまり車を飛ばさないでください」

「大丈夫だ、宝徳、これは対策を見つけたんだ」

「なんですか」

「あの踏切をなあ、二度と通らないことにしたんだ(そういう問題ではないだろう。根本的に)」

 二の句が告げません。「私はこれを1万回言いますからね。親父さんに」と、言いました。この大社長に俺は何ことを言うんだと思いました。もう口を聞いてくれないかなあ?と思いました。

 そうしたら次の日に名古屋支店に支店長に会いに突然親父さんがきたようです(いつも突然ですが)。

 私がいないのを見計らって。すると支店長に自分から一昨日の踏切事件を支店長に言っています。私が怒ったことも。支店長は「楽しそうになあ、言っていたぞ。あんな担当者は今まで初めてだ。もううちによこさないでくれと笑ってな」。課長も一緒だったようです。

 「宝徳良かったな。親父さんは、照れ屋だから自分からは言わないけど、感謝していたぞ。お前のことも気に入っているようだ。お前がわんわん泣いたことも聞いたぞ」

 「じゃあ、しばらく行かないようにします」と私はむくれて言いました。

支店長・課長「大笑い」ですみました。

 後日また親父さんが、名古屋支店に来ました。今度は支店長と私が二人でいました。帰り際にエレベータに支店長と二人で見送りました。その時私が「親父さん、飛ばしすぎたらだめですよ」と言ったら「お前だって飛ばすじゃないか。支店長ねこいつの運転は俺より飛ばんです」と言ってみんなで笑った時にエレベータのドアが閉まりました。

深い愛 深い思いが 染み渡る 揉め事すべて 消える商い

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/9743

コメントする

カテゴリ

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2025年2月18日 06:57に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「有本明弘さんの死去(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)二月十七日)3」です。

次のブログ記事は「母と叔母との命の手紙:9通目(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)二月十八日)2」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。