最近の讀賣新聞の記事はいいですね。政治・経済以外は記事が生き生きしています。つまり職場が記者が生き生きしているということです。社会部も他社とは違い猛獣ではない。良い記事を書きます。朝がとても楽しみです。アプリだけではなくアナログの紙面も読んでいます(デスクが全体的に作りたいと思っている意思をみたいから:コンセプチュアルスキル)。
政治部は、政治家の思惑を考慮し過ぎているような。そうしないと記事がもらえないのだろうか? もちろん朝日新聞みたいに記事にしてはいけないオフレコを書いてドヤ顔をしている馬鹿新聞のようになってはいけないが。明治時代は、下級武士が政治をやっていました。新聞記者はかつての政治を担っていた玄人武士です。その新聞記者が書く記事は、下級武士の政治に対して厳しい内容になっていました。今の政治がすごいと思いますか? ぐだぐだの自民党内閣、偉そうなことを言うけど所詮共産主義左翼リベラルの立憲民主党。与党にすり寄る維新の言うだけ番長(前原誠司、維新にはがっかりです。今の維新に必要な言葉は「孤高」です)それを利用する自民党。こんなんで、政治がよくなります? このままでは永遠に政治が「真に政治を考えている」姿にはなりません。国民のためになりません。
経済部は、いろいろなエコノミストの言っていることを紹介していますが、エコののミスト自体がマクロ経済を知らなさすぎます。例えば、読売新聞二月十八日火曜日の朝刊トップ記事です。GDP600兆円でした。これについては後で書きますが、ここに三菱UFJリサーチ&コンサルティングの人間のコメントが載っていましたが、マクロ経済とミクロ経済の中身が混在していて、この人はいったい何が言いたいのだろうと思いました。エコノミストではないですね。「ミクロ」エコノミストに名前を変えたら? 讀賣新聞経済部もこんな人のコメントを載せたら器がしれますよ。
もっと新聞自身がシンクタンク機能を持つまでにはいかないけど、マクロ経済に精通したらどうですか。今の政治家・官僚・メディアにマクロ経済がわかる人間がいないから、国富が何十年も成長してこなかったのです。
新聞はもっとマクロ経済を勉強し、マクロ経済を語って、政治家と官僚を啓蒙しろ。それも経済部記者の使命だろう。
閑話休題。それ以外の讀賣新聞記事はいい。産経(産經とはまだ呼んであげない)は保守を自認していますが、最近の産経新聞記事は裏どりが不十分なので厚みがありません。日経は財務省ポチだし、毎日朝日に言いたっては話にならないのは相変わらずです。
今回、讀賣新聞(文芸部?)が「よみうり抄」上梓しました。
GDP600兆円の記事の下にあります。感動で涙が出てきました。讀賣新聞の大功績です。そこに書いてあることが読売新聞のコンセプトの全てです。よく理解しました。感謝合掌。
「大正時代の読売(これも讀賣という字を使ってください)新聞部芸欄に掲載された雑報欄「よみうり抄」が書籍化され、「讀賣新聞 よみうり抄」大正篇(いいねえこの字)第一巻として文芸資源者から刊行された。同欄は、作家や画家など文化人の執筆や制作状況をはじめ、本の出版や展覧会、旅行や転居まで細かく情報を伝えている。当時の文化動向を記録した貴重な資料となる。明治の創刊時から庶民を広く対象とした「小新聞」の流れをくむ読売新聞は、文芸記事の充実に力を注いだ。読売新聞の協力のもと、日本近代文学の専門家らが研究会を作り刊行の準備を進め、解説を加えた」
と書いてあります。もう読んだ瞬間、私の身が震えました!!! だから文芸欄がいまだに素晴らしいんだ。関連記事として、25面に「文化の潮流 伝える窓」と題して、与謝野晶子女史の欧州旅行記が載っています。この両面の記事は、デジタルではなく、アナログで私の一生の宝物にします。
読みたいよ読みたいよ!! どうすれば手にない入るの? こんなに読みたい本は「ヴェノナ」以来です。
私の息子は上級デジタルアービストで、このような書物をデジタル化してAIで他の古文書とかを関連付ける仕事をしていますが、これは垂涎の的ではないかなあ。
それと、同じく二月十八日の二面に「書店活性化」を上智大学の柴野京子教授が書かれていますが。もう、素晴らしい記事です。どんどん失くなっていく地域書店のことを書かれています。
確かにピンポンとで買うなら、ネットでもいいのかもしれません。でも、私は、本を年間200冊以上読んでいた時期が、10年以上ありました。蔵書も3,000冊以上ありました。本屋に行くのが大好きでした。学生時代は神田神保町でネットサーフィンならず、古本屋サーフィンをするのが大好きでした。とんでもない本と出逢うこともありました。一日中、古本屋巡りをしていたこともありました。良い本を手に入れたた。時、神保町の古い素敵な喫茶店で読む時間は福の時間です。またやりたいなあ。
常に10冊ぐらいは手にもっていました。
本屋を巡ると本が語りかけてくるのです。「ねぇねぇ、私を買わない?」「冗談じゃない俺が先だ」「そろそれ私を買ったら?」「へん、本好きというけど、私を知らないようではまだもぐりね」などなど。
この話を人にすると変な顔をします。「こいつおかしいんではないか」というよな顔で笑笑。でも、あるとき、さだまさしさんも出かける時は本を10冊以上持つとか、本屋に行くと本が語りかけてくるとおっしゃっていました。TVで。すると、私が以前、それを言った人たちが「宝徳と同じことを言っている」と言いました笑。
今日のブログは何がいいたいか?
確かにネットの世界は便利でしょう。10冊もちあるかなくても、スマフォひとつで何冊も読めます。
アナログはデジタルが出てきたので、その姿をかえなければならないことも事実です。
でも、世の中、そんなに便利で自分達に都合がいいことだらけでいいのだろうか? 一見、無駄なことでもの中から「価値ある無駄」を見つけ出しそれを将来のためにデジタル化してもいいのではないだろうか? 財務省・日銀の愚かな政策によって長きではなく永きに渡って経済が成長しなくなって、個人も会社も世知辛くなりました。多くの価値ある無駄をしなくなりました。
デジタルを否定していのではありません。いまこそ不易流行が必要なのではないでしょうか?
そのためにも経済成長が必要です。若者たちのためにも。
無駄だと思ふ その無駄のかな 価値がある 益はなくても 意味はある
コメントする