2025年3月アーカイブ

  れを書き終えると平成二十一年(2005年)九月二十日に始めたブログがもうすぐ累計記事1万件になります。あと18通です。

 あっ、明日から三日間ぐらいこのブログが機能停止になるかもしれんけんお知らせしとくばい。おれがくさ、プリバイダーとの契約ば少し間違えて再度手続きし直しになるったい。ごめんなさい。もしかしたらくさ、今日がんばるけん大丈夫かもしれんったい。また、ラインとかブログで連絡するけん。

  普段は博多弁ばつかうとか?  って。実家はみんな博多弁ばい。ばってん、父母はもう亡くなっとるし、姉は博多におってくさ、妹は千葉県柏市におるけん、話す機会はあんまりなかろうが。ラインとかは博多弁ばい。

 あとは博多の友達と話す時は博多弁ったい。新幹線で移ばする時は、博多に近づくにつれてくさ、博多弁になるったい。もう小倉あたりを通過する時は博多弁ばい。

 えっ?福岡と博多はどうちがうとかって? 福岡は黒田藩、博多は徳川幕府の直轄地やったと。博多は商人の街ばい。幕府がくさ二公八民にしてくれたとって。年貢の二割が幕府でくさ、八割が民の取り分ったい。だけん、博多は商人が集ったったい、豊かったい。福岡は四公六民ったい。それでも今の財務省に六公四民よりましばい。博多と福岡は中洲で分かれとると。福岡市と博多市が合併する時にくさ、市の名前をどげんするかを話し合ったったい。議会で。そげんしたらくさ、投票が同数でくさ、議長採決で福岡市になったったい。だけん、駅の名前は博多ったい。その時の市長もなかなあ粋な奴ばい。
  
  そうや結婚ば申込に彼女の家に言った話からばい。
   れを書き終えると平成二十一年(2005年)九月二十日に始めたブログがもうすぐ累計記事1万件になります。あと19通です。

  TAKE2という漫画があります。漫画を読むのかって? 私は、本も読みますが子供の頃から漫画っ子です。私たちの子供の頃は「漫画が悪書」だった時代があります。あの手塚治虫が最初の槍玉でした。手塚さんは医師でもあったので、少しエッチな漫画も描いていました。メルモちゃんなんかがそうだったかな。「性」というのが今のようにおおらかな時代ではありませんでした。TVで生理用品のCMやドラマでキスシーンなんかがあると親はすぐにチャネルを替えていました。でも、男性も女性もきちんと自然と覚えることは覚えていきました。今はそういうことを覚える機会がなくなり、それを知らないまま大人になる男性も多勢います。

  売春防止法といい、この漫画悪書論と言いい、男女差別(差別はダメだけど、男女は区別はされています)といい、喧嘩と暴力の違いもわからないで「喧嘩はダメです」と教える親・・・・等々。まともに子供が育つことを阻害する大人ばかりです。大人は小さな親切大きなお世話ばかりします。

 あっ、今の漫画はだめです。「今日から俺は」「クローズ」「アウト」などを読むと大勢で一人をなぐったり、武器を持って人を襲ったり、喧嘩で負けた相手を気がおかしくなるような拷問に掛けたり。まるで支那人の喧嘩のようです。男の喧嘩の基本は「ステゴロ(素手)のタイマン(1対1)です。その中に、少しだけ正義の人間が出てくるが救いですが(ダメだと言って読んでるじゃん!笑)。

  すべて

喧嘩はダメですと教える大人の責任

です。喧嘩と暴力は違います。喧嘩は「大切な物やコトや人を守るためにするもの」です。暴力とは「自分の都合や気分で相手を傷つけるもの」です。喧嘩はダメですと教えるので、私たちの若い時と比べて信じられないぐらいの暴力が横行しています。暴力とはただのくだらない暴力ですが、喧嘩とは暴力だけではありません。強靭な生きる意志が必要です。

  「TAKE2」という漫画は、情けない阿久津丈二という男が他のヤクザに出入りを行い死んでしまいますが、なぜか十年後の世界にタイムスリップして生き返ります。その世界でヤクザの頂点に昇りつめるサクセスストーリーです。生き返って二度の人生を歩むので、映画やドラマ作りの「撮り直し」の言葉をつかって 「TAKE2」と言います。その中ではヤクザのあり方やヤクザではない暴力団のこともたくさん出てきます。


 ヤクザというか「任侠か極道」ですね。バブルで金儲けを覚えたヤクザは「任侠・極道」の名を捨ててしまいました。

 その漫画の中に、「任侠・極道」の手打ちの場面が出てきます。
    れを書き終えると平成二十一年(2005年)九月二十日に始めたブログがもうすぐ累計記事1万件になります。あと20通です。

  ビルマの大地震で2,000人近くが亡くなって、多数の負傷者も出たみたいです。タイにも影響があり、家屋とかが倒壊しているとか。

 亡くなられ方には心から哀悼の意を表しますとともに、被災された方々にはお見舞い申し上げます。これはたまりませんね。

 日本でも山火事が・・・。自分に何ができるかを考えます。天は何を言いたいのだろう?
  れを書き終えると平成二十一年(2005年)九月二十日に始めたブログがもうすぐ累計記事1万件になります。あと21通です。

  日本人のたくさんの人が中立国といえば「平和な国」を思っています。特にスイスなんかは「永世中立国」と名乗っています。スイスが笑。あの国は、大東亜戦争終了後、永世中立国なのに、我が国に莫大な金を要求しました。戦ってもないのに。

  中立国とは、どの国とも軍事同盟は結ばないけど、どの国から攻められても文句を言えない国です。だからスイスは各家に自動小銃がおいてあり、射撃訓練は国民の義務です。道路は幅広く滑走路になっていて、戦時に離着陸ができるようになっています。ただし、国境をやられたら、そのどうとからニョキニョキと柱が出て、敵国の戦車がはいれません。空にはフランス産の戦闘機が。

 こういう話を私は学生時代に女性初のスイス大使になった人の著作を読んだような気がしているのですが。。。。どんなに検索しても出てこない。私の記憶間違いかなあ。いや、絶対に読んだよなあ。歴史の闇に消されたのかなあ。

  まあ、いいや。永世中立国を守ろうとしたらそれぐらいの努力がいるのです。欧州は平和だからできるって????? あの欧州を何百年も暗黒の世界落としたキリスト教徒(特にカトリック教会主義)が?

 それって笑い話ですか?

  愚かな官僚があえて負けるような戦いをした大東亜戦争当時の日本も、完全なる武装中立でした。武装中立こそ、最も平和なのです。我が国は、太古の昔から、ずっと武装中立でした。江戸末期を除けば。松平定信が我國をめちゃくちゃにしました。せっかく田沼意次が正確な海外情報を得対応しようとしていたのに。

 大東亜戦争の時も繰り返しますが、世界最強の帝國陸海軍にはスターリンもルーズベルトも恐れていました。軍部の官僚化が・・・。官僚はいつの世も国を潰す存在になります。

 江戸時代末期に、外人の入国の手続きをしたのは武士でした。外国人はその武士に賄賂を渡そうとしましたが、武士は決して受け取りませんでした。武士は官僚ではないからです。
  れを書き終えると平成二十一年(2005年)九月二十日に始めたブログがもうすぐ累計記事1万件になります。あと22通です。

  これまでの「どの本よりわかりやすいスモールM&A」のタイトルを上記のように変えました。この方が日本の中小零細企業にあっています。この記事を前回書いたのは、三月二十三日です。その時は、次のようなことを書きました。

 中小零細企業というのは、経営資源の脆弱性から、予想もしないほんの些細なことから組織が崩れて(ヘタをすると崩壊に至る)ことがままあります。ままあるという表現は不適切かもしれません。潜在的リスクとしていつもそれに身を晒されてしまいます。

  後継者がいないと言うことも、あらかじめわかってることなのに、それを顕在的リスク(イベントリスク)としてとらえず、潜在的リスク(グラュアルリスク)のまま放置する(または、被承継者が、自分はまだまだできると考える)ことも多くあるでしょう。

 会社を金のために売り渡す道具たとただ単に考えている欧米企業とは全く根本が違います。だって「合併」「買収」という簡単な言葉で片付けるんですもの。

  つまり「経営資源」という言葉の充実度が欧米と日本では全く違います。

 では、経営資源とは何か。欧米では「モノ(それも流通機能だけ)と金と『そのことだけに関係する』情報です」。では、日本では、「ヒト・モノ・カネ・情報」を「過去・現在・未来」に亘って「丸ごと」見ることがスモールM&A(このことばもちょっと違いますが、社会通念で名が通っているのでしかたなく使っています)ではないのでしょうか?

  なので「後継者がいないから」という理由だけで、スモールM&Aをするのではありませせん。

   経営資源の引継ぎを受けてもらうきぎょうにヒト・モノ・カネ・情報」を「過去・現在・未来」に亘って「丸ごと」を「引継い」もでもらうこと、自分の育てた娘を嫁に出すような気持ちで、経営資源の引き継ぐを相手企業に受諾してもらうことが大切です。

  これが「どの本よりわかりやすいスモールM&A」というタイトルを今日から「どの本よりわかりやすい経営資源の引継ぎ」に変えた理由です。

  発言が昭和っぽいですか笑笑。でも、こう言う考えや「目的」を持った生き方は変えられないや。

  ただし、引継いでもらいためには、自社のことを十分に経営資源の引継ぎを受けてもらう企業に分かってもらい、その上でただ受けれもらうためではなくその「ヒト・モノ・カネ・情報」を未来に向けて成長する経営革新が必要です。

  中小零細企業の「ヒト・モノ・カネ・情報」を「過去・現在・未来」に亘って「丸ごと」を「引継いで」もらうことには、いろいろな手法があります。

  その方法を次回からしていきます。そして、いろいろな可能性を、引継いでもらう方も引き継ぐ方も見つめながら「ヒト・モノ・カネ・情報」を「過去・現在・未来」に亘って「丸ごと」「引継いぎ」をしましょう。
  れを書き終えると平成二十一年(2005年)九月二十日に始めたブログがもうすぐ累計記事1万件になります。あと23通です。

  俺はくさ、三十歳になる年にくさ、二十九歳で結婚ばしたと。えっ、誰ととか言うと? もちろん今のかみさんとたい。彼女は二十四歳やったばい。ちゃんと付き合ったとばい。結婚するまで指一本も触れてなかけんね。

  それまでもいろいろなところに遊びにいったりしとったばってん、それは1対1というより出光興産株式会社千葉支店の独身男女で出かけよったったい。昔の言葉でいうとくさ、グループ交際とか言うやつたい。今は、なんて言うと?

  ある日くさ、かみさんに手紙ば渡したとって、「結婚を前提にお付き合いしてください」って。そしたらちゃんと返事ばくれたと「私でよければ」と。

  女性と付き合うにはくさ、ちゃんと両親に報告せないかんやろ。だけん、まず、彼女の家に行って「お付き合いいさせてください」と言ったったい。彼女のご両親に了承ば得てからくさ、うちの家に連れて行ったとたい。もちろんその頃は、俺の母が病気やということは彼女に伝えとったとばい。

  うちの両親は反対することはなか。お袋がくさ「なんて綺麗な子なの」と俺にこっそりと言ったのを覚えとるったい。そうったい。「こげな綺麗な子と結婚ばしていいとかいな」と俺も思っとった。少しにロケさせやい。今では、この世で一番怖くてくさこの世でたったひとり喧嘩ばでける存在ばってん。

  ちゃんと両家に筋は通したろ?  結構、その過程は、硬派やろう? そうったい、俺は幼少の頃から硬派教育ば受けてきたとって。環境のせいにする訳やなかとばい。ばってん中学・高校・大学・社会人とずっと硬派ば張ってきたと。それががよかと思っとったと。

  彼女とはくさ子供がでける(「け」は博多弁では普通)まで四年かかったとたい。彼女が気にしてくさ「妊活」みたいなことば言うけん「そげなことば気にしやんな。でけんやったらでけんでよかやん。子供は天からの授かりものばい。でけんやったら、二人で旅行ばして暮らそう」と言っとったったい。そげんしたらくさ、四年後に息子ができたと。これがまた出来の良かろうが(親バカ)。トンビがタカを産んだったい。可愛かったばい!!! 自分がこの世に生まれてくさ、初めて「自分の命ば引き換えにしてもよか存在を知ったったい」。もし、もし息子になにかあって死神がきたらくさ、「お〜、俺の命ば持っていきやい。その代わりこの子を生かしちゃちやい」ということたい。

 息子が産まれるまではくさ、結構ラブラブやったとがくさ、息子がができたら、途端に強くなろうが。女は逞か。

 まだ郡山にいるときにくさ。
  れを書き終えると平成二十一年(2005年)九月二十日に始めたブログがもうすぐ累計記事1万件になります。あと24通です。1万件達成は来月10日あたりになるかな。ポイ活もやめたことだし。すごくスッキリしました。

  前回、三月二十日木曜日がホワイトハッカー記事の前回になります。もう、九日間も経つのですね。少し復習します。前半でこう書きました。しつこいかもしれませんが、仕事をする上で、特に、戦略を練ってそれを運用していくときには絶対に大切なことです。

戦略(目的から始まる)を「細部に宿らせる」

とその物事は必ず成功します。

(前回の復習)
 BCPの目的は「有事の即応・平時の緊張の人・組織創り」です。

   そして目標がRTO(目標復旧時間:Recovey Time Object)です。

  必ずこの確認をしてからIT-BCP の作成に当たってください(BCPも同じ)。防災訓練とは全く違います。

  前に、災害等のBCPと違ってIT-BCPは「リスク・アセスメント」から始めてくださいということを理由とともに申し上げました。これは、手段です。物事は、必ず、

目的→目標→手段

の順に考えなければなりません。目的がない目標、目的も目標もない手段は絶対に避けないと社員は、「誰のために何のために仕事をするか。何をいつまでにどれだけするか」がわからなくなってバラバラに動いてしまいます。目標から入ってもいけません。なぜこの目標なのかがわかりません。
    れを書き終えると平成二十一年(2005年)九月二十日に始めたブログがもうすぐ累計記事1万件になります。私が前記事を保留のままでアップしていませんでした。あと25通です。

  宣言通りばい。「博多弁六十ジジイのポイ活日誌」ば終わったけん、次のシリーズったい。「博多弁亭主の独り言」ったい。前の前の記事でも言ったばってん、これも短命で終わるかもしれんばい。あんまりバラしたらかみさんに怒らるるばい(怒られるの間違いではありません:これも博多弁です)。

  繰り返し書きよるばってん、俺は昭和五十八年(1983年)に出光興産株式会社に入社したったい。広島直営ガソリンスタンド研修、油槽所タンクローリー研修、徳山製油所研修を経てくさ、福島県の郡山出張所に赴任したったい。そこで二年間おってくさ、昭和六十年(1985年)に千葉支店に転勤になったとばい。千葉支店にはそれから四年間いたときにくさ、今のかみさんと知り合って結婚したったい(ほんとうはうるさいけん、がみさんと呼びたかとばってん。読者のSW社長からその呼び方はやめろ!と言われとっちゃんね〜)。

  最初の年は、出張所と統括支店の千葉支店との違いに戸惑ったけん忙しかったと。出張所ではくさ、ガソリンも中間留分(灯油・軽油・重油)もガスも潤滑もじぇーんぶ(全部)一人でやらないけんめいが。それこそ物流の仕事(油槽所)の仕事もあるったい。ばってん、統括支店ではくさ、ガソリンとせいぜい民生用灯油はくさ販売課(俺は販売一課やったと)、産業用灯油は営業課、潤滑油は潤滑油課、プロパンガスはガス課って別れとうとたい。組織が多くなると官僚化するげなは本当やね。結構、縄張り意識があるったい。各課ごとに。その上、俺の課長がくさ、超理不尽な人でくさ、今やったら絶対パワハラになるばい。まあ、パワハラという言葉でくさ、治まらんぐらいすごか人ったい。まあ、いうたらくさ、パワハラに不合理不条理鬱陶しさのオンパレードったい。ある先輩に相談したらくさ「そういう時はくさ(先輩は博多弁ではないけどくさ、あえてここは博多弁にするったい)、人間は誰でん、一生これが続く感じに思うばってん、そげなの人生の一つの点ったい。がまんせするより理不尽が何回あったかでも数えときやい」とアドバイスをくれたけん、なるほどと思ったたい。出光にはいろんな先輩がいっぱいおってくさ、こういう「おもしろいおっさん」たちが、いろんなことば助けてくれるったい。

  「とんび」という素晴らしいドラマがあります。内野聖陽(ヤス)さんと佐藤健(あきら)さん、そして、麻生祐未(たえ子)さんという私が大好きな俳優さんが出ています。

 ヤスは、息子のアキラに、お母さんの美佐子(常盤貴子)がアキラを庇って亡くなったことを言いません。それどころか荷物が落ちてきた時に自分(ヤス)を庇って死んだんだ、と言います。アキラはなんとなく気付きます。

 ヤスが毎日のようにいく、たえ子の店に、たえ子の娘がヤスに連れられてやってきます。たえ子が昔、離婚して別れた娘、泰子(徳永りえ)です。その優しさに触れた泰子は、それまで自分を捨てたと思った母に厳しい言葉をもらって、その優しさに触れ、母を愛します。お互いに名乗らないままに。

 家族は特にそうですが、関係ができればできるほど、人間には「はっきりと言えない良い嘘(これを嘘というかどうかはわかりませんが)」がたくさん出てきます。なので、敢えて嘘を言う時があります。相手がそれが嘘だと気づいていても。相手には「何もかも言わなくても気持ちは伝わって」います。本当の優しさがあれば。

 能の第一人者 世阿弥が
非すれば花  
  という言葉を遺しています。言わぬが花です。

はっきりと口にだして言わない方がかえって趣や価値があるということば。余計なことを言わなければ、差し障りもなくてよいこと

です。」

  世阿弥の言葉を借りれば

非すれば花なり非せずは花なるべからず

 です。

そんな強い男になります。いい言葉ですね。「非すれば花」! 日本人に生まれてよかった。

時々に 人の優しさに ふれるとき 真の優しさ 味はうときに
  れを書き終えると平成二十一年(2005年)九月二十日に始めたブログがもうすぐ累計記事1万件になります。あと27通です。

  今日は、二十九日ですね。肉(二九)の日〜。といっても焼肉を食べにいくわけではないですけど。仕事の時間がもったいない。我が家が住んでいるマンションのエレベータのちいさなデジタルサイネージ(デジタル表示)が、行き先の階数とかの表示のほかに「今日は何の日」と言う表示が出てきます。私は三階に住んでいますが、それでも、エレベータの中の退屈凌ぎになります。最上階の八階に住んでいる方などは、とても退屈だと思います。エレベータの中って退屈ですよね。みんな黙って乗っているし。私は同乗される方達に結構話しかけます(息子には「やめろ!」と言われますが笑)。この前お母さんとお子さんが乗ってきました。お子さんが何かを手に持っていたので「どこにいくの?」と聞いたら「習い事」というから「楽しい?」と聞いたらその子供が「全然楽しくない」と答えました。もう、三人で大爆笑(でしたが、帰ってからこの子は絶対お母さんに叱られています笑)。なので話しかけじじいで有名だそうです。だって、昔なら近所の人は必ずしてっていましたよね。これが地域1番の安全保障でした。

 閑話休題。高山正之先生という素晴らしい方がいます。産經新聞出身で、その見識を認められ大学教授までやられた方です。週刊新潮にも毎週投稿されています。この方は、ミャンマーの真実を繰り返し書いています。
   れを書き終えると平成二十一年(2005年)九月二十日に始めたブログがもうすぐ累計記事1万件になります。あと28通です。もう書き始めて二十年目なんですね。

   申し訳なかばってん、「博多弁六十じじいのポイ活日誌」 のブログ記事は今日で終わるばい。短かったね〜笑笑。

   次は、「博多弁亭主の独り言」を書くばい。あんまり書くとくさ、うちの夫婦関係がバレるけん、ガミさんに怒られようが。だけんこれも短期で終わるかもしれんばってん、よんじゃってん。

  博多弁はだいぶん慣れたろう? だけん博多弁だけでいくばい。わからん言葉があったらラインかなんかで質問ばしちゃりい。

   そしたらくさ、「博多弁六十じじいのポイ活日誌」の最終回を書こうかね。
   れを書き終えると平成二十一年(2005年)九月二十日に始めたブログがもうすぐ累計記事1万件になります。あと29通です。  (すみません。今日があと29通でしたね)。

  中島みゆきさんと中島美嘉さんの歌が大好きです。四月号の士魂商才にも書きましたが、縦の糸はあなたの歌は、中島みゆきさんの歌で私の大好きな歌。そして、銀の龍の歌もたまりません。これは(私の勝手な推測ですが)きっと支那の古典「易経」の「潜龍」を歌っているのではないかなあ。

 よく支那の古典を四書五経という一言で片付けていますが、五経(書経・詩経・易経・礼記・春秋)は素晴らしんです。漢民族がではありません。漢民族は歴史上常に周りの民族から侵略されていました。周りの民族で支那を侵略できなかったのは、朝鮮だけです。支那の支配者が変わっても朝鮮はいつも属国でした。

 ただ、辺境の国が支那大陸を支配してもその国は他の辺境の国に滅ぼされています。五経も漢民族が創ったのではなく、辺境(こう支那が呼んでいるのですみません)の人々が作った最高の知恵です。読むととても面白い。

  長い歴史の中で、支那大陸を支配した漢民族は、漢と明と今の支那共産党しかありません。漢に関わった支那大陸を支配した周辺民族(こう呼んだ方がいいですね)は、みんな酷い目にあっています。清なんて滅ぼされてしまいました、今、清の母国 満州語を使える人は10人いないそうです。日本は支配しませんでしたがそれでも支那に関わるといつも酷い目にあっています。長い歴史のほとんどを奴隷で過ごした漢民族の恨み根性なのでしょうね。日本の教科書もそれを正しく書く必要があります。

  閑話休題。五経の話でしたね。何千年のあと、孔子とかによって焼き直されたのが四書です。昔はこんな素晴らしい話があったんだなあと思いながら四書を書いたのでしょう。でも、正しいことを言えば言うほど、支那では、殺されてしまうのです。だから、書いてそれで終わり。実行しようとしません。支那の理想論を実行しようとしたのは日本人だけです。それも支那の悪いところを全部排除して。
   れを書き終えると平成二十一年(2005年)九月二十日に始めたブログがもうすぐ累計記事1万件になります。あと29通です。  

  「LINEWALKにある解説の検証です」の第二弾です。
  れを書き終えると平成二十一年(2005年)九月二十日に始めたブログがもうすぐ累計記事1万件になります。あと31通です。  

 「日本大国かと世界の平和」を「ドラえもん型にほんと世界平和」に変えます。もともと、我國は、ずっと「ドラえもん型」の国でした。我國の歴史を見ながら検証していきましょう。「ウルトラマン型日本」と言ってもいいのかな笑。日本が作った漫画やSFにもその姿が現れています。

  欧米が、血眼になって、世界中を植民地にしているときに、我國は、古今東西どの国もやっていないことをやってのけました。秀吉の治世から江戸時代の田沼意次の治政までです。松平定信が悪政を敷き我國を弱め、家斉の時代の平和な時代に世界からどんどん遅れて明治維新になりました。

 では、秀吉から田沼意次までの時代に古今東西どの国もやっていないこととは。それは、世界からの

武装中立
です。
    これを書き終えると平成二十一年(2005年)九月二十日に始めたブログがもうすぐ累計記事1万件になります。あと32通です。  

   久々の士魂商才です。士魂商才です。士魂商才の業態を悩みんな病んで変えました。来月からは毎月くります。みなさんには、明日送ります。ブログでは、表紙のページだけ書きます。
    これを書き終えると平成二十一年(2005年)九月二十日に始めたブログがもうすぐ累計記事1万件になります。あと33通です。  

  ラインウォークは確かに他のアプリと比べてくさ、やり方が簡易ばい。特に俺みたいにくさ、毎日一万歩歩くこととくさ、ナンプレば得意やったらよかろうが。それでもめんどくさかばい。昨日、ラインウォークの説明書ばもう一回読んだったい。

  今日は、その説明書に書いてあることのくさ、嘘ば「ほうとっくん(博多では女の子からこう呼ばれていた)」見破っちゃるばい。長くなるけん何回かに分けるけんね。よーと聞いときやいよ。

 それとこれはくさ、説明書も書かないかんけん、説明書ば書いたときに、その嘘ば俺が見破っちゃるけん、そこだけ博多弁ったい、それでゆるしちゃりいやい。俺の感想は説明書の文章の後の(    )書きのところばい。間違えんごとしんしゃいよ。

(拙首です
解説書を 片手にじじいが  ポイ活を 訳わからずに 六十過ぎても 
みんないう 何もしなくて いいですと 何もしないの 意味がわからん
  これを書き終えると平成二十一年(2005年)九月二十日に始めたブログがもうすぐ累計記事1万件になります。あと34通です。  

  今日は、私から叔母(洋子)へ出した手紙です。何歳ぐらいだろう? 恐らく小学校一年生の頃ですね。「夢の超特急 ひかり号(今の新幹線)」が書いてありますから昭和三十九年です。

  母は、高校受験の時、家にお金がなかったので受験当日に祖父と祖母から「合格しても高校に行かせるお金がないから今日は受けるなと言われました」。母は、中学校で一番の成績でした。かなちくて悲しくて仕方がなかったみたいです。

 なので、子供たちにはなんとか貧しくても勉強をさせてやりたいと必死でした。ただ、「勉強をしなさい」と言われた覚えがないんです。手紙の書き方にしても、「健、洋子姉ちゃんにお手紙書こうか」と笑顔で言われて書いたら、「すごい、よくできたねえ」と誉めら得れました、この頃私が書いた手紙には修正もしませんでした。字はもっと早くから読めていました。母が、本をたくさん読んでくれていたので。小学校三年生ぐらいになったら「推敲」を教えてくれました。

 とにかく、鉛筆の削り方、手紙の書き方、辞書の引き方など、基本的なことばかり。あとは、(忙しかったんでしょうねえ。父の病気とかも抱えていましたから)自主性に任されました。

 姉(一美)と私は母の笑顔が見たくて、母に誉めてもらいたくて勉強ではなく「学習(学んだことを繰り返し行う)をしていたように思います。姉の成績は私なんかと比べて抜群によくて、中学校に入った時も常に10番以内でした。私は遊んでばかりいたので😭。

 では、私が六歳の時の、この貴重な手紙を取っておいてくれた、洋子姉ちゃん(叔母)に宛てた手紙をご覧ください。かなり恥ずかしいですね。
  れを書き終えると平成二十一年(2005年)九月二十日に始めたブログがもうすぐ累計記事1万件になります。あと35通です。  

   平成二十一年(2007年)七月に「エネルギー供給構造高度化法」というのが成立します。これは少し解説が必要ですね。

 石油製品は連産品です。原油を精製(原油をまず、トッパーというとこに入れてしたから高温で加熱すると、(ざっというと)一番上からLPG(石油液化ガス:プロパンです)、次にガソリン(というかナフサと呼びます)、その次に灯油と軽油、それから重油。最後に潤滑油とアスファルトが出ます。寒いから灯油だけ取り出そうとはできないのです。上から灯油軽油までを「白油:これが黒油に入る時もある(産業用燃料の時)」、重油以下を「黒油:重質油」と言います。通商産業省がオイルショックの時にバカな行政指導(ガソリンの値段をあげて、重質油の値段を下げた)をしたので、元売りは儲かるように「重質油分解装置」をたくさん作って白油(特にガソリン)の生産を拡大していきました。

 今回は、トッパーに対して重質油分解装置の比率を引き上げろと言っているのです。それも義務で。元売各社は、重質油分解装置の能力アップなんかしたら石油製品の需要減に逆行します。なので、精製能力の削減(分母)で対応します。

 結果として平成二十年(2008年)四月の28製油所:498万B/D(日量の生産能力)から平成二十六年(2014年)四月には。23製油所396万B /Dにまで減少しました。結果的には令和三年(2021年)三月には、21製油所で345万7,800万B /Dとなっています。

 それだけではなく、例えば、、販売能力よりも精製能力が低い(日本石油グループ)とその逆のエクソン・モービルグループグループが合併したためブラックマーケット(業者間転売玉)市場が劇的に縮小しました。これが石油業界が安定した大きな理由です。

 元売から特約店(出光は販売店)へ卸す価格とブラックマーケット市場の価格が10円/ℓ以上あったのが、2〜4円/ℓになりました。

 これを付け加えなければなりません。このエクソン・モービルまでも飲み込んだ巨大エネオスグループの販売シェアは50を超えました。石油の物流もほとんど業界の中で支配したのです。

 なので、出光興産と昭和シェルが合併しました。敗戦後の外資支配の日本の石油産業を隔世の感があります。長い間お読みくださって感謝申し上げます。どの石油会社も官庁もメディアも口をつぐむいわばなしばかりの「石油業界の歪み」シリーズでした。以上d


   れを書き終えると平成二十一年(2005年)九月二十日に始めたブログがもうすぐ累計記事1万件になります。あと36通です。   

  なんかくさ、ポイ活のほとんどのアプリが「遊んでいてもお金が稼げる(または遊ぶだけでポイントがもらえる」になっとろうが。えっ、なしてあんたはポイ活ば始めたとって?  世の中で流行りのマーケティング手法ば体験したかったけんたい。まずは、

 このやり方は
M( メーカー:製造業)→W(ホールセラー:卸売業)→R( リテーラーー:小売業)→C(コンシューマー:消費者)

げなITの出現でとっくに壊されている従来の流通経路がくさ、さらに粉々に破壊していくったい。もう消費者は出かけんでも、なんでんできようが。銀行口座・証券口座の開設やらもできるし、スーパーとかにいかんでもネットで申し込んだら持ってきてくれるし。

  そげな観点からいうたらくさ、金融機関も今のやり方を続けられんばい。金融の唯一の価値はくさ、「決済機能」ったい。今まで、日銀が決める金利動向に甘えてくさ、絶対に原価割れをしない商売をしてくさ、企業や消費者に汗を流して金を貸し付けるより、サラ金に貸し付けて儲けとる金融機関はくさ、このやり方でガタガタになるばい。さらに再編が始まろうや。競争力がない金融機関は潰れるったい。

 ただし、ITの世界は栄枯盛衰ば激しかとこやけん、新しい仕組みがどんどん出てこようが。その度にIT会社がM&Aされたり、潰れたりばい。俺が二十三年前に独立した時に付き合ったIT会社はくさ、原型を止めとるところが一社も無かろうが。だけん、この仕組みもいつまで持つかわからんばい。

 それと消費者の「遊び」とかくさ「楽」とかが生きる価値観になっていいとかいな。これは人間性がますます育たん国になるっちゃなかとかいな。「楽」と「楽しい」は違うったい。本当にしんどい思いをしてくさ、苦労に苦労を重ねてくさ、ようやくそれを乗り切った時は「楽しい」ったい。何も考えていきんどったらそら「楽」たい。

 facebookが出た時も思ったったい。すぐ「いいね」を押そうが。人間関係というのはくさ、コツコツコツお互いに積み上げてくさ、苦労に苦労を重ねてくさ、何年もかけてやっとでけるもうやろうもん。「いいね」で友達になれたらたまらんばい。と、思ったと。案の定、人間関係作りが下手な人間がいっぱい製造されとる。婚活アプリもそうやろうが。

 ばってんこの仕組みは、うもうやったらくさ、世の中の役に立つったい。そういう仕組みをみんなで考えんとね。

 特にくさ、六十、七十、八十、九十のジジイでも活躍できる場がくさ、なんか開発できそうな気がする。

 あっ、もうひとつ。サイバーセキュリティの観点から言うたらくさ、何が出てくるかわからんわ。システムと言うのはくさ、作った時は、それをどう悪用されるかが予想がつかんったい。これが一番こわかかも。

 次は何を書こうかね。楽しみにしときやい。
れを書き終えると平成二十一年(2005年)九月二十日に始めたブログがもうすぐ累計記事1万通になります。あと37通です。


すみなれし 都路(みやこじ)出て(いでて) 今日幾日(いくひ) いそぐもつらき 東路の旅

  私は、日曜日の讀賣新聞朝刊が大好きです。特に本紙とは別についてくる「よみほっと」が。日本全国各地の歴史を毎回紹介してくれています。

  今、讀賣新聞は、「政治」「経済」を除けば一番素晴らしい新聞ですね。政治部と経済部は勉強不足です(他紙はもっと酷いが)。社会部は、他紙と違い猛獣ではないので好きです。一番いいのは文化部。讀賣新聞は最近「よみうり抄」を上梓しました。読みたくて仕方がないのですが、どうやったら手に入るのだろう?でも、読んでなくても発表当時の日の讀賣新聞に掲載されていた記事を読めばその素晴らしががわかります(二月二十日のこのブログの記事)。

 これが讀賣新聞の理念なのですね。素晴らしい。

 昨日(三月二十三日)の「よみほっと」も素晴らしい記事でした。

 冒頭の和歌は、皇女和宮さまの詩です。(静寛院宮(せいかんのみや)御詠集)より)。そして昨日は岐阜県の中津川宿。もうすごそこは長野県です。馬籠宿などがあります。

  かつてこの地でもコンサルティングをしていました。栗きんとんがとても美味しく。秋になると中津川じゅうの栗きんとん屋さんが集まるお祭り見たいのがあります。それと、小さいけど、美味しい青果屋さんもあります(確か塚田商店)。他では買えない果物がたくさん。かつてここで「かりん」を買って「かりん酒」を作りました。美味かったなあ。

 おいしいパン屋も(あれっ、検索したら出てこない。なくなったのかなあ)。ここは飛騨高山で世界一を何度もとっているトラン・ブルーというパン屋さんのお弟子さんだったのに。

 それと、なんと言っても「くるまや」のそば。絶品です。蕎麦もうまいが、その後のそば湯がこれまた絶品。おっとコンサルに行ってたのに食い物の話ばかりですね。

 さて皇女和宮様。
  れを書き終えると平成二十一年(2005年)九月二十日に始めたブログがもうすぐ累計記事1万件になります。あと38通です。

  今の、俗に言う「中華人民共和国」には、憲法がありません。軍もありません。そんなことないだろう!って笑笑。

 支那共産党憲法と支那共産党軍ならあります。国家の上に共産党があるのです。ファシズムです。

 かつての日本のことを軍国主義だファシズムだとのたまう人がいますが、ファシズムの一番の敵は軍です。軍の一番の敵はファシズムです。両者は相ならびません。ファシズムであり軍国主義と言っている人は一体何を言っているのかさっぱりわかりません。

 そういうかつての日本をファシズムかつ軍国主義という人に限って、支那を礼賛しています。?が私の頭の中を10万個ぐらい駆け巡ります。

  また、その支那共産党憲法の漢字は、75%が日本が創ったモノだそうです。つまり、支那は今や日本文化の国だと、宮脇淳子先生がおっしゃっています。この方は素晴らしい研究をなされていますね。だけど、本当のことを書くので、いまだに大学や歴史学会で評価はされていません。いまだに講師です。

  日本に漢字が伝わってきた538年を「ごみや」で覚えませんでした笑笑。韓国は自国の言葉を捨て漢字文化にしてしまいました。支那でも漢字は、あの広い大陸で困らないような暗号のようなモノだったのに。日本は万葉仮名を創造するまで約500年近く漢字を使いませんでした。今や、支那共産党の方が、「早く日本人に字を創って欲しい」と思っているそうです。

 古代の支那の歴史の本、四書五経などを読みと特に五経は素晴らしく「字源」というものがあります。その後の四書以降の支那人がそれを曲げて使ってしまいました。

 たとえば「民」。この字は、彼ら支那人の考えてでは「良」と言う時の一番てっぺんの「点」のようなのをとった字でした。その字の「目に当たる部分」を一つとって「民」となりました。日本人はおおらかであまりそう言うことを気にしませんので、「民主主義」という言葉を創ったら、支那人は「衆愚政治」だと思っていしまいました。それでも、自分たちに字を創る能力がないので、使うことにしました。

 話を戻します。民という字は、先ほどの「良」のてっぺんを取ってさらに目の部分を一本とっています。つまり、「民は目くらだ(差別用語ですみません。文句があるなら支那に行ってください)」という意味です。つまり、民とは「何も見えない愚かな集団」として扱うのが支那なんです。


支那の遊女などは逃げ出さないように目を針で潰されていたそうです。日本の吉原が年季が開けた時のために和歌や書道などを教えていたのに比べたら天地の違いです。

 つまり、今の支那共産党に限らず、支那を支配した多くの辺境の人間たちも、法治国家など作らないのです。なぜなら、法治国家を作ったら自分がその法律で殺されてしまうからです。なので、いまだに人知国家です。恐ろしいですね。だから民を愚かな集団にしておいた方が「支配者は楽」なのです。日本の政治家に媚中の人間がたくさんいますが、なんでこんな国家を慕うのかがわかりません。

 菅原道真が、支那大陸は人殺しばかりやっているので、もう学ぶことはないと遣唐使をやめました。日本には見事に平和な平安文化が花咲きました。

 では、「臣」は? 
  れを書き終えると平成二十一年(2005年)九月二十日に始めたブログがもうすぐ累計記事1万件になります。あと39通です。

 今日はくさ、 受け皿アプリの話とラインウォークの話ったい。あっ、もう一回言うばってん。この前送った「博多弁大辞典」は読もうとしたらダメばい。このブログを読む時とかくさ、街で博多弁に触れた時に、「調べる」ごとして使っちゃりいやいね。

  昨日も書いたばってん、受け皿アプリは「PayPay」「Vポイント」「ポン太」ったい。なしてか。PayPayはくさ、いろいろなところで使えようが。Vポイントはくさ、もともとは蔦屋のシステムやったと(前にも書いたばってん)。それが蔦屋ではあんまりそのシステムがうまくいかんやったと。ばってん、北海道帯広市のオカモトげないう会社がくさ(蔦屋もやっとう)が、そのシステムで自社流通でまく使ってくさ、どんどん発展したったい。蔦屋がそれに気づいて、オカモトに勉強ばしに行ったと。それで蔦屋の「Tカード」がうまく行ったったい。そのTカード(Tポイント)の仕組みば、三井住友銀行とかと連携してくさ、「Vポンイント」に変えたと。これも結構でかいばい。ポン太は昔からよく知っとうし、ローソンによく行くけん受け皿にしたったい。

  それとくさ、ラインウォークの前にくさ、ポイ活の危険性も一つ言っとくばい。あんまり多くアプリをダウンロードしたらやおいかんくなることは言った通りったい。それとくさ、そのアプリでなんかするとくさ、「そのアプリ独自のトークンみたいやつからくさ、ポイントに転換せないかんと」「それと、転換する時に他のアプリの宣伝ばみないかんと。その宣伝パターンがたくさんあろうが」「さらに、このアプリをダウンロードして条件を満たさなポイントがつかんばいって言われると」などなどがあるったい。たとえばラインウォークでくさ(ラインウォークは結構簡単)、いっぱい歩いたらくさ、そのトークン見たいのをポイントに転換せないかんったい。その度にじぇんじぇん関係のなか宣伝ば転換するための宣伝ば見ないかんと」「さらにさらにくさ、獲得したポイントとによってはくさ、さっきの受け皿アプリになるまでにくさ、かなりタイムラグがあるったい」

  その時間に耐えるのがごっついつらかと。仕事の時間を削減すると。だけん、たくさんアプリを入れたらくさ、そのアプリごとにものすご時間が取られようが。それにくさ、そのしつこさがアプリによって違うったい。だけん自分の得意なこことを評価してくれるアプリがいいと。

 俺はくさ、ここんとこ毎日1万歩以上歩きようとって。昨日はくさ、なんと1万五千歩ばい。それとナンプレ(数独)が得意ったい。それとラインウォークがぴったりやったと。明日はその話ばするばい。
  れを書き終えると平成二十一年(2005年)九月二十日に始めたブログがもうすぐ累計記事1万件になります。あと40通です。

  前回は、各元売会社の首脳陣が地獄の釜の蓋をあけて自由化に対応したことをお話ししました(三月十三日)。

  でも、日本の石油業界(精製元売)の根本的な問題は、ダウンストリーム(ガソリンスタンドなどの流通で言えば下流)ではありません。精製元売のアップストリーム(流通で言うと上流)にあります。

  それが「石油業界の再編」「エネルギー供給構造高度化法と精製各社の対応」「石油関連税の廃止」です。三番目はまだ緒にもついていませんが。これは業界というより、国民負担率の観点から今後の日本には絶対に大切です。財務省と財務省の利権に脅されている政治家・メディアがこれを明らかにしません。民間消費支出を活発にし、経済成長をする(少子化・地方創生・被災地域の復興等にも絶対必要)ためにはこれは絶対に必要です(少子化・地方創生・被災地域の復興等にも石油関連税だけではなく他の減税も絶対必要)。

  日本の石油関連税は原油価格の高低により違いますが、約5兆円/年あります。これは後日書きます。

  まずは、前者二つから。今日は、そのうち「石油業界の再編」を書きます。
  れを書き終えると平成二十一年(2005年)九月二十日に始めたブログがもうすぐ累計記事1万件になります。あと41通です。

  「どの本よりわかりやすいスモールM&A」というタイトルを今日から「どの本よりわかりやすい経営資源の引継ぎ」とします。

  M&Aは「Mergers(合併)」と「Acquisitiions(買収)」です。前々から思っていたのですが、大企業のような敵対的MA&や大企業同士の経営資源の補完をしながら難しい合併などを実施することと「中小零細企業におけるM&Aは別物ではないだろうか」と。

  中小零細企業というのは、経営資源の脆弱性から、予想もしないほんの些細なことから組織が崩れて(ヘタをすると崩壊に至る)ことがままあります。ままあるという表現は不適切かもしれません。潜在的リスクとしていつもそれに身を晒されてしまいます。

  後継者がいないと言うことも、あらかじめわかってることなのに、それを顕在的リスク(イベントリスク)としてとらえず、潜在的リスク(グラュアルリスク)のまま放置する(または、被承継者が、自分はまだまだできると考える)ことも多くあるでしょう。

 会社を金のために売り渡す道具たとただ単に考えている欧米企業とは全く根本が違います。だって「合併」「買収」という簡単な言葉で片付けるんですもの。

  つまり「経営資源」という言葉の充実度が欧米と日本では全く違います。

 では、経営資源とは何か。欧米では「モノ(それも流通機能だけ)と金と『そのことだけに関係する』情報です」。では、日本では。
  れを書き終えると平成二十一年(2005年)九月二十日に始めたブログがもうすぐ累計記事1万件になります。あと42通です。

 昨日、読者のみなさんに送った「博多弁大辞典」は「大辞典」ばい。あれば読もうとしたら、博多の人間でも気が狂うばい。やけん、あの「大辞典」を最初に読んだらいかんばい。このブログを読んだり、他で博多弁に触れたりしたときにくさ「調べ」やいね。間違えたらいかんばい。

   さて、昨日はどこまで行ったとかいな。

  あっ、そうたい。最初は、手当たり次第に手を出しとった自分のことからやね。うちの女子社員に聞いたらくさ、「私もそんなに本格的にやっていないけど、何か得意なことからやれば」と言われたったい。そげんったい。最初はくさ「ふってえがってえどうじゃろかい」と思った俺やったけどくさ、人のせいではないったい。俺の不勉強が原因やのに、それをアプリのせいにしとろうが。相変わらず、いらちでアホな男ばい。

 だけん、なんでんかんでん手ばだして仕事の時間を食うっちゃなく、絞るったい。えっ?俺の得意なこと?

 歩くこと(習慣にしている)とナンブレ(数独)ったい。歩くことはくさ、最近始めたばっかりやけんまだ完全に習慣化はしとらんけど、雨の日はでけんばってん、曇りとか晴れの日は一万歩/日歩きよったい。これままたブログに別で書くけん。それと数独は超得意ばい。解けん問題はなかろうがと言いたいぐらいばい。そしたらくさ、さっきの女性社員が「ラインウォークなんかどう」と言ってきたけん早速調べたったい。アプリをダウンロードし始めったったい。やり始めたったい。

 もう一回経験したけんくさ、連携されとる他のアプリには手を出さんと、ラインウォークのアプリに絞ったったい。ポイントの受け皿は「Vポイント」「ペイペイ」「ポン太」たい。理由、ようわからんばい。ポイ活ばしよったら、自然とそうなったったい。受け皿自体が問題やなかし、受け皿アプリに登録されとるアプリにアクセスしたりすると大変やけん。あっ、明日それば言うけん。
  
 よし、明日は、受け皿アプリの話とラインウォークの話ったい(つづく)。
    れを書き終えると平成二十一年(2005年)九月二十日に始めたブログがもうすぐ累計記事1万件になります。あと43通です。

  アメリカを中心に、自立していないくせに偉そうな、日本のメディアはくだらないことばかりで国会を煽ります。アメリカもマーロン・イスク私をやめさせろとの大合唱。

  トランプの価値観は「経営」です。その価値観を企業から国家に変えただけです。マーロン・イスクも経営者。国の経営を良くしようとして国政やっているだけです。

メディアに経営はない

 これは日本もアメリカも同じです。まあ、支那共産党とロシアのメディアには経営はありませんが。

 アメリカはひどい。民主党はほとんど共産主義者で金にしかならないこと以外はしません。日本の企業もそれでいくら金を取られたか。その本質を知っている支那共産党から米国民主党には、驚くべき金が流れています。

  それにしても政治屋ばかりになった我國はひどい。自分のやりたいことが優先して自分たちがもっている経営資源「ヒト・モノ・カネ・情報」の中で「金を使うこと」しか考えていません。

  唯一、池田元総理大臣だけは、国民に稼がせる意識がありました。安倍さんもよかったのですが、官僚に負けました。

 石破なんて、自分のやりたいことばかり。それはわかっていましたが、国民の支持を受け自民党の「政局」が石破を総理にし、今、国民は大変なことを味わっています。失われた30年どころではない。

 国民の不勉強ががここまでくる国民主権に我國はなってしまいました

 ああどこへ あの素晴らしい 我が国が 国民のため 壊滅寸前
  れを書き終えると平成二十一年(2005年)九月二十日に始めたブログがもうすぐ累計記事1万件になります。あと46通です。

  保守とは何か

国体を破壊する狂気に対抗する力

です。政治家も官僚もメディアもみんな「国体を破壊する狂気」です。

 かつて、我國は「憲典体制」でした。第日本帝国憲法と皇室典範はそれぞれが独立していました。

 なぜ、独立していたか。それが国体だからです。日本の国体とは何か。古来、天皇家は「シラス(国民のことをきちんと理解する)」が天皇家の在り方でした。でも、それを確立するためには、天皇家は七転八倒の苦しみを味わいます。捨て去ったもの。それは
権力
です。権威だけを身に纏うなど、欧米・支那・ロシアではあり得ません。それを見つけるまでに中世まで時間がかかりました。、後醍醐天皇のような人も出てきました。天皇親政などという後醍醐天皇はずっと後ですが、中には日本の国体を知らずにいた天皇もいたのです。権力を手放す。それは苦しみ抜いてやっにとできたものです。

 大日本帝国憲法草案者の天才 井上毅(いのうえこわし)は、日本の歴史をとことん研究し、その「シラス」を見つけました。

これが国体かと。

 これを忘れてあのくだらない日本国憲法「典」の改正論議をしてはいけません。その議論自体が

                            国体を破壊する狂気

になっているからです。

  今、天皇家の後継問題が議論されています。無知な政治家たちは、なぜ、日本が世界で唯一歴史が連続した人間社会の奇跡の国 日本 なのかを学んでいません。その輩が、天才 井上毅の偉業(英雄でもいい)を否定しています。この議論をするなら

憲典体制

 戻すことから始めるのが筋だろうと言う政治家が一人もいません。だって憲法って、その国の歴史・文化
・慣習・文明でしょ?それを明文化したのが「憲法典」です。

 今、国民が愛子さまを次期天皇にとか騒いで、不勉強なメディアがそれを煽ります。

 じゃあ、「国の歴史・文化・慣習・文明で」が憲法だとしたら、愛子さまに一生独身でいろと国民が言うのですか? 

 1番の問題は何にか。

  国民が不勉強なこと

です。何が主権者だ。我國の歴史も国体も全く知らないくせに平気で次は愛子さまだと言う。まさに

国体を破壊する狂気

国民自体になっているのに気づいていない。メディアも気づいていない。

  繰り返します。我國の国体は、権力を一切取り除き権威に飲みによって地位を確立した天皇家なのです。七転八倒しながら。

  国民が歴史を学ばなくて勝手なことを言う、変な国民主権を叫ぶのが国体ではない。無責任すぎる。

天皇家の後継者問題で国民が口を出すな。不勉強なメディアはそれそ煽るな。

憲典が  なぜあったかも 知らないで 国体壊す 日本国民
  れを書き終えると平成二十一年(2005年)九月二十日に始めたブログがもすぐ累計記事1万件になります。あと47通です。

こげなとがあるったい。このシリーズを読んでくれとる人にはただで送るけん、言っちゃりやい。ラインかメールばい。これと「博多っ子純情」ばいう長谷川法世先生の漫画ば読んだら、「あなたも博多っ子」ばい。ちなみに、この漫画にでとる、石堂高校は、俺の母校の福岡県立福岡高校ばい。進学校のくせにくさ、いっちょんそげな雰囲気がなか、よか学校ったい。こっちの端っこには造り酒屋があってくさ、あっちの端っこには専売公社(タバコ)があったったい(今はないけん)。だけん、風の吹きようでタバコの匂いと酒の匂いがしようが。かなりくさ楽しい学校やったばい。

 それでくさ、久しぶりに博多弁ば使うけん、よーと自信がなかったとって。博多弁に。そやけん、バリバリの博多の山笠男のT君にくさ、「間違っとったら教えちゃりいやい」げな、ラインばしとったとって。そげんしたらくさ、返事が来て「あっとる」げな。嬉しか〜。いわせんめいが。


 それでくさ、昨日の続きったい。簡単な話、アプリばダウンロードしすぎたとって。素人やけん。やおいかんめいが。一個、ポイ活のアプリをダウンロードしてくさ、そこからポイントば稼ごうとしたらくさ、他のアプリをダウンロードせんと、ポイントにならんったい。それとか、ゲームとか色々せんとポイントにならんったい。ポイントになる前もくさ、コインとかなんとか訳のわからん言葉が出てきてくさ、それにまた対応ばせんとポイントにならんめいが。

 仕事の時間がどんどん奪われようが。こげなことやっとられんって。こげんしよったら、うちの女性社員にウエスタンラリアートばくらうばい。前振りはくさ「何もせんでもポイントが貯まる」げな。綺麗か姉ちゃんが言うったい。こくな(うそつくな)。だけん作戦ば変更したと。いつものいらちの性格を捨ててくさ、じっくりいくこととしたとって。アプリは絞り込んだとって。まあ、明日も聞いちゃりやい(つづく)。
  れを書き終えると平成二十一年(2005年)九月二十日に始めたブログがもすぐ累計記事1万件になります。あと48通です。

 来週から再来週にかけて一気に暖かくなり、全国で櫻が開花しますね。そして再来週から次の週では、櫻が満開! 楽しみですね。

 ああ、靖國神社に行きたいなあ。英霊たちは、「離れ離れに散ろうとも花の都の靖國神社 春の梢に咲いて会おう」と誓い合いました。亡父も言っていますが、「それは死ぬのは怖い。だけどなあ健、俺が死ねば愛する国家と愛する家族が護られるんだ、とみんは思っていたんだ。そんな崇高な精神文化がかつての日本にはあったんだ」といつも言っていました。親父、天国で先に亡くなっていった旧友たちと会っているかい? じいちゃんと会っているかい?

願わくは 花の下にて 春死なむ その如月の 望月のころ

  私は、西行のこの死生観が大好きです。いつも覚悟を持って生きる!と言っています。

ひさかたの 光のどけき 春の日に 静心(しづこころなく) 花の散るなむ

 中学かなあ高校かなあ。この歌に百人一首で出逢った時に、「なんて美しい歌なんだろう」と思いました。昔の日本人は、何かに出逢うと何かを感じ和歌にする強さがあったんですね。こんな歌を歌えるようになりたいなあ。

 明治天皇の御製です。

見わたせば つらなる櫻 さきみちて 朝日に匂ふ 春のたのしさ


(拙首です)
幼き頃 桜吹雪が 舞い散れば その美しさ 心に遺る
  れを書き終えると累計ブログ記事1万件まであと49通です。

  メキシコオリンピックが昭和四十三年(1968年)にありました。私は十歳です。日本選手の活躍にワクワクしてTVで観ていました。特にサッカー!  なんと銅メダルを獲得したのです。ウイングが杉山選手(三菱重工)がサイドを瞬足で駆け上がり、センタリングをあげます。それを釜本選手(ヤンマー)が豪快にシュート!!!とても興奮しながら観たのを覚えています。

  昔は、今のようにスポーツのテレビ番組の放映が盛んではありませんでしたので、オリンピックで活躍した種目を子供達は真似てやっていました。次の昭和四十七年(1972年)のミュンヘンオリンピックなんか、松平監督が率いるチームが金メダルを獲りました。日本中狂喜乱舞です。「おおこ選手(すみません。漢字を忘れました)」「猫田選手」「横田選手」などスター選手の勢揃い。一人時間差、天井サーブなどなど日本が開発した世界初めての技もいっぱい。子供達は昼休みにバレーボールをするようになりました笑。

 スポーツは子供達に夢を与えます。今でも、サッカーは大好きです。特に今の日本のデフェンダーが守備ラインを前に前に上げて戦う姿はすごい!あれ、きっと怖いですよね。勇気がいる行為だと思います。たかだか高校時代のクラスマッチの経験ですが、うちのクラスにサッカー部のキャプテンA君がいました。もちろんサッカー部はその種目のクラスマッチに出ることはできません。サイドで我々クラスのチームのコーチングをやっていました。A君は、守らせずに私一人をバックスにおいて後は全員上がらせるのです。「大丈夫だ!相手があげてきても宝徳が阻止する。宝徳に足で勝てるやつはおらんやろ。宝徳がボールを獲ったら前に出ろ!あいつにキック力にかなう奴はおらんやろ」と、本当はシュートをしたい(笑)私をバックスに置き去りにしたんです。私は、その時、サッカーの素人でしたから初めは意味がわかりませんでした。でも、「ああ、勇気を持ってデフェンスラインを上げることは一つの大きな戦略なんだ」と思いました。こちらはクラスマッチレベルの話なので、比べようになりませんが、なので、今の、日本代表の世界レベルでの戦いでのあの戦法はものすごく怖いのにやりきっています。すごいなあ。
 
 選手はこんなに凄いんだから、サポーターは間違えた行動をするな。 最近、だいぶん少なくなってきましたが、まだ、サッカーはたくさんあります。

日の丸の赤いところに字を書くな!!!

 やっぱり強い日本代表! 昨日も圧倒的な試合だったみたいです。おめでとうございます。「だった」と書いたのは、最初、TVで応援しようとしたのですが、あの、馬鹿サポーターたちの日の丸の赤いところに字を書いて日の丸を振る姿を見て、悲しくて悲しくてチャネルを変えてしまいました。情けない。
 
 自分たちはそういう教育を受けていないという人もいますが。私だって受けていないけどそんなことは日本人として当たり前ですよね。海外なら国旗侮辱罪です。

日の丸の 赤いところに 字を書くは 日本の恥を 世界に示す 
  れを書き終えると累計ブログ記事1万件まであと50通です。

  出光興産株式会社勤務の時に欧州に出張に行く機会がありました。アメリカ出張は一度行っていますが、欧州は初めてです。とても楽しみでした。ロンドン、ポルトガル、マドリッド、パリ、スイス、またパリで日本に帰ってきました。

  確か、十一月に行ったと思います。。フランス革命が始まったのが寛政元年(1789年)七月十四日で、終わったのが寛政十一年(1799年)十一月九日です。コンコルド広場で鼓笛演奏が行われていました。コンコルド広場というのはマリー・アントワネットが斬首されたところです。ルイ十六世はそんなに暗愚な王ではありませんでした。フランス最後の絶対君主で最初の立憲君主です。この世で一番優れた政体は間違いなく立憲君主です。我が国は今でもそうです。マリー・アントワネットはルイ16世の妃です。マリー・アントワネットも、幼い頃は寂しさからわがままだったかもしれませんが、成人してからは立派な王妃でした。ギロチン台にあがるとき、処刑人の足を踏んでしまった時も、立派な言葉でお詫びを言っています。

 その鼓笛隊の近くにいたフランス人の言うところでは、フランス人の多数は王制を廃止したことに悔やんでいるそうなのです。フランスでは今でも、デモが頻繁に起きます。日本のことをデモが起きない民主主義の未熟な国ともいいます。

 自分たちが選んだ議員が国会で決めたことをデモでひっくり返そうな国に言われたくない。これって、でもではなく「テロ」ですよね。

  閑話休題、地下鉄サリン事件から今日で三十年です。被害に遭われた方のお見舞いを申し上げるとともに、亡くなった方には心から哀悼の意を表明します。
  れを書き終えると累計ブログ記事1万件まであと51通です。

  ポイ活ばくさ、いろなとこで、目に入るようになったったい。最初は、「そげなうまか話ばあるはずなかろうもん」と思い寄ったったい。本屋でくさ、ポイ活の本ば目に入った時に、ちらっと観たけどくさ、「月に5万円もうかる」とか「月に20万円もうかる」とか書いとろうが。そげな話ば本当やったら、俺らは何のために働いというとや。と思ったったい。ばってんくさ、心の中では、「バイト感覚で労力がかからんとやったら興味があるばい」と思いよったと。「うまか話には乗らんどけ」という昔からの教えばあるとに、おれのすけべ心が少しずる芽生えてきたったい。

  そう思わんや。かみさんが全く知らん金がでけるとよ。自分だけで自由に使えるとよ。帳簿にも乗らんとよ。外で好きに飲めるとよ。ばってん、ペイペイとかポン太とかVカードやらいっちょんわからんし、どげな仕組みかわからんめいが。

  まあ、とりあえず、やってみるかと思ってくさ、手当たり次第、アプリば、APPストアからダウンロードしたと。これがくさ、とんでもないlことになったとって。また、明日聞いてんやい。やおいかめいが。
  れを書き終えると累計ブログ記事1万件まであと52通です

  今日から二十四節気は春分ですね。いよいよ春です。天気も一転して明日からかなり暖かくなるそうです(知らんけど:大阪弁)。さすが昔の人ですね。暑さ寒さも彼岸までと言っています。春分とは、太陽が天の赤道を南から北に横切る交点(春分点)を通過する日です。昼夜の長さが同じになる日です。

  そして、七十二候は、春分 初候 雀始巣です。すずめはじめてすくう と読みます。雀が巣を作り始める頃です。春から夏にかけては雀にとっての繁殖期です。せっせと枯れ草や毛を集めて巣作りをします。

  息子が小さい時、「すずめのお宿」「おむすびころりん」の本が大好きでした。この2冊は、何回も読まされて、今でも暗記しています笑。息子も私がいない時は、この2冊の本を一人で読めるようになっていたそうです(かみさん言)。「すずめのお宿」は、歌も教えました。


すずめ すずめ おやどは どこだ
ちっちっち ちっちっち
こちらでござる

おじいさんよくおいで
ごちそういたしましょう
お茶にお菓子
おみやげつづら

さよなら帰りましょう
ごきげんよろしゅう
来年の春も
またまたまいりましょう

でしたっけ?笑。我國の民謡っていいですね。心がほっとします。

おにぎりに スズメのお宿 子供の頃 一寸法師と ともに歌ひて
  れを書き終えると累計ブログ記事1万件まであと53通です。

  前回、BCPの目的は人創り・組織創りだと言いました。では、どんな人創り・組織創りでしょうか?

  その組織全体とそれぞれの人が「有事に即応で対応し・平時には有事がいつ発生してもいいように緊張して仕事する」ことなんです。

   つまりBCPの目的は「有事の即応・平時の緊張の人・組織創り」です。

   そして目標がRTO(目標復旧時間:Recovey Time Object)です。

  必ずこの確認をしてからIT-BCP の作成に当たってください(BCPも同じ)。防災訓練とは全く違います。

  前に、災害等のBCPを違ってIT-BCPは「リスク・アセスメント」から始めてくださいということを理由とともに申し上げました。これは、手段です。物事は、必ず、

目的→目標→手段

の順に考えなければなりません。目的がない目標、目的も目標もない手段は絶対に避けないと社員は、「誰のために何のために仕事をするか。何をいつまでにどれだけするか」がわからなくなってバラバラに動いてしまいます。目標から入ってもいけません。なぜこの目標なのかがわかりません。
  れを書き終えると累計ブログ記事1万件まであと54通です。

 明日から4日間は、仕事と勉強の合宿(在宅)に入ります。楽しみ〜。
 
 さて、これからは博多弁で。このシリーズの記事は、長い文章にはしませんから「続きを読む」の前の博多弁の文章を「続きを読む」の後に標準語に翻訳します。かなり古い博多弁ですので、今の若者はこんな言葉は使わないし、もしかしたら、知らないかもしれません。私も、しばらく使っていないので、間違えた使い方をしてもお許しください。

 これを博多弁に変えます。

 あのくさ、今から書く文章はくさ、博多弁ったい。このシリーズの記事はくさ、長い文章かもしれんばってん、「続きを読む」の前の博多弁の文章を「続きを読む」の後にくさ、標準語に翻訳するけん、がまんして読んじゃりやい。ばってん、ごっつい古か博多弁やけん、今の若い人はこげな言葉は使わんかもしれんちゃんね。もしかしたらこげな言葉は知らんかもしれんったい。俺もくさ、しばらく使ってないけん、間違えた使い方をしとったら許しちゃりやい。

です。では、書きます。

  あのくさ、最近の日本語はくさ、ようわからんめいが。「やばい」げな言葉もくさ、元々は「あまりよくない」という言葉やろうが。そげんして聞いとったらくさ、なんか「すごい」とかいう言葉げな。いっちょんわからんめいが。あと「バズった」げな言葉もいっちょんわからんめいが。だけん、調べたったい。今は、便利かね〜。スマホですぐに調べられようが。「バズる」は「流行る(はやる)」げな。なんやそれ。

 そしたらくさ、次にくさ「ポイ活」げな言葉が出てこようが。俺はくさ「ゴミ捨て」でポイってすてる活動かと思ったったい。それがくさ「ポイントば活用した生活」げな。それはそうやね。物価高で主婦もやおいかんめいが。たまらんめいが。

 この「ポイ活」ば知ってくさ、俺もやってみたったい。そしたらくさ、なかなか面白かろうが。いわせんめいが。やり始めは、結構めんどうでくさかったばってん。うらんしかばってん。

 だけん、ブログにシリーズで書いて、年寄りも、新しか「マーケティング」とかいうやつに乗った方がいいと思ったったい。これから書くけん読んじゃりいね。

おっと、こんな記事ば長く書いとったらくさあ、社員に「なんしようと、仕事ばせんね」って、怒られるかもばい。だけん、長い文章ば書かんけん、絶対読んじゃりやい。うちの社員は怖かったい。
  れを書き終えると累計ブログ記事1万件まであと54通です。

   「母から叔母への命の手紙」をこのブログにシリーズで書いています。以前は父から私の息子への手紙のことを書いた「命の手紙」もこのブログに書いていました。私はかつて150枚/月(300枚が目標だったがついにいかなかった)手紙を書いていました。息子が小さい時は毎週書いていました(今でももっていてくれます)。年賀状は500枚〜800枚を毎年書いていました。士魂商才は郵送で200部書いて郵便で出していました。

 今は、すっかりご無沙汰で、いろいろ原稿は書くのですが(自分の勉強のため)、このブログやLINEに頼っています(Facebook、X,Instagramは、前やっていたのですが、たくさん返信が集まると返す時間が大変で仕事にならないからやめました。Xは、人の悪口ばかり言っているから嫌いです)。

  でも、叔母(洋子)が遺しておいてくれた「母と叔母への命の手紙」を読んでいると、母と叔母のことだけではなく、秋武(母の実家)の歴史、その時代の歴史、我が家の歴史等がきちんと「遺って」います。残ってではなく。

 これ「現在の」インターネットではできないですよね?インターネットを否定していつのではなく、歴史というのはいかに大切かを述べています。今は、国民が「真理・真実・事実」の歴史を探求しない時代になりました。つまり、不易流行ができなくなっています。とても危険です。

 どんなに技術が住んでも、人間が生きていてぶち当たる(この表現が一番適切)困難は、もう長い人類の歴史の中で誰かがどこかで経験しています。なのに、同じ失敗を繰り返します。

 「支那大陸から離れたらどだけ日本が幸せになるか」「緊縮財政の弊害の歴史は、室町時代からわかっているし、最近では江戸時代の三代改革が緊縮財政で全部失敗している」「昭和恐慌は金融政策の失敗。共産主義が拡大した」どなど。

 「織田信長の楽市楽座、徳川宗春の活性化経済策、明治時代の富国強兵、池田勇人元総理大臣の諸国倍増計画、アダム・スミスの国富論」などの歴史の勉強も足りない。

  ネットで「遺す」こともできますが、それらの歴史をAIを使ってアーカイブして、効果的に今の世の中に役立てる。それを、私の息子が古文書で地域活性化をしている事業です。

 東日本大震災の時は、アナログの新聞がよく読まれたそうです。ですよね。今、デジタル技術が使えなくなったら生きていけない人間ばかりです。

  火のおこしかたを知っていますか?  水の作り方を知っていますか? 山芋の掘り方を知っていますか?

 閑話休題。デンマークが郵便事業に四百年の幕を下ろすそうです。
   れを書き終えると累計ブログ記事1万件まであと55通です。

  最近のマーケティングは「稼がせて使わせる」が主流になっていますよね。例えばPayPayとかVポイントとかポンタとか。Vポイントは前の名前をTポイントと言いました。その前なんだっけな。蔦屋が開発したのですが、蔦屋の流通でもなかなかうまくいかなかったのです。それが北海道帯広市にあるガソリンスタンドをはじめいろいろな小売・サービスをやっている、オカモトという会社が、(名前は忘れましたが)この仕組みを使い見事に成功させました。蔦屋はそれを参考にしてTカードを改善ました。今や、三井住友銀行のオリーブとういうカードとまで連携しています。  その仕組みは「遊ばせて(客にある程度)儲けさせてそして、商品やサービスに使わせる」等仕組みです。遊ばせてはゲームやアンケートや映画などで遊んだらポイントがもらえて儲けられます(今更説明は不要ですが)。そして、いろいろな業者の仕組みがお得に使えて使ったらまたポイントがついてそのポイントが買い物する時に使えます。

  PayPayやポンタも同じです。

  もう昔のM(製造業)→W(卸売業)→R(小売業)→C(お客様)という時代は崩壊しています。

  これだけITが発達し、そして、流通形態などがプラットフォーム化してきたら当然です。

 さて、令和の米騒動は、まだ収まりそうにないですね。政府が備蓄米を入札しました。遅きに失した感があります。でも、いまだに政府が「Wの卸売」をしても意味ないでしょう。PayPayやVカードやポンタなんかの仕組みを官僚に作れと言っても無理でしょうから、民間企業がこんな仕組みを開発したら、10年間、その企業と利用客は消費税なしにするとか、その仕組みに投資したお金は100%全額減価償却か20%ぐらいの税額控除にするとか。そんな枠組みを作って、物価高に喘いでいる消費者を救う知恵はできなかったのかなあ。

 農産物でこういうのを作ったら、もう全農や経済連や農協はいらないよね。そうすると流注コストが安くなるので価格も下がるよね。

 とにかく、利権を守る「タイト」経済の仕組みを廃棄するのは経団連とかの頭の古い人には無理です。

 市場最高の経済学者と言われたヨーゼフ・シュムペータ(アントレプレナーとか創造的破壊の言葉を作った人)が、均衡状態は停滞なんだ。だからイノベーションを社会に起こしまくれってい言っています。

 そして誰だか忘れましたが、「イノベーションのジレンマ」(三月二日にこのブログ記事参照)」が膠着した組織破壊のヒントをくれています。

 不易流行は大事だけど、今の、我が国は、「利権団体の不易」が「若者の流行」を邪魔している嫌いがあります。徹底的に自分たちだけが設ける社会を作るのではなく、もっと「しなやかな」社会を作って若者の成長を引き出しましょう。

 今更、米の入札はないだろう爆笑。これでは米の価格は下がりません。もっと創造的破壊をしないと。

世の中の 今ある仕組みを 破壊する 利権の破壊 組織の破壊

その破壊 新たな価値を 生み出すか その知恵づくり これが政策

100万円  配って喜ぶ 人がいる こんな人には 総理はできぬ
   れを書き終えると累計ブログ記事1万件まであと56通です。

  今、みなさんがトランプのことを言っていますが、過去の外交交渉を紹介しましょう。まずは、榎本武揚です。
  れを書き終えると累計ブログ記事1万件まであと57通です。

  前回は、IT-BCPはリスクアセスメントかリスクアセスメントからやると効果的だと申し上げました。

  これに対する質問「なぜ?」に加えて、宝徳流BCP(ITに限らず)の「目的」を事例を交えてお話しします。

  宝徳流BCPの「目的」は

人創り・組織創り

です。このことを言っている専門家はあまりいないと思います。
 れを書き終えると累計ブログ記事1万件まであと58通です。

 今日は、大明日✖️月徳日✖️神吉日だそうです。最強の日ですね。

大明日(だいみょうにち):太陽がすみずみまで照らしてくれる日です。太陽神 天照大神様をもつ日本には最高の日ですね。旅行や建築、引っ越し、入籍など人生の新しいスタートをする日です。新しい慣習を受け入れる日でもいいですね。

月徳日(つきとくにち):その月を司る神様から「福徳」をいただける日です。つまり、その月のラッキーディです。

神吉日(かみよしにち):かみよしびとも言います。神社への参拝や、祭礼、祖先を祀るなどの祭事にいい日です。私は毎日、我が家の神棚拝礼、伊勢神宮遥拝、宗像大社遥拝、橿原神宮遥拝、明治神宮遥拝、大正天皇陵遥拝、昭和天皇陵遥拝、皇居遥拝、仏壇礼拝(祖先)をしています。今日もやったぜ!

 でも、どんな日でも、良い日にするのが人間ですよね。


  さあ、次のランクがマスターズ1000です。男子プロテニス協会のことをATP(Association of Tennis ProfeSSiomals)と言います。ATPが運営するテニス大会をマスターズ1000と言います。これもすごい大会で世界の上位選手が集まります。グランドスラムなどの1年間で上位のランキング8位までが出場できる大会をATPファイナルと言います。錦織選手も常連でした。大会は9つです。優勝賞金は1億円以上、準優勝でも5000万円以上です。順位によって賞金配分があるのがマスターズです。テニス選手もここまでくればかなりリッチです。ちなみに錦織選手が世界ランク4位のころの年収はスポンサーの金額も入れて20億円以上だったと言われています。錦織選手が前の試合にマスターズ出場を果たしました。あんな大怪我をして、あの歳で、まだマスターズで戦えるのはすごいことです。そして、何より、諦めずにやっている錦織選手のタフさには敬服します。テニスの5セットマッチはマラソンよりきついと言われています。3セットマッチでも接戦になれば1試合でかなり心身が消耗します。

  次が、ツアーです。これは500と250(ATPポイントと賞金が違う)に分かれます。これに参加できるのはおそらくランキング100位ぐらいまででしょう。でも、100位になればというか、もっと下でも、このランクになればテニスだけでも飯が食っていけます。スポンサーもかなり手厚いサポートをします。テニスに関する費用(旅費交通費、ウエア、シューズ、ラケットなど)は金がかかりません。500が13試合ぐらい。250等ランクについては、下に下がるほど、ポイントや賞金が少なくなりますが、数が増えていきます。

  その次が、チャレンジャーです。チャレンジャーになれば、「俺はプロだ!」と言えるのかも。ただし500位以内でしょう。

 最後がフューチャズです。これは国際テニス連盟(ITF Men's World Tennis Tour)が主催するプロフェッショナルのテニストーナメントです。かなり拮抗した実力者揃いが揃います。鎬を削っています。でも、ここを乗り越えないとチャレンジャーにはいけません。今回、錦織選手がベスト4に残ったのはここです。体力的にもしんどいですね。でも、応援しています。またあなたが、グランドスラムの上位に来るのを期待して。次は、少し間をおいて女子を書きますね。

あきらめない その力こそ 素晴らしさ 選手の気持ち のせる大会
  れを書き終えると累計ブログ記事1万件まであと59通です。

  今日の手紙は、妹(幸 みゆき)が、日銀に入社したばかりの新入社員の時のことです。

  彼女は、姉弟妹で、一番頭が良いと思います。絵のセンスなんかも抜群です。

  今日は、前置きを短く笑。では、母から叔母(洋子)への手紙です。母が、出光無鉛金アポロガソリンのハガキで送ってくれています。なつかしかったのでしょうね。

  これ妹は知っているのかなあ。別に恩着せがましくいう訳ではないけど、妹は親戚(父のすぐ下の弟)から「生まれたらうちにください」と言われたそうです。父も母もずいぶん悩んだのですが、姉と私が猛反対したみたいです。だって、可愛かったもの。

 今、嫌われていても、こうなってよかった。
  これを書き終えると累計ブログ記事1万件まであと60通です。

  テニスの下部退会「アリゾナ・テニスクラシック」で錦織選手がベスト4に入りました。これはチャレンジャーという大会で、昔の錦織選手だと出場する大会ではありませんでした。長い怪我の治療を経て復活してからはかなりいろいろな大会に出るようになっています。チャレンジャーは今季初出場です。前の大会はマスターズです。これはすごい。

 彼は元世界ランキング4位です。男子テニスの大会ランクを書いておきますね。新聞やニュースで見てもどの大会が何かがわからないと思うので。

 グランドスラムは4大会しかありません。世界最高峰です。


    れを書き終えると累計ブログ記事1万件まであと61通です。

   明日、十六日から七十二候は、啓蟄 末候 菜虫化蝶です。なむしちょうとなる  と読みます。

   菜虫が長隣、飛び交いはじめる頃です。菜虫とは、大根や蕪などの葉を食す青虫のことで、一般的には蝶の幼虫です。

 その次に待っているのは春分です。ひどく暑い夏と寒い冬でしたね。何億年と言う地球の歴史にはこんなこともあるでしょう。

  幼い頃って、この頃は何をしていたかなあ。田んぼの畔に冬を越した魚たちが元気に泳ぎ始めます。それを撮りに行ってたかなあ。鮒はよく獲りましたが、鯉は獰猛なので、怖くて獲れませんでした。まだ、私の小さい頃にはめだかもたくさんいました。今、みないですよね。どうしたんだろう。

  蝶々は、よく採りました。もんしろちょうのシウロイのと黄色いの。アゲハ蝶はまだ飛んでなかったような。だんだん暖かくなる頃だったので、ワクワクしていたのかな笑。外を走り回ったこと以外は・あまり覚えていないや。

万葉集などの、 古い歌集にもあまり蝶の和歌は載っていません。でも、日本が菅原道真のおかげで支那大陸と離れ(我が国は、支那大陸から離れるととても幸せになります。そうですよね。あんな野蛮で不潔な国ですから)、平安文化が花咲いたころは蝶の和歌も出ています。

  枕草子で

みな人の 花や蝶やと 急ぐ日も 我が心をば 君ぞ知りける
 
と、中宮定子が歌っています。

 なぜだろう。和歌の蝶の扱って今ひとつですよね。

 まあ、いいか。今年もちょうには「おしべ」を懸命に運んでもらいましょう。

そっと寄り 蜜をあじはふ 蝶の羽を 指で挟んで むしかごいれる
 れを書き終えると累計ブログ記事1万件まであと62通です。

 記事をたくさん書いていますが、みなさんはご興味のあるところをお読みください。読者が多数いていろいろいただいたリクエストを書いています。どうぞお気軽に。


  かつてを書き終えると累計ブログ記事1万件まであと62通です。

  今は、そんなに酷くありませんが、1969年に結成された共産党系の日本左翼の一つに、共産主義者同盟赤軍派(以下、赤軍派)というのがありました、このような共産主義左翼集団というのは結合や分裂を繰り返し(整理するだけでも大変)、欧米の宗教と一緒で、根は同じでも他の派閥のことを一切認めません。相手のことが大嫌いで、お互いに殺し合っていました。新聞紙上を彼らが登場しないことはありませんでした。1970年代〜1980年代です。

 手段はひとつ! 武装蜂起です。共産主義のテーゼである「金持ちや政府をぶち殺し共産主義革命を起こす」という。これが共産主義です。共産党は「私たちは違う」というなら党の名前を変えろよ。

 「共産主義」という言葉は、日本人が作った言葉です。日本人は言葉の天才です。共産主義ってなんかいや〜な感じがしますものね。

 赤軍派等、共産主義左翼は、大阪戦争、東京戦争、よど号ハイジャック事件、銀行強盗、郵便局襲撃。大企業の爆破(間組や三菱重工など)を起こしました。

 私が高校生・大学生の頃は、こいつらの起こす犯行がまだありました。今でも、中核派や革マル派などは、お互いに殺し合っています。バカですね。

 池田勇人元総理大臣の「所得倍増計画の実現」がなかったら、日本は共産主義になる危機にありました。すごい総理です。今まででNO.1でしょう。

 なぜ、これと北朝鮮の拉致事件が関係あるのか。

  これを書き終えると累計ブログ記事1万件まであと63通です。

 記事をたくさん書いていますが、みなさんはご興味のあるところをお読みください。読者が多数いていろいろいただいたリクエストを書いています。どうぞお気軽に。
  
  今回、父が作った冊子には、祖父 義一の写真が載っています。



 このブログでも繰り返し掲載しています。私は二十代と思っていたのですが、この頃の祖父は三十歳だそうです。それにしても当時の若者というのは迫力が違います。この写真が部屋に飾ってありました。家の中のどこに居ても、会えなかった祖父に睨まれているような気がしてなんだかいつも怒られて怖くて仕方がありませんでした。92年前の写真です。

 この写真に関する父の冊子のコメントです。
「この資料(写真)は、皇紀二千六百年(昭和15年)に出版された『咸南名鑑』(元山毎日新聞社刊行-国会図書館蔵)を抜粋したものです。この名鑑には昭和8年5月に自分のカメラで写した30歳の時の写真が掲載されています。この資料によると、昭和13年、佳男(父)の同級生の父-堀平吉氏(明治22年生)が咸南魚聯(ぎょれん)理事長となっています。この資料ではまだ、洪原群牒(こうげんはらちょ)時代に「一緒だったのではないかと思われるものがあります。堀氏は経理でお父さん(祖父)は産業(水産)です。

  では、親父の冊子からです。この前の続きから。
  
  れを書き終えると累計ブログ記事1万件まであと63通です。

  先ほど、出光興産時代の大先輩で本社時代の直属の上司でもあり、弊社でも何年かお仕事を手伝っていただいた方からお電話がありました。岩手県大船渡市の山林火災で被災した企業の件です。

  守秘義務がありますのでその企業の被災については申し上げるわけにはいきません。

  一度だけ行ったことがありますが、風光明媚な素晴らしい街です。
 
普段はこんなところです。それがこうなってしまいました。両方とも大船渡市のホームページからです。


 この赤の部分が燃えています。

 奈良県の山林火災、大船渡の被災。能登の被災。やはり頼りない内閣のときは災害が頻発します。

 石破は、総裁選のときに、みんなに対して国民に対して、「まず能登の災害に対しての対策を講じてから首班指名だ」とふんぞり帰って言いました。それが総裁に選出された時、よほど総理になりたかったのでしょう。森山だかなんだかわからない議員を側近において、突然、首班指名に入りました。

  もとから「石破は共産主義左翼リベラル(本人はアホだから気づいていませんが)と思っていたのにメディアの「みんなが石破を望んでいる」という洗脳に国民が騙されて、なんと総理大臣になってしまいました。

 総裁選の時と総裁になった後で、発言がまったく違っています。こういうのも珍しいですね。今回の衆議院の採決とその後でも、「なんで!」といった感じです。

 そういう感じですから。激甚災害指定はするでしょうけど、石破の頭がこんがらがっているので、十分な対策は期待できません。本当は総理にしかできない決断があるはずです。トランプを見習えよ!アメリカ大統領は地上最弱の国家リーダーだということをご存知ですか? アメリカは三権分立ではありません。行政の長の大統領が一番弱いのです(戦争の時以外は)。でも、あれだけやっています。

 今、決まっている最新の経済産業省の災害対策だけまず掲載します。

 こういうときに、どうすればいいのかはまた、すぐに書きます。
  れを書き終えると累計ブログ記事1万件まであと64通です。

  この前、M社のT社長の自由化におけるオーナーシップの話をしました。オーナーシップとは「どうしようもない困難な状況(答えがない状況)に陥った時に、自分に負けずに、その困難な状況に対して、自分で意思決定して、自分で行動して、自分で責任を取れる人」です。T社長は見事にオーナーシップを発揮し顧客と従業員と各幹部の信頼を得ました。

 では、元売の経営陣はどうだったのか。経営陣といっても、こういう事態に陥ると、判断から逃げようとする経営者ばかりです(普段は偉そうなくせに)。そして、そこでリーダーシップでオーナーシップを発揮する「男」の失敗を望み失敗を笑おうとします。無責任集団です。悪党集団です。官僚です。政治「屋」です。出光興産でこうだったので、他社は押して知るべしです。

 こんなのが今の日本にはうじゃうじゃいます。民間企業にも。これが利権集団です。

 私は命を閉じるその瞬間まで、こういう輩と闘います。

 私は、人間的には大嫌いでしたが、ある役員がこの石油輸入の困難に対して立ち上がりました。

 嫌いと尊敬するは違うのですね笑。この人は、鬱陶しいけど優しさを兼ねた強い人だったのです。私の理解不足でした。

 当時の出光興産は、ガソリン・灯油・軽油・重油(潤滑油等は除く)で、400万kl/売っていました。もしこれが自由化によるガソリンの値下げに伴う中間留分(灯油・軽油・重油)のね気に失敗したら1円/ℓ・年(1,000円/kℓ・年)で、40億円、1円どころで収まりません。おそらく10円から15円違ってきます。つまり、400億円から600億円です。これが毎年毎年延々と続くのです。

 行政の規制でがんじがらめだった石油会社は、(販売量より生産量が多い会社を別にして)、毎年決算を組むのが四苦八苦でした。毎年、資産売却をして資金を捻出していました。
   これを書き終えると累計ブログ記事1万件まであと65通です。
 
   前回は、BCP( 事業継続計画:Business Continuituy Plan)の基本概念とBCPの価値は

RTO
(目標復旧時間:Recovey Time Object)


であることを申し上げました。そして、それが防災計画との違いで行政は企業にやれやれというけれど、行政の仕事にはRTOがないことも申し上げました。

 次にIT-BCPをみなさんと作っていきましょう。ゆっくりゆっくりね。

 IPA(独立行政法人情報処理推進機構)という素晴らしい組織があります。ここではさまざまな情報処理関係の資格試験やホワイトハッカーの活動支援、サイバーセキュリティ対策を講じています。

 IPAが上梓している「中小企業の情報セキュリティ対策ガイドライン第3.1版(無料)」という本があるのですが、そのガイドラインの第2部実践編には最初に「できるところから始める」とあります。つまり、さまざまな中小生来企業のサイバーセキュリティをサポートしてきたIPAは、中小零細企業の一番の問題点は「運用」であることをよく理解しています。さすがでですね。この本は完全に中小零細企業を意識しています。

 その上で「インターネットの安全・安心ハンドブック(無料)」という本も上梓しています。これはIPAと警察庁・総務省・経済産業省が共同で作っています。どれほど中小零細企業におけるサイバー攻撃が活発化していることがわかります。このハンドブックも(もちろん大企業でも使えますが)、完全に中小零細企業のさまざまな業種を意識した作り方になっています。
  れを書き終えると累計ブログ記事1万件まであと66通です。

  私はBCPの専門家でもあるので、東北大震災のあと、東北地方、特に、宮城県南三陸町と仙台、岩手県石巻には計三回情報収集に行きました。

 最初に行ったのは南三陸町です。言った途端びっくりしました。何もないのです。案内してくださった方が「宝徳さん、こうなったら自分の家の場所もわからないですし、なじみの街なのにどこになにがあるかわからないのです。普段だったらここに郵便局があるからそれを左に曲がるととかここに小学校があるからここを右にながるととか思うのですが、目印がないことはこれほどとは思いませんでした。」とおっしゃいました。

 こうもおっしゃいました。「最近海岸に明らかに日本人ではない人間が屯しているのです。その人たちが帰った後は海辺の女性の薬指がないんです。指輪をとって行っているんです」

 とにかく衝撃でした。街がただの平地になっているのです。BCPもへったくれもありません。これは個人やここ企業でなんとかなる話ではないのです。もちろん住民や企業の力は必要ですが、県や政府が本格的にBCPの策定に乗り出さないといけません。

 企業にはBCPの策定をうるさくいう公的機関ですが公的機関こそ、BCPが一番遅れているということでしょう。

 次に岩手県の石巻に行きました。ここはM社の幹部たちと被災地ど真ん中にあるK社に訪問しました。あのくじらのタンクが流れていた街です。悲惨な思いをされているのかなあと思って行ったらなんだか明るいんです。「税金をどうやって支払おうかと思っています」とも。

 つまり、インフラが強かったこの会社は、他社の施設が潰れるためお客が全部集まってくるのです。

 ただ、最大の問題点は瓦礫です。これが積み重なっていると車で移動できないので、最も強い武器は「自転車」だったと。それと、儲かっていると今まで見たことがない人間たちが、うろうろ集まってくることです。金融機関が機能しない時期なので、強盗しようとしているそうです。役員さんたちは会社に泊まり込んだそうです。それとエネルギーを扱っている会社なので、残れば強かったのです。

 つまり、ここの会社は偶然被災をある程度免れましたが、BCPをしっかりと作っている会社は強いことを示しています。

 最後の仙台市です。これは一年後ぐらいに行きました。一年も経っているのに海岸ベリは平地でまだ造成もしていました。

 石破が防災庁などと屋上屋を架すような決定をしています。そんなことより政府はBCPを作ってRTO(目標復旧時間)を策定しろよ。官僚は一度作った利権は話ません。防災庁もそうなると断言しておきます。利権作りをするなよ。

 古きより 虐殺なしでも 災害が 起こる我が国 これへの備へ
  これを書き終えると累計ブログ記事1万件まであと66通です。

   我が国が大国化するとどう世界平和が築けるか(パーソナル・エンパワーメント:課題解決のために具体的行動を決定する)の前に、今の日本の現状認識(マインドフルネス:自分の立ち位置を知る)をします。 

 よく「戦争で取られた領土は戦争でしか取り戻せない」と言います。戦争なしに「小笠原諸島」や「沖縄」を取り戻せた日本は大したものです。

 でも、私たち日本はソ連とロシアに一度も戦争で負けたことはないんですよね(ノモンハンもあれはソ連のでっちあげ)。なのに樺太と北方領土(というか千島列島は安全保障上返してほしい)。なのに領土を取られています。詳しい日程を調べる気にもなれないぐらい悔しいのですが、北方領土がとられたのは確か、九月五日ぐらいです。日本がポツダム宣言を受け入れたずっと後です。ソ連の戦勝記念日が確か九月七日です(知らんけど:大阪弁)。

  民主党が政権を取った時に外務副大臣の武正公一がソ連の戦勝記念日は致し方ないというような発言をしました。これって、千島列島や北方領土を取られたことを認める発言です。武正!英霊たちに謝れ!
  
 彼は大学時代のクラブの後輩です。もしこの発言の時彼が横にいたら私は彼に何をしていたか予想をするのも怖い。彼は松下政経塾出身です。全く松下政経塾は高市早苗以外、全く使い物になりません。使い物にならないばかりか、国に害を及ぼしている人たちだらけです。


占守島(しゅむしゅとう)の戦い
 の話はご存知ですか?

 ソ連は、昭和二十年(1945年)八月八日に日ソ中立条約を一方的に破り対日戦線に参戦しました。我國は八月十五日に陛下のご英断によりポツダム宣言を受諾しました。それでもソ連は樺太に攻めてきました。北海道がほしいというか、太平洋への出口が欲しくて仕方がないのです。

  占守島(しゅむしゅとう)の戦いの前に、樺太の九人の日本女性の悲しい素晴らしさを。アメリカもそうですがソ連は兵隊が占領した地域の女を犯しまくります。母が朝鮮から引き揚げてくる際も、ソ連兵が来て引き揚げる日本人女性を何人も連れて行ったそうです。女性によってはソ連兵に犯されるのを拒否しして舌をかみ切って死んだ人もいたそうです。国家が軍隊をなくすということはそういうことなのです。

 昭和二十年(1945年)八月二十日秘境なソ連は樺太にも軍事進行してきました。当時は南樺太が日本の領土でした。本来樺太全土が日本だったのですが、セオドアルーズベルトという悪のアメリカ大統領が樺太を分断しました(日本を弱めたかった)。樺太真岡の郵便局に勤めていた九人の日本女性はそれに気づいて島民に逃げることを促します。ソ連兵が間近に迫ってきた時に女性たちは(あかん涙が出てきた)「みなさん、これが最後です。さようなら、さようなら」とアナウンスしソ連兵からの蹂躙を避け自決しました。
 稚内市稚内公園にある九人の乙女の像です。そこに乙女たちの最期の言葉も刻まれています。

  でも、同じく樺太にあった泊居郵便局長の証言では「交換台にも弾丸が飛んできた。もうどうにもなりません。局長さん、みなさん・・・、さようなら。長くお世話になりました。おたっしゃで・・・。さようなら」です。変に露助に遠慮するな。

 これが昭和の人間なんです。

 昭和天皇陛下もこの地に訪れ御製(天皇陛下の和歌)を遺されています。香淳皇后も御歌を遺されています。
昭和天皇陛下御製
樺太に 命をすてし たをやめの 心を思へば むねせまりくる

香淳皇后御歌
樺太に つゆと消えたる 乙女らの みたまやすかれと ただいのりぬる

 私はこのブログを書きながらずっと泣いています。東日本大震災の時も市役所の女性でいらっしゃいましたよね。日本人は素晴らしい。日本女性は素晴らしい。

(私の拙首)
命捨て みなを逃がさん その気持ち 今の日本の 我らが伝ふ

 閑話休題。占守島(しゅむしゅとう)の戦いです。
  れを書き終えると累計ブログ記事1万件まであと67通です。

  今日はバリュエーション(企業価値評価)のインカムアプローチからでしたね。

  企業は何のために事業を行なっているか。それは「持続と永続」です。これを「ゴーイングコンサーン(継続企業」と言って私たちコンサルタントが勉強し始めた時に最初に必ず学習することです。これがすべての企業の「経営者の目的」です。

 では、「経営者の目標」は何か「そのために企業価値を向上させること」です。

  その「経営者の手段」「事業であり経営革新(ビジネスモデルのリストラクチャリング)」です。

 そしげて「経営幹部の目的」はであり、「目標はそれに基づいたコンセプチュアルスキルを磨く」ことで、手段は「経営目的と経営目標に基づいて実績を向上させる(企業価値の向上)」ことです。

 「社員」「それに向かってテクニカルスキルとマネジメントスキルととことん磨く」ことです。

 これが一体化した時に、企業は飛躍的に発展するでしょう。あの君民一体となって凄まじい強敵ロシアに勝った時のように。そのDNAが日本人には流れています。

 では、先日のつづき。企業価値はどうやって向上させるか。今日はインカムアプローチです。
    れを書き終えると累計ブログ記事1万件まであと67通です。

   武藤経済産業大臣が米国に関税適用除外を頼みした。大笑い。ばっかじゃないの? のび太がジャイアンに「殴らないで」と頼んでいます。そこにはドラえもんはいないのに笑。本当は日本が大国なら、世界にドラえもんがいるようになるんですけどね〜。それが日本大国化と世界平和なんです。戦争をする国ではなく、ドラえもんの国になればいい。日本は。

  本当に日本は「喧嘩をしてはいけません」と子供に教えるので情けない大人に育ってしまいます。

  トランプのような人間には「こっちもこれだけの力を◯年でつけるので一緒に戦って『勝とうぜ』」と言わなければダメです。それを頼むから除外してくれって・・・、日米同盟を破棄されるよ。このままいけば。

 なんでそんなことがわからないのだろう。トランプのやることにいちいち反応しないの。一緒に楽しむの。

 だって、トランプはめちゃくちゃ言って相手の反応を引き出してまた違う手を打っているんですから。

 めちゃくちゃって言ったってあの三人の全部民主党の狂人大統領 ウッド・ロー・ウイルソン(1位)、フラクリン・ルーズベルト(2位)、ビル・クリントン(3位)よりよほどマシです。

  こんな男の大人ばっかり育って日本は大丈夫なの? GACKTの言う通りだわ。

戦わず お願いするだけ 情けない これが日本の 男の姿
    れを書き終えると累計ブログ記事1万件まであと68通です。

 明日(12日)から七十二候は啓蟄 次候 桃始笑 ももはじめてさく です。   

 桃の花が咲き始めるころです。最近毎日5,000歩から10,000歩歩くようにしています。その散歩の途中で桃探索をしてみようかな。楽しみだなあ。

  福島県の三春町というところがあります。伊達政宗の正室 愛姫(めごひめ)の出身地です。ここは「梅と桃と櫻」の三つの春が同時に咲くのでこの名前がついています。とても素敵なところです。戦国時代は田村家が治めていました。愛姫は永禄十一年(1568年)三春城で生まれました。天正七年(1576年)に数え十二歳で伊達政宗の正室になっています。とても綺麗で気丈でみんなに人気があった正室でした。政宗と愛姫の娘が「五六八姫(いろはひめ)」です。

 出光興産株式会社郡山出張所に勤務の頃、この街が大好きでよく行っていました。あれから四十年以上。でも、きっと変わっていないと思います。今でも県外から来るみなさんを楽しませて入れる町でしょう。

愛姫が 愛した三春 三つの春 梅桃櫻が 愛を奏でる


 瀧櫻もとても有名です。


 三春町ホームページから。
  れを書き終えると累計ブログ記事1万件まであと69通です。   

  そもそもBCPとは何か?。事業継続計画(Business Continuituy Plan)と言って前までは大規模災害等が起きても目標時間内に「核となる」事業を再開させるという「有事」のために普段からの「平時」にどれだけ準備してどれだけ仕事の改革ができるかを計画しておくものでした。

 一番大切な価値観(防災計画と全く違う)は、
RTO
(目標復旧時間:Recovey Time Object)

 です。どんな事態にあってもその核となる事業をこの「目標復旧時間」までに立ち上げるという意志と計画を持つのがBCPです。

 有事にはいざという時に全ての事業を立ち上げることができないのです。なので多方面から分析して、「事業トリアージ」を行います。

  トリアージとは本来医療用語です。例えば災害時には運ばれてくる患者さんが十人いたとします。その十人を状態によって四つに分けます。
 
 患者の状態によってその色のシールなり腕章を貼ったりつけたりしていきます。そして、限られた医療経営資源(ヒト・モノ・カネ)をう優先順位に従って治療していきます。まずは赤からそして黄色、申し訳ないのですがくりはもう助けません。緑は助ける必要がありません。現場では患者さんが文句をいうけれど有事の時に全てを救おうとしたら全員を助けられなくなります。

 BCPでも、有事に全ての事業を同じように立ち上げようとしたら、逆に非効率になって会社がおかしくなります。なので、事業トリアージをします。あとRPO,RLOなどの言葉はありますが、これはまた後日。とにかくRTOが最も大切なBCPの観点です。そして、そのRTOが実現可能な様々な計画を事前に練っておきます。そして事業トリアージの優先順位が高い事業については保険も「新価保険」となります(これも後日)

 さて、IT-BCPとは何か。
   これを書き終えると累計ブログ記事1万件まであと70通です。   

   TVで大好きな大好きな清野菜名さんが主演の「119エマージェンシーコール」をドラマやっていますね。エマージェンシー? 私はずっとイマージェンシーだと思っていました。まあいいや。あっ、係長役で出ている中村ゆりさんも好きです。

  このドラマ最高に面白いし清野菜名さんが役所にぴったりはまっています。また好きになりました(こんなジジイに好かれたら迷惑ですよね爆笑)。とても面白いドラマなのですが、消防にはこういう奴らからのコールが入るんですね。自衛隊・海上保安庁・消防・警察等の人間はそれこそ命をかけて国民を守っています。なんで、こういうことするのかなあ。日本人の質が落ちていますね。

 先日こんなネットニュースもありました。
  これを書き終えると累計ブログ記事1万件まであと71通です。   


  平成二十三年(2011年)三月十一日十四時四十一分に東日本大震災が起きました。十四年経って今だにその爪痕を残しています。被害に遭われ方にお見舞いを申し上げるとともに、お亡くなりになった方や今だに行方不明の方に心から哀悼の意を表します。

  最初は、確か「東北地方太平洋沖地震」という名前だったような。なぜ、東日本大震災に変えたのかなあ? 「東北地方太平洋沖地震」の名前方がその被害を現しているのに。私は地震の時、岐阜で仕事をしてひと段落ついて蕎麦を食べていました。すると岐阜でも結構大きな地震が。当時はガラケーですからすぐには情報が入りません。ホテルに帰ってニュースを見たら未曾有の地震です。

 それと、メディアも含め、大きな表現ミスがあります。福島第一原発が「地震の被害」にあったと今だになっていることです。あれは地震ではなく、「津波」で被害を受けました。その証拠に東北地方の各原子力発電所は、被災者の避難所にさえなっています。一切事故は起きません。そういう認識なので、あの史上最悪の総理大臣 民主党の菅直人が原子力規制委員などを作り、今だに。国に迷惑をかけています。原子力規制員会ついては後日書きます。原子力規制員会に始まる「百条委員会」って必要なの? 一万歩譲って必要だとしても、短期短期で繰り返す時限立法にしてほしい。

 ここは思い出深い地区なのです。私がし昭和五十八年(1953年)四月に出光興産株式会社に入って初めての営業担当の地区です。北は相馬市から福島県双葉郡楢葉町までと東は海なので西は福島県相馬郡飯館村がまさにが私のエリアでした。海沿いと盆地のような地形の山の間にある地域なので、ここが震災当時の放射線物質の通り道になりました。

 この地区には、なつかしい思い出がいっぱい詰まっています!!!!!そうだこれもいずれ書かなければ。
  
  私の大きな初仕事は、福島第二原発に販売店と協力してタービンをオイルを大量に原子力発電所に納入する仕事でした。申し上げておきますが先ほどの「地震」と「津波」のメディアの間違いとともにもう一つ。私が仕事をしたのは福島第二原発ですが、福島「第一」原発もあります。実は第一はアメリカのGM(ゼネラル・エレクトニック社)製なのです。この出来がひどい。弁も何もついていない出来でした。東電の社員は必死になって改良に改良を重ねなんとか通常運転のレベルまでこじつけました。それが津波で被害を受けましたがこの事故ですみました。GM製を修理していなかったらとんでもないことになるところでした。そんなことをメディアが言ったのを聞いたことがありません。

真実を報道するそれが民主主義を護る唯一の方法である

  メディアのコンセプトです。コンセプトに基づかない仕事や行動がいかにつまらないものになるかは、織田信長やトランプのことを書いた記事でもお分かりになりますよね。だからメディアの(特に社会部)の仕事はつまらなくなる。

 閑話休題。私の初仕事の話を。
  これを書き終えると累計ブログ記事1万件まであと72通です。   

 男と女を比べると「日本では」絶対に女性の方が優秀です。それは歴史的に女性の活躍の場がたくさんあったからです。国連の何とか委員会が、日本は女性差別をしていとのたまいますが、あれは、欧米の僻み(ひがみ)です。彼女たちは、太古から、差別を受け続けてきました。

 欧米の宗教は、女にモテない男たちが作ったものです。だから筆舌に尽くしがたいほど女性を差別してきました。近年になってそれに反発している欧米の女性たちが叫んでいるだけです。本と比べるなど、議論にも値しません。小さい時、「ウーマン・リブ」という言葉が出てきた時は、笑ってしまいました。

 日本では一千年以上の昔から女性が小説を書き和歌を詠みました。欧米や支那やロシアで千年前にこんなことをやったら、その女性は殺されていました。

 日本の皇室が女性差別だといいますが、日本の皇室は女性なら誰でも皇室の一員になれますが、男性は絶対になれません。3000年間、男性が皇室になったことはありません。もし、不要な男を皇室に入れたら世界で唯一歴史が連続した人間社会の奇跡に国 日本は実現していなかったでしょう。

 皇后になった女性も素晴らしい事跡を「遺」されています。明治天皇の皇后 昭憲皇太后んの「Empress Shoken Fund(エンプレス・ショーケン・ファンド)は、あまりにも有名ですし、貞明皇后の大正天皇のサポーと、皇太后陛下(上皇后などという言葉は日本にはない)の上皇陛下をサポートした姿などには感動するばかりではなく、この方々がいなかったら失われていた日本の歴史も女性の姿もあります。

 雅子皇后も、今上陛下をよく見ていらっしゃる。

 欧米の女性よ僻むな僻むな笑。

 社会や一般家庭でもそうです。日本女性特有の活躍があります。

 男女は差別されてはいけませんが区別が必要です。でないと天がなぜ女性と男性を作ったかがわからなくなります。古事記にも男女の違いは体の構造だけだとはっきり書いてあります。

  LGBT? 好きな人がやりなよ。否定はしませんが、マイノリティがマジョリティになろうとすると世の中がおかしくなるのは事実です。戦後國時代には日本はLBGT大国でした。武将同士もLGBTをやっていました。でも、日本人は本音と建前を使い分けるのがとても上手だっただけです。マイノリティをマジョリティにしようとはしませんでした。

 日本女性は優秀なので、すぐにその優秀さを発揮することができます。では、男は?
れを書き終えると累計ブログ記事1万件まであと72通です。 

  今日は陸軍記念日です。明治三十八年(1905年)三月十日に日露戦争の奉天会戦でロシアに大勝利を収めた輝かしい日です。ロシアは当時世界最強の陸軍を持っていました。そして海軍力は日本の4倍でした。午前会議でロシアとの戦争が決まった時は、みんな泣いたそうです(恐怖で)。それでも、先人たちは我が日本を守ってくれました。国力は、ロシアは当時世界の富を1割持つほどの強国でした。我が日本はまだ文明開化から四十年弱。大東亜戦争時の日本/アメリカとは比べものにならないぐらいその差は歴然でした。それでも官僚化した昭和の軍人たちは負け、武士が主体だった明治の軍人たちは、世界中の誰が見ても勝利が不可能なロシアに勝ちました(もちろん日英同盟の力はあったが)。

 

 こんな位置関係です。なぜ、日本は世界最強のロシアと日露戦争をせざるを得なかったか。朝鮮半島と樺太から世界最強のロシア陸軍に挟み撃ちにされたら日本はなすすべがありません。

  でも、明治の軍人と日本国民の決死の活躍で奉天で勝利します。奉天会戦でももしある事実が解決していたら、奉天で軍をストップさせずにハルビンかウラジオストックまで戦線を進められたのです。そうすれば、いくら悪のセオドア・ルーズベトと言えども、戦後賠償の仲介なしには済ませていなかったと思われます。ある事実とは
脚気
です。

  奉天会戦後、弾薬が尽きたという話があります。確かにそうですが、軍医トップであった森鴎外は、「白米を陸軍の食事に採用する」という「私は兵を脚気にします」と宣言しているような意思決定をします。帝国陸軍戦死者が4万6千人、傷病者が35万人で、そのうち脚気患者が25万人でした。帝国海軍では脚気に対しての研究を高木兼寛という人を中心にやって予防法を早くから開発しました。それを聯合艦隊司令長官 東郷平八郎が認め、パン色も交えた洋食の導入を決定し解決し脚気を解決しました。

  しかしながら森鴎外は洋食を断固として認めず、日露戦争の時にこんな体たらくになってしまったのです。それでも勝利するという日本の武士は凄まじいのですが。後付けになるかもしれませんが、

もしこの時森鴎外が洋食を認めていたら25万人が健在でした。

 そうすればウラジオストックやハルビンまでの進行は十分可能でした。陸軍が大嫌いな司馬遼太郎が絶対に「坂の上の雲」では書かなかった事実です。判断はみなさんにお任せします。

  さて、今日は父の命日です。令和三年(2021年)三月十日満九十三歳(この年で考えると享年九十四歳)です。帝国海軍のくせに陸軍記念日になくなっています。帝国海軍甲種飛行兵第十四期です。

  父は最初百三十歳まで生きるんだ(リニアモーターカー乗りたかった)と張り切っていました。宮沢喜一元総理が九十六歳で亡くなった時に、父は「健、なんで九十六歳が老衰なんだ」と言っていましたが、あんたは九十四歳や〜爆笑。父のことはずいぶんこのブログにも書いています。家族と家族につながる祖先を知るというということは生きていて大切なことですし、自分が生きる際の勇気にもなります(困難に出遭ったときに)。

  最後に食べたいものを聞くと「マクドナルドのビックマック」と聞いた時は大笑いしてしまいました。もう四年になるのですね。令和九年(2027年)が、七回忌になります。母の三十三回忌が令和九年(2027年)ですから、一緒に法要をやることができますね。

 コロナの時、リモート法要をやったら、親戚から大ブーイング。特に姉一家は。甥で福岡県の古賀市長をやっている一城が、「そんなことをしたらみんなと飲み会ができんやん」と言っていました笑。確かに、法要とは故人を偲ぶ意味ありますが、本来は故人がみんなを集めてくれるという意味もあります。七回忌はちょっと奮発するか〜。

あのすごい 国力の差を 埋め切った 君民一体 人の力で

何食いたい 妹答える 買ってきて ビックマックを 父の好物
  れを書き終えると累計ブログ記事1万件まであと73通です。

  立憲民主党の野田代表が、三月七日に医療費の支払いを抑える「高額療養費制度」の利用者負担上限を巡り、政府が今年の8月の引き上げを見送る調整に入ったことを受け、参院で令和七年度予算案の修正が決まった場合、改めて衆院で予算を審議するべきだと主張しました。「参院で修正が決まったら、もう一回衆院に戻すのが憲政の常道ではないか」と述べた。

 というネットニュースがありました。産經新聞です。

 やはり野田は馬鹿です。民主党が政権を取る前に、彼が「政権交代に大義あり」を上梓しました。
 これに書いてあることを彼は何一つと言っていいほど総理の時に実現しませんでした。それどころか自身が否定していた消費税増税の道筋を作りました。

 こんな男が、憲政の常道なんて。というか憲政の常道の意味を全く履き違えています。

 もう一度「憲政の常道」を整理しておきます。
  れを書き終えると累計ブログ記事1万件まであと74通です。

 もしかしたら今日はこの一通だけで終わるかもしれません。仕事と勉強に疲れたら書くかもしれませんが。旅行とか食べ歩きとかの趣味はあるのですが、それは引退後においといて(引退後があるんかい😆)今は、ブログが1番の趣味です。InstagramとかXとかfacebookをあまり好まな私は、ブログでゆっくり自分の考え方を述べています。仕事だけでなく国家観(政治ではない)、人間観も含めて。

 昔、ある会社の社長と金美齢さんの講演会を聞きに行ったことがあります。金美齢さんについてご存知ない方もいらっしゃるかもしれませんので少し紹介しますね。著作権の関係上、画像とかは掲載できませんので、以下、ホームページをご覧ください。

http://genki-site.net/kin/
  
  もう91歳になられるんですね。金美齢さんは台湾人です。支那人ではありません。結構知らないんですが台湾人と支那人が同じだと思っていらっしゃる方が多い。台湾人は日本統治(支配ではない)時代に一緒に台湾の国づくりをした人たちです。支那人は、大東亜戦争終了後、蒋介石一派が毛沢東の支那大陸から逃れ、台湾に逃げてきた人たちです。努力に努力を重ね、日本統治が終わってから支那人「支配」が続いていたのを台湾「統治」に変えてきた人たち+良識ある支那人(あんまりいませんが)が、善政を敷いています。その代表が故李登輝総統です。この辺を知っていないと金美麗さんの説明はできません。

 田中角栄の日中国交回復かなんか知りませんが、その影響もあって、今、日本のことが大好きな台湾は、日本と国交を結んでいません。それに台湾をあの不埒な支那共産党にとられてしまうと日本は死活問題です。第一次列島線という言葉をご存知ですか?支那共産党に遠慮してメディアがあまり報じない言葉です。

(資料:平成二十五年年(2013年)十月十八日 元海上自衛隊 阪神基地指令・海将補 高橋 忠義さんによる講演会資料より)

 いつもご覧になっている地図を逆さまにしてください。この手前の赤い線が第一次列島線です。向こう側が第二次列島線です。台湾も含めると見事にロシア・支那共産党の太平洋への出口を塞いでいます。そう、ロシアと支那共産党は太平洋に出るためには、日本が邪魔で仕方がないのです。台湾をとりたいの支那共産党が台湾に発展した経済力を共産主義のテーゼである「他人・他国から奪う」をもとに支那共産党の貸借対照表の資産と自己資本を向上させるために欲しいというのもありますが、中長期的に見てまずはこの「第一次列島線」が欲しくて仕方がないのです。第一次列島線をとると第二次列島線はすぐに奪えます。そうすると日本はもう貿易でさえ支那共産党の鼻息を伺わないとできなくなります。アメリカはアジアでの地位を失いますので、世界最強の軍事基地沖縄を軸としながら支那共産党と仲良くするしかありません。そうするとアメリカは日米安全保障条約を破棄するでしょう。

 一番のほほんとしているのは日本人です。「そんなのどうでもいい」という日本国憲法「典」の「自分だけ大丈夫だったらそれでいいという似非平和主義」を金科玉条のように思っていますでも。李承晩ラインごときを解決できなく竹島を不法占拠されっぱなしの日本では自国の地位さえも守ることはできないのです。

 世界で一番それを恐れているのが「台湾人」なのです。

  コンサルが政治のことで何を言っているんだと思われる方もいるかもしれません。でも私はコンサルの前に日本人です。愛する我が国が他国に(統治ではなく)支配され、他国の軍隊がどんどん日本に入ってきて、愛する家族が他国に蹂躙されるのが見ていられないのです。自分の職業を大切にし、経済を発展させるのは当たり前の話です。でも「俺は(私は:女性は)「◯◯」の職業だから政治や経済や歴史は興味ないわ」という言葉ほど恐ろしいことはありません。財務省の緊縮財政で国がおかしくなるどころのことではないのです。

 大東亜戦争以降我が国は実質上世界地図から消えた状態になっています。それがUN(United Naitions:連合軍 外務省が国連と誤った訳をしていますが)の敵国条項です。

  実際にこれを恐怖とともに味わっているのが米中が手を結んでから、地球上の地図から消えている台湾です。支那共産党台は台湾を自分のものにして(統一なんかじゃない)、さらに台湾を地球上の地図から「抹殺」しようとしています。「清」がそうなったように。今、清の満州語を話せる人は十人もいないと言います。

 さて、そんな悲哀を、若い時から金美齢さんはとことん味わってきました。なんせ、支那人支配の頃の台湾は金美齢さんにパスポートを発行してくれないですもの。
  れを書き終えると累計ブログ記事1万件まであと75通です。

  明日の朝は、仕事に集中しますので、今日書きダメをします。こういうやり方は宇佐美の親父さんは、一番嫌います。いつも言われていました。「宝徳なあ、おまえは調子がいい時は仕事とかをたくさんやって、調子が悪い時は少ししかやらないだろう。それはダメが、良い時も悪い時も、辛い時でも、たくさんやりたい時も、いつも同じ様にやるんだ」

 あれだけの会社を創った、経営者が いつも同じ生活習慣と仕事習慣なんです。これはできそうでいてなかなかできません。親父さんは出張がない時は(出張がある時でも一緒ですが)、(当時の)宇佐美本社の前にある喫茶店で朝7時からモーニングを召し上がります。そこで数々の新聞を読みます。その時に、私も行きます。「おはようございます」という言葉だけで、あとは二人ともなにも喋りません。8時になると向かいの本社に行きます。すると本社は朝礼。そこをすり抜けて、社長室に入ります。親父さんはスタンドの図面を描き始めます。私は社長室の椅子に座ります。約1時間、なんにも喋りません。

 親父さんが図面を描き終わると、親父さんに用事がある社員さんたちがやってきます。それが終わってやっと私と話してくれます。いつも他愛もない話です。親父さんは大切な話は一番最後にぼそっとします。これを聞き逃したら大変なことになります。これが親父さんのルーティンかな。

 おっと、また前置きが・・・。

 今日の母から洋子姉ちゃんへの手紙は、妹(幸:みゆき)が高校を卒業して日本銀行に就職した時の話です。不思議なんですが、母の字がとっても達筆に戻っています。この時は手が痛くなかったのかなあ。いや、そんなことはありません。まあいいや。
      れを書き終えると累計ブログ記事1万件まであと76通です。

  亡父が生前、祖父の生誕百年祭の時に関東と関西に分けて寳德家をみんなを集めて記念祭をやりました。その時亡父は、「寳德義一生誕記念祭」という冊子を作りました。義一とは祖父の名前です。父は、二十歳で終戦を迎えた嫡男で一家の面倒を観なければならなりません。祖父が帰ってこないことをどれだけ寂しく思ったでしょう。定期的に引き揚げ船の来る舞鶴に行っていたみたいです。

 この本が平成十五年です。今は、祖父は生誕百年ではなく百歳二十二歳です。ですからタイトルを「寳德義一生誕百二十二年祭」としています。

 父は令和三年(2021年)三月十日(水)の陸軍記念日に亡くなっています。帝国海軍のくせに笑。享年は九十四歳ですが、実際の歳は、九十三歳でした。もう四年も経つのですね。存命なら父も今年で九十七歳です。なので父の生誕百年祭は令和十年(2028年)三月十日です。七回忌が令和九年(2027年)ですから父の生誕百年祭は一年前倒しでやります。

  亡母(享年六十二歳)が亡くなったのは阪神淡路大震災の年、平成七年(1995年)ですから百年祭は1995年+38年で令和十五年(2033年)です。令和十三年(2031年)の三十三回忌の二年後ですね。みんな歳をとっているので、母の令和十三年の三十七回忌と一緒に百年祭をやります。それで親族との法要は締めます(父と母の命日は私は自分が死ぬまでやりますが)。父の五十回忌は令和五十二年なので、私はもう生きていません。どうするかどうかは息子に任せます。母の五十回忌は令和二十六年です。

  母の五十回忌と一緒に父の七回忌の令和九年に一緒にやります。私が74歳。まだバリバリの現役ですね。

 それ以降も私が生きている限りの法要は行います。

 母方の祖父と祖母もやりたいのですが、秋武の家がやると思いますので呼ばれたら行く様にします。

 昨年の故叔父の法要で、お坊さんが「人間は二回亡くなる」とおっしゃっていました。亡くなった時と忘れられたときだそうです。これからの世の中でそれ息子に押し付けることはできませんので、私が姿を示して(やってくれたら嬉しいですが)、私がやれるところまでやります。

 さて、さっきの冊子からです。メディアも書かない本にもこんな記述はありません。まさに歴史のいき証人ですね。 

  れを書き終えると累計ブログ記事1万件まであと76通です。

  最近、夜は早く寝て24時〜2時(少し寝坊したらとても悔やみます)ぐらいに起きて勉強と仕事及び相間にブログを書く習慣がついてきました。13時ぐらいから昼食をとりますから、もう13時までには勝負がついています。昼からは残りの仕事と勉強。出かけない時はこれがルーティンになっています。夜は二パターンあって風呂がある日は(冬なので二日に一度にしている)930ぐらいに寝ます。風呂がない時にはもう8時には寝てしまいます。仕事と勉強の合間に少し疲れたら(特に午後)は、NHK➕とかTVerのドラマを見ます。

  NHK+の「カムカムエヴリボディ」はとても面白い。これって私たちが小さい時にNHKの英語の教育歌番組でやってましたよね。今でも歌詞を覚えています。なつかしいなあ。最初は、なんだあの頃の歌かと思っていたらドラマでやっています。観ると面白い。キャストも豪華。みなさん味を出されています。川栄李奈さんのお芝居が面白くて仕方がありません。腹を抱えて笑ってしまします。みんな魅力的ですね。

  かつては、TVなんか殆ど観ませんでしたが、コロナでリモートの仕事が主体になって、在宅勤務が増えました。その恩恵(?)ですね笑。

  昭和の人たちってやっぱり綺麗ですね。

幼きころ TVで観てた カムカムと 出逢ふことでき 笑ひころげる
  れを書き終えると累計ブログ記事1万件まであと77通です。

「まず応用情報技術者でインプットの基礎力構築」と同時に「情報処理安全確保支援士でアウトプットのホワイトハッカー能力構築」

❶応用情報技術試験まであと、約2日、5,256時間、315,360分、18,921,600秒(発表がまだのため令和7年10月10日で設定)
❷情報処理安全確保支援士試験まであと400日、9,600時間、576,000分、34,560,000秒(発表がまだのため令和8年4月20日で設定)
❸70歳まであと約2,359日、56,616時間、3,396,960分、203,817,600秒(令和10年8月20日まで)
❹106歳の誕生日まで11,104日、266,496時間、15,989,760分、959,385,600秒(令和37年8月20日まで)


  昨日、企業におけるIT人材育成のリモートセミナーを見ながら知識を整理してきました。ホワイトハッカーは今後とても企業にとっても大切な味方になるのですが、そのまえに企業としての「サイバーセキュリティ」が必要になります。

  先日申し上げた様にサイバー被害は今後、中小企業→大企業と伝染する可能性が高くなります。そのためにはホワイトハッカーと連携しやすくするために、IT人材を育成しておく必要があります。

 とはいうものの中小零細企業でこのIT人材を育成するのは至難の業でしょう。それに日々の仕事の中でどう「運用」していくかがポイントになります。

 実はこの中小零細企業はこの「運用」がとても下手くそです。大企業は下手くそでも担当部署が強制的に回すことができますが、中小零細企業はそんな人を雇う余裕がありません。

 でも、将来は、企業規模等企業側の都合にかかわりなく「ITへの対応」をしている企業としか企業間取引をしれくれなくなるでしょう(我が社も同じです)。

  IPA(独立行政法人情報処理推進機構)というところ(かなり企業のDX対応推進が進んでいます)で、「DX(デジタルトランスインフォメーション:企業がデジタル技術を活用してビジネスモデルや業務プロセス、組織文化などを変革すること)認定制度」とうのがあります。

 まずこれからやって「自社のマインドフルネス(今の自分を知る)」やることから始めると良いでしょう。その上で計画を組んで確実に進化していく必要があります。

 中小零細企業といえども、「イノベーションのジレンマ」(三月二日のブログ記事)を味わう時代がきています。
  これを書き終えると累計ブログ記事1万件まであと78通です。

  以前、ある大手M&A会社の代表と話をしていました。とても素晴らしいお仕事をされていました。

  コンサル主体の仕事をしている私は、中小零細企業の「企業価値」をどうやって上げるかが優先順位N0.1ですが、M&A会社は「現在いくらで評価できるか」が主体になります。それが違う点だと強く感じました。

 中小零細企業の業績(企業価値)は、往々にして潜在的価値が評価されていないことが多くあると考えます。これは多分に経営者の力量によるのですが、ここのスタートでじっくり話し合い「決心」をしていただくことが大切です。このスタートに時間をかけると企業価値は次第に向上していきます。

 あとは、選択肢です。後継者に承継するのか、売るのか、それとも、向上した力で他の企業を買ってからさらに企業価値を向上させ、そして、新たな可能性を追求するのか。

 では、そのバリュエーション(企業価値の算定)はどうするのかを解説しましょう。
 れを書き終えると累計ブログ記事1万件まであと79通です。


  先日、こんなニュースが飛び込んできました。「トライアル(日本小売・物流・金融決済の金融グルームの企画・管理・運営)、西友を3,800億円で買収 KKR(米ファンド)とウォルマート(米小売)が全株売却」。

  トライアルは家の近くにあるのですが、とってもいいですね。システマチックというよりダイナミックです。買い物がとても楽しい。トライアルグループのホームページからです。

「当社の母体である㈱トライアルカンパニーの「トライアル(TRIAL)」は、英語で「試み」や「試練」を意味し、未来に向けて不可能へ挑戦し続ける意思を表しております。

また、「カンパニー(COMPANY)」には、会社という意味の他に「仲間」という意味があります。困難に屈することなく、「挑戦し続ける仲間たち」、という意味が「トライアルカンパニー」という社名に込められています。

「ITで流通を変える」という強い思いを持って、ITを祖業とした創業から約40年。失敗も糧にしながら、流通小売業界のムダ・ムラ・ムリを解消する挑戦を続けています。トライする仲間がいる会社、それがトライアルカンパニーです」

 いいですね〜。ますますファンになりました。


 KKRとウォルマートは日本の縮小する経済から手を引きましたね。かつての日本では考えられません。それをトライアルは全株式を取得しました。

  西友というとかつては西武グループの中核会社でした。西武グループはかつて堤清二・堤義明が世界一の大富豪といわれたグループです。もちろん西武グループの責任もあるのでしょうが。

縮小経済ではこういうことが起きるのです。

 政府支出経済に民間の金が吸い上げられすぎると、民間消費支出が停滞するのはマクロ経済の常識です。日本は素晴らしい国です。

 その素晴らしい国をダメにしているのは不勉強は「政治」「官僚」「日銀」「メディア」「利権集団」「それに騙される国民」です。経団連も経済団体同友会も本当に情けない。まさに盛者必衰の理を政府が促進してどうすする。

 ここまできた この素晴らしい 我國を いかにかしても もとの姿に
れを書き終えると累計ブログ記事1万件まであと79通です。

 前回は、特製石油製品輸入暫定措置j法(特石法)の話でした。我が国は敗戦国だったので、「生産」「輸入」という石一番もうかる油製品のアップストリームから外されました(byメジャー:セブンシスターズ)。メジャーが掘った原油を輸入し、そして、それを製油所で精製して販売する「消費地精製主義」でメジャーの手先の様にダウンストリームに真面目に取り組んできました。

 そして、二度のオイルショック(石油危機)を味わいます。元売がその変化に翻弄されると特約店・販売店が疲弊します。ダウンストリームの現場にいた私は、その石油業界の動きが理解できませんでした。

 出光佐三店主はそれでも「石油業に復帰したい」と敗戦後に仰っていました。「なぜだろう」といつも思っていました。

  誤解しないでくださいね。(当時の)出光興産の仕事の仕方は最高に面白かった。新入社員で販売店の担当になった私に対して、当然、販売店は疑問に思います(出光では担当者に絶大な権限が与えられていた。販売店の生殺与奪の権限とも言えそうな)。販売店の社長は出張所長のMさんに電話を入れます。「なぜうちの店の担当者が新入社員なのだ!!!」と。所長は「大丈夫だ」とだけ電話で答えるではありません。

  どの部署もそうですが、出光では担当者の頭越しに上司が販売店と交渉したり意思決定したりすることは絶対にありません(今は知らんけど)。そんなことをしたら担当者は次に起きたその販売店の仕事は一切しません。新入社員の私に対しても相談があるまで絶対に口を出しませんでした。相談も「どうすればいいですか?」という質問は受け付けてくれません。「こうします(せいぜいこうしたいんのですが)」と言わないとそれこそぶっ叩かれます(冗談ではないですよ笑)。

   まず何からやったらいいんだろうと思っていました。十年社員のSTさんの仕事を見ました。同じく十年社員のSGさんの仕事を見ました。

 STさん(この方は私のオーベン(指導員)のような人でした)。には「お前は、血のしょんべんを出したことがあるか。懐に辞表を入れながら仕事をしているか。それができたらもう一度聞きに来い」と言いました。この方には厳しく指導していただきましたが、私が転勤する時に「お前がいなくなると寂しい」とワンワン泣いて送り出してくれました。当時の出光興産は厳しさと優しさを備えていた職場でした。決して幇間稽古の様な甘さと真剣に人を育成しようと思わない冷たさはありませんでした。なのでパワハラなんて発想を持ったことがなかった。


  SGさんは「宝徳、時間で稼げる仕事もあるんだ。自分で時間を創って、キャビネにある書類を読むんだ。自分の担当店だけではなく、先輩がやっている仕事の書類もな。そうする自分の仕事と先輩の仕事の違いがわかるだろう。先輩を凌ぐ仕事を自分がするんだ」とご指導を受けました。

 「よ〜しこの「おっさん(失礼)たち」が十年社員でここまできたのなら俺は三年でなってやる」と、お二人から受けた(良い)喧嘩(指導)を買いました。

  ただ、アップストリームとそれに続く通商産業省の規制にはなんとも言えない怒りを感じていました。

  前回も書きましたが、不合理不都合鬱陶しさ不条理は受けている時はとても嫌なのですが、それを乗り越えた時のうれしさに比べたら大したことがありません。結局は、不平不満の原因は自分の力のなさです。その後の出光人生、独立人生すべてそうでした。だから「落ち込んでいる」人を見たら「お前暇な人間だなあ」、不平不満をいう人間を見たら「原因は何だ誰だ」と聞いていました。

 宇佐美の親父さんにお会いした時には別の観点から見方を教わりました。「宝徳、ガソリンスタンド(石油製品販売業)はいいなあ。商品が腐らない、商品に流行がない、お客様が来てくれる、複雑さがない。こんな簡単な商売はないぞ」と。

 私は数々の素晴らしい方といろいろなシーンでいつも出会います。その幸せをまだ十分にやりきっていません。

  閑話休題。特石法に戻ります。
  れを書き終えると累計ブログ記事1万件まであと80通です。

  今日は、ブログをあまり書かないと言ったのに😭。仕事も時間をうまく使ってどんどんやります。

  時事通信社の記事です。「日本は米国守らない」 トランプ氏、同盟に不満表明」

  いよいよ来ましたねえ。防衛三文書は作っておいてよかった。故安倍首相の平和安全法案がなかったら、日米同盟は解消でしょうね。

 トランプがどうのこうのではありません。我が国に絶対に必要なことです。日米安保条約の片務性を解消し、対等な内容に置き換えることでしょう。トランプがせっかく、もう先の大戦はいいから日本は日本で歩けと言っているのですから。

 日本が位置する地政学は、軍事技術が世界で最も密集しています。「戦争を他国に起こさせない『武(戈を止める)』」は絶対に必要でしょう。そうなると膨大な軍事費がかかるので、手段的自衛権をは必要です。それに鑑みると以下のことが必要になります。

①経済成長:少なくとも1,000兆円の民間型GDPが必要になります。なぜ民間型か? 民間消費経済を増やした上での所得税収を得て軍事費に回すためです。もしかしたら20兆円から30兆円の軍事費が必要でしょう。

③「真の」憲法「典」改正。緊急事態条項で天皇陛下の役割をきちっと定める。かつ、軍と名前をため警察官職務執行法から自衛隊を解放する。ポジティブリストからネガティブリストに変える。軍法会議を創設する。自衛隊から日本軍に変更する。日本の文化文明歴史慣習にあった憲法典にしてくだらない議論をしない。(公明党の環境権など)。そして、世界唯一の皇帝がいる三千年の歴史を持つ立憲君主国というコンセプトで世界と戦う。

④もし、アメリカと日米同盟を作るなら(アジアの押さえに沖縄が必要なので沖縄基地はアメリカは手放さない)。アメリカ国内に日本軍常設基地を作る。

⑤核の保有と活用を「検討」する(我が国は、すぐにでも核兵器を保有できる技術を持っているので検討を始めるだけで他国にとっては脅威になる)。議論をしてもダメだというなら支那や北朝鮮と同じく我が国は言論統制の国ですか?

⑥可能なら武装中立を宣言する。

⑦予備役を増やす。

⑧原子力規制委員会を廃止する(原子力空母が必要)。

⑨あらゆる国家資格・国立大学に古事記を義務付けるとともに、小学校からの英語教育は好きな人だけにして、古事記・正しい歴史・和歌の授業を取り入れる。学校の週休二日をやめる。

 ぐらいのことが必要でしょう。

あなたが総理大臣ならどう判断しますか?

 今の政治家では無理ですよ。子供達にどんな国を残しますか?

 トランプ楽しいなあ。ウッド・ロー・ウィルソン、フランクリン・ルーズベルト、ビル・クリントンと言った狂人大統領の作った戦後の枠組みを完全に潰そうとしています。
 これを書き終えると累計ブログ記事1万件まであと81通です。

   我が国が大国化するとどう世界平和が築けるか(パーソナル・エンパワーメント:課題解決のために具体的行動を決定する)の前に、今の日本の現状認識(マインドフルネス:自分の立ち位置を知る)をします。 

  昭和二十五年(1950年)に朝鮮戦争が始まりました。ソビエト連邦(以下、ソ連)の傀儡政権 金日成(きんにちせい)は、スターリンの許可をもらって6月25日未明に38度戦を超えて攻めてきました。

 時の韓国大統領李承晩は逃げに逃げて釜山に行きました。北朝鮮軍は李承晩を海に叩き落とそうと目論みました。米軍も最初は何をしていいかわかりませんでした。これを救ったのは朝鮮半島に残っていた旧帝国陸軍の兵たちです。見事に仁川逆上陸を成功させ形勢は逆転します。その後、米軍は鴨緑江(おうりょくこう)まで押し戻しますが、ソ連はその場で手を引きます。今度出てきたのは支那軍です。彼らは督戦隊というのがいます。味方の後ろに控えている銃撃手が突撃から逃げてくる自軍兵を撃ち殺します。

 なので、支那のものすごい人海戦術対米軍になります。普段は偉そうにしていますが、いざとなったらビビリィのマッカーサーはこの時、この人海戦術を恐れてトルーマンに原爆使用の許可を得ようとします。そんなことをしたら米国と毛沢東の全面戦争になるのでマッカーサーは解任のきっかけをつくっただけでした。

 この時、李承晩はさっさと端役に回りました。暇になった李承晩は「李承晩ライン」を引いて、こっち側は韓国の領土であると宣言しました。日本漁船を拿捕しまくります。漁船員44人を殺し、役4,000人を拉致しました。狭い牢ひとつに二十人も詰め込んで虐待します。死人も出ました。李承晩は漁船員の釈放を求めて日本と交渉します。在日韓国人殺人犯など472人の犯罪者釈放させた上で日本の永住権を日本に飲ませました

 戦争はよその国に任せ、自分たちは裏舞台で身勝手な国益追求をやるという白村江、日清戦争、日露戦争と同じ逃避をやりました。

 いまだに竹島は韓国の不法占拠が続いています。この時はまだ敗戦間近だったので仕方がないところもあったのでしょう。でも、今、同じ様なことをまた韓国や他の国がおこしたら

あなたが総理大臣ならどう判断しますか???

 同朋が蹂躙されているのを日本国憲法「典」の「自分が平和だったらそれでいいという似非平和主義」で黙って見ていますか? それとも、同朋を救えと軍(自衛隊)に救出出動命令を出しますか(防衛出動)?それともメディアに報道規制を敷いて国民には黙ったままにしますか? それとも戦争は嫌だと同朋を見殺しにすることを国民に訴えますか?

れを書き終えると累計ブログ記事1万件まであと82通です。 今日は、あまりたくさんブログが書けません(その分昨日書きました)。


20180212ブログ記事より(過去の石破の発言です。こんな共産主義者を総理にしていいのですか?)
・日韓合意に関して韓国側が納得するまで謝罪しろ!
・「第二次世界大戦(まあ、こう呼ぶこと自体がもう間違えている)の時、日本の指導者達は何も知らない国民を戦線に駆り出し、間違った戦争をした。だから靖国神社に参拝しない。
・あの戦争は間違いだ。多くの国民は被害者だ。
・日本には南京大虐殺を否定する人たちがいる。30万人も殺されていないから南京大虐殺そのものが存在しないという。何人死んだとか大虐殺があったかは別問題。
・日本には慰安婦についていろいろな見解があるが、日本軍が関与していた事は間違いない。
・日本人が大東亜共栄圏の建設を主張したことは侵略戦争に対する一種の詭弁だ。日本は中国に謝罪するべきだ。


20180810のブログ記事より(武装中立)
  歴史上、世界で一つだけ、古代より中立を實現した國がありました。我が國 日本です。それも非武装ではなく、武装中立を。江戸時代なぜ、カトリック教會主義を排除できたか(鎖國ではない)。秀吉はなぜスペインを入れなかったか。伴天連を追放することができたか。常に、世界に先駆けた武装中立だったからです。

 つまり、軍事力とは、戦争をする道具ではなく、戦争を防ぐ(相手に戦争をさせない)手段なのです。なのに戦争=武力のTV番組ばかり。勘違いをするなと云ひたい。

 本日2(0250307)
  かつて世界的ベストセラーと言われるカーネギーの「人を動かす」と「道は開ける」を読みました。そこには「人を否定するな(表現が違うかもしれませんが)」という言葉が載っていました。なぜなら「自分のことを人間はわかっていないからだ。殺人犯でさえ自分のことを悪いと思っていない」と書いてありました。例えば、立憲民主党。自分たちが共産主義とは気づいていなく日本をダメにする政策を実行しようとします。これがやっかいなんですね〜。共産主義左翼リベラルは、ソ連崩壊後、いろいろな組織に潜り込む様になりました(特に環境問題:ドイツなんて酷いものです)。そして、一見耳に心地よい言葉だけ発信して、多くの国民をいつの間にか本人も気づかない様に共産主義に洗脳していきます。耳に心地が良いので信用します。少数意見を聞けと言いながら、それを全体の意見にしようとします。

 良い例が池上彰です。「9割本当のことを言って『なるほど』と思わせ、最後の1割で人を洗脳します」。


武力とは   「戈(ほこ)」を「止(とめる)」と 云ふ字なり 武装中立 意義ある言の葉

心地よい 響きで聞こえる 主張には その背景を よく知る必要が
  これを書き終えると累計ブログ記事1万件まであと83通です。

  父の入退院第二弾です。私からするとよい親父でした(結果的には:笑)。出光興産株式会社本社にl勤務の頃、父と新橋にある「よもぎ」という、父の小学校のときの同級生の女性がやっている飲み屋によく行きました(すごいですよね笑)。私のかみさんもきたことがあります。いい飲み屋さんでした。そこで親父と仕事についてバンバン笑いながら話していると、おかみさん(確か、みよちゃんという名前)が、「よくそんなに親子で話すことがあるね」といつも言っていました。私が「お母さんも一緒に飲もう」と言ってビールを注ぐとみよちゃんは嬉しそうに飲んでくれました。父は、「お前、 飲ませ方がうまいなあ」と言ってました。よもぎで父と別れてお互いの家に帰ります。そうすると母から電話「お父さんは無事つきました(この電話は必ずあった)。今日もありがとう。あんたと飲むとお父さんうれしそうだわ笑」といつも言っていました。その頃は父は、人生の転機どころか、今まで生きていた中で一番収入も大きかったのだと思います。父は、全額、母に渡して小遣いをもらう人でした。親父宛にきた手紙は、親父が家にいない時でもいつでも「開封して連絡してくれ」と言っていた人でした(昔はみんなそうでした)。これはかみさんにしたら最高に嬉しですよね。晩年、独身の妹と一緒に住んでいる時も、父の年金はすべて妹に渡し家計を任せていたようです。

 この頃は完全に夫婦の関係は出来上がっていました。母はあんなに嫌がった結婚だったのに爆笑。

 私が出光興産株式会社に内定が決まった時など「健、俺はなあ、日本一の出光興産ファンだ」と公言してはばかりませんでした。この年代の人は、やはり、母も活躍した日章丸事件の感動が忘れられなかったんですね。

 ある時、父の会社がどうしても出光石油化学と取引が必要になりました。母は元上司の、大和さん(母の葬儀に来てくれました。当時は出光石油化学の社長です)に電話をかけます。父は上司と一緒に出光石油化学の大和さんに会いに行きました。大和さんは「私は何をすればいいですか?」と言い取引が始まりました。父の上司は「宝徳は、出光石油化学の大和社長と友達だ!」と帰社後叫んでいたそうです。大和さんは、日章丸事件の時に母を一週間拉致した張本人です笑。「ぼんちゃん、ぼんちゃん」と言ってやめた後も可愛がってくれました。汎子の汎をとって「ぼんちゃん」です。

 それほど日章丸事件というのは大きな世界だったのですね。母は、その時、残業で大和さんにご馳走になった天丼のことを言うだけでしたが笑。

 母はいつも、「出光の社員はね朝早く来て書類を整理して9時前には、行ってきますと出かけて、夕方帰ってきてそれからまた仕事をするんだよ!」と言っていました。まさに働き方改革=働かない改革ではなく、働きがい改革ですね。確かに私がいたときも(今は知らんけど)、仕事を強制された覚えはなかった。ただし、これ頼むという言い方で仕事を引き受けます。期限がはっきり決めてないんですが、上司が「できたか?」と言った時にできてないと、それ以降は仕事を頼まれませんでした。それが、売られた喧嘩を買ってきた私には、すごく面白くて楽しくて仕方がありませんでした。おおらかないい会社でした(今は知らんけど)。

 さて、そんな親父が椎間板ヘルニアで入院して、退院したときの手紙です。母から叔母(洋子)への第二弾です。 洋子姉ちゃんにだけは母は愚痴を言えたんですね。可愛いだけではなく甘えられる存在でした。

れを書き終えると累計ブログ記事1万件まであと84通です。

世界平和は宗教があって国体がない国には無理です。特に一神教というのはその神以外に信じることを許しません。私は学生時代に友人の結婚式に出た時にびっくりしました。「あなたは彼を愛することを『神に誓いますか』と新婦に言うのです。キリスト教徒というのは神に誓わないと人を愛せないのだろうかと思いました」。

  ユダヤ教の神は、「他国に入ったら男は殺せ、妊婦も殺せ、処女は自分たちのものにして子を産ませよ」と言います。民族浄化です。

 支那共産党も宗教のようなものです。共産主義は宗教を認めないと言う発言をしますが、それは共産主義のテーゼに反することを許さないからです。

 つまり他国は破壊神しかいないのです。それも自分の髪に逆らう者を破壊する。

 日本には天照大神という創造神と須佐之男命という破壊神が両方いる世界稀有の国です。それも三重県と和歌山県という隣県に共存しています。平和の時は天照大神が民を守るように皇孫に言います。

 他国に攻められた時には須佐之男命が出て我國を守ります。

 縄文時代には世界最古の文明が花さき、そして対人関係武器がひとつも出土されていません。

 アフリカで生まれた人類が、日の昇る国とはいったいどこなんだろう歩いて(当時は寒暖期だった)日本まできました。そこには争いのない平和な国がありました。食物もたくさんありました。この日本に来た民族は、最初は乱暴でしたが日本に馴染んできます。それが古事記の「海彦・山彦」の物語です。我が国は海の民が陸の民に馴染む国だったのです。

 それに文化も支那何千年の歴史とプロパガンダしている支那よりも何千年も古い文化がありあました。米作も少なくとも熊本の集落で七千年前から始まっています(歴史学会は絶対に認めたくありませんが)。

 それが官僚が育ち、軍部までが武士を捨て官僚化しました。そして世界の奇跡の国日本を潰しました。きちんと世界が日本を認めていたら、もしかしたら共産主義はできていないかもしれません。できていたとしてもほんのわずかです。朝鮮戦争は起きなかったでしょう。ベトナム戦争も起きなかったでしょう。

 ソ連が崩壊した時に、世界各国は日本が大国化すると思っていました。日本にはその意志がありませんでした。ソ連が崩壊した時に北方領土を取り戻せるチャンスなのに日本にその意思がありませんでした。拉致被害者五人が帰ってきた時に他の被害者も救出するチャンスだったのに日本にその意思がありませんでした。竹島を取り戻すチャンスは星の数ぐらいあったのに日本にその意思がありませんでした。

 大日本帝国ならこんな問題は起こらなかったか解決していました。

 では、日本はどうすればいいのでしょう。シリーズで書いて参ります。
  れを書き終えると累計ブログ記事1万件まであと85通です。

  石破がウクライナと欧州を支持すると表明しました。力による現状の変更には反対だとも。そんなのわかっているんです。彼は本当に今まで喧嘩をしたことがない。喧嘩とは何か「大切なモノとコトを守るために自分の命をかけること」です。

 本当にそれをいうなら何を考える必要があるかを考える力が石破にない。悔しいかな今の日本は、ポジティブリストの制約による軍事、経済力の裏付けがない軍事(それでも、必死に防衛三文書までにこぎつけた力はありますが)しかない。それなら、質と両方で世界最強の日米同盟を基軸にしなくてはならないのです(悔しいけど)。日米共同でウクライナ問題をどうするかをトランプと話し合うことが重要ではないのか。トランプとゼレンスキーがあんな共同記者会見もあっけない終わり方をしたのなら。

 石破は、「トランプがアメリカファーストを実現したいならもっと日本を利用しろよ」と言わなければならない。ただしこの時に支那共産党の話は一才口に出さない。それはトランプに気を遣ってはなく、支那共産党への牽制です。結果的にそれがトランプのためになる。さらに、安倍さんが提唱してた実現した「ダイヤモンドセキュリティ構想」で、支那共産党とロシアを取りかこむ。

 それで我が国の安全保障を築き上げる。そして国民に、我が国の安全保障の枠組みの作り方を説明し、これこれこうやって国と民を守るから力を貸してくれというコンセプチュアルスキルを発揮するのが正当だろう。それを説明した上で本当に必要なえら増税をすればいい。ただし、短期で。

 なのに手法論・政策論が先にきて「誰のために何のために」がわからず進んでいるから、自民党も公明党も野党も、手法論の話し合いに終始してしまっています。これは無謀と言わざるを得ない。

 石破はリーダーではない。政策論の一部をになえるテクニカルスキルしか持っていないただのマネジャ−である。

 企業においても今はマネジメントスキルで終わっているケースが多々あります。実際に上司になったら、一人一人のマネジメントスキルで対応していたら時間がいくらあっても足りません。目的・目標・手段がしっかりつながったコンセプチュアルスキルでやらないと組織は機能しません。


オーナーマンシプ
コンセプチュアルスキル
ヒューマンシップ(ただし人材育成をここで終わったら『良い人間だが弱い人間を作って位しまう。
マネジメントスキル
テクニカルスキル

の段階で今の石破や岸田は2段階目にしかいないし、これではトランプに相手にもされないでしょう。というかトランプには俺に喧嘩を売っているのかとしか聞こえないでしょう。こんな人が日本の宰相をやっているのです。無謀です。非常に危険です。メディアもこれを叫べよ。同じような論調で叫ぶのではなく。
  れを書き終えると累計ブログ記事1万件まであと86通です。

  この寒さで少し風邪を引いて喉が痛くなりました。病院に行くまで酷くないので、のど飴を買ってきました。でも、のど飴って私にとっては味がイマイチなんです。のど飴を責めているわけではないんですよ😭。あまり高い価格は買いたくないんで良く行くスーパーに行ったらなんと「不二家ペコちゃんのMilky」が売っているではありませんか? 子供の頃食ったけど、なんか小さい頃の懐かしい思い出に溢れた「不二家ペコちゃん飴」だけだよね。笑いながら買ってみました。
 

  「うまかっちゃーん!!!たまらんちゃけん!!! 言わせんめいが(博多弁)」という感じで風邪にもとても効きました笑。

  思い出って薬なんですね。

ぺこちゃんが 笑っているよ なめていると 素敵な時間 久々の時間 
  れを書き終えると累計ブログ記事1万件まであと87通です。

  この輸入自由化を書き得たらこのシリーズは一度、締めます。私たちが出光興産株式会社にいたことより業界自体はかなり良くなっていると思います。流通が整備され社員や特約店(販売店)の余計な仕事がずいぶん失くなってきています。

 ただ、石油業界はその製品の特性からメジャー(セブンシスターズ)や政治や官僚や利権団体の道具に利用されていることが多かったのも事実です。これは日本だけではなく、ジェームス・ディーン、エリザベス・テイラーの映画「ジャイアンツ」の頃からのアメリカでもそうです(つまり最初から)。産油国は欧米から虐めにじめられてそれで失脚した人もたくさんいます。

 出光佐三店主(出光興産株式会社創業者)は「出光五十年史」「積み重ねの七十年」「出光三十年の歩みに誤りなし」(これらは今でも私の生きるバイブルです)等で、「出光の経営は最初の十年ですべて決まった」とおっしゃっています。それは技術的なことではなく、人間としてのあり方です。

 「五十年史」では、会社の状況が悪くなればなるほど喜んでいます。「人が育つ」と。よくなればなるほど嘆いています。「人が育たない」と。

 それを考えると、あの不合理・不都合・鬱陶しさ・不条理等の出鱈目だった時代も店主にとっては、笑い飛ばすようなことばかりだったんですね。だって、その中でも立派位に経営していた方々もいらっしゃったですものね。

 今はずいぶん市場が整理されて、そういう「不合理・不都合・鬱陶しさ・不条理等」が内容に思えます。

 私が大阪支店で課長としていたころ部下があまりの値決め(販売店との値決めをする際に業界の流通網の整備の遅れが邪魔をしていた)の際に、「課長、本社の方で統一価格を決められないのですか?」と言いました。私は言いました「石油旬報を読んでいるか? リムは把握しているか? 日経の石油欄のデータは読んでいるか? もし本社が価格を統一すると担当者から相場感がなくなるぞ」と。

 私の人生では、あのドングサレの不良中学で経験した恐怖にも似た経験や出光興産で経験した「不合理・不都合・鬱陶しさ・不条理等」は独立した時にとても役に立ちました。だって、それを熟考して乗り越えると自分が成長するのですから。

 さて、石油業界の自由化には二つありました。アップストリームとダウンストリームの自由化です。
 れを書き終えると累計ブログ記事1万件まであと88通です。 

 今日から二十四節気は啓蟄(けいちつ)です。土の中で縮こまっていた虫が穴を開いて(啓いて)動き出します。昔から、長い冬を乗り切った日本人が「さあ、働くぞ」と心から感じる始める日です。農作業を始める日でもあります。基本は農業国の日本は、この七十二候が何かに気づく日となっています。なのに、勝手に祝日を変えてします。国会議員たちよ。もっと勉強せい。

 「さあ、働くぞ」っか〜笑。働き方改革=働かない改革の人たちはどう感じるんだろう笑。

 そして、七十二候が啓蟄 初候 蟄虫啓戸です。「すごもり(蟄)むし(虫)と(戸)をひらく(啓く)」と読みます。意味は啓蟄と同じです。

 旧暦二月八日を「事始め」と言います。十二月八日が「事納め」です。新暦の事始めはこの時期になります。繰り返しますが、日本人は賢く好奇心も旺盛なので、この旧暦も残しておけばとても情緒豊かな人間が育ったでしょうね。

 虫と言いますが、生き物全てです。昔は、もっと虫や小動物と身近な生活でした。ちょっとでも甘いものを床に落とすと、蟻の行列ができていました。サッシではないので雨戸の隙間から蛾が入ってきましたが、夏になるとクワガタムシやカブトムシも一緒に入ってきて嬉しかった。

  蛇なんか屋根裏に住んでいた。十姉妹を飼っていた時、夜、蛇が鳥籠に侵入して十姉妹を食べてしまったことがありました。蛇は十姉妹を食べたのでお腹が膨れて鳥籠をでることができません。頭に来て鳥籠ごと外に持っていって、蛇の頭を木刀で叩き物しました。木刀を持っていたということは私が中学一年生の時です。十姉妹は、餌の交換や鳥籠のそうじのときは、かごから出しても外には逃げず、肩や手に乗っていたのでとても可愛かったのに。餌の交換や鳥籠のそうじは私の担当でした。

 動物を飼うのは可愛くてとてもすきだったのですが、別れる時が辛すぎます。犬も2匹飼いましたが・・・。

  「やもり」の別名「かべちょろ(九州の方言)」は台所の壁をいつも走り回っていました。母がこれは「かべちょろっていってヤモリの別名なの。やもりはねえ「家守」とも書くのよ。だからとてもありがたい動物なの」と言っていました。

 蛙は庭にいるし、おたまじゃくしは田んぼからとってきて育てていました。ため池の水門を開ける日が事前に告知されていました。人々が危なくないように。水門を開けると、ため池にいた魚たちがバーっと田んぼの畔の水路に大量に流れてきます。それを取るのがとても楽しみでした。でも、ガキ大将が「絶対すっぽんに触るな!指を食いちぎられるぞ!くちばしが尖った亀だ」と教えてくれました。

 昔はガキ大将がこんなセーフティ教育をしていました。怖いけど、とっても頼りになるお兄ちゃんでした。

 ザリガニもよく釣りました。ザリガニを釣るには、ザリガニをとって、その身を餌にします。何のために取るの?  て、「益はなくても意味はある(相田みつを)」です。

  蜘蛛も家の中ではいつも見かけました。蜘蛛はゴキブリを食べてくれるので良い虫なのよとも教えられました。

 不謹慎な言い方ですが、長い夏休みが開けると、たいてい子供がひとり亡くなっていました。ガキ大将と遊ぶ機会が夏休みには減るからです。今では考えられないリスクを子供達は本能的にセーフティネットを作って自分たちを守っていたのですね。

 さあ、啓蟄の頃の和菓子は。
れを書き終えると累計ブログ記事1万件まであと89通です。  

「まず応用情報技術者でインプットの基礎力構築」と同時に「情報処理安全確保支援士でアウトプットのホワイトハッカー能力構築」

❶応用情報技術試験まであと、約222日、5,328時間、319,680分、19,180,800秒(発表がまだのため令和7年10月10日で設定)
❷情報処理安全確保支援士試験まであと403日、9,672時間、580,320分、34,819,200秒(発表がまだのため令和8年4月20日で設定)
❸70歳まであと約2,362日、56,688時間、3,401,280分、204,076,800秒(令和10年8月20日まで)
❹106歳の誕生日まで11,107日、266,568時間、15,994,080分、959,644,800秒(令和37年8月20日まで)

 今日は、日経ビジネスの記事からです。著作権があるので全文を紹介することはできません。以下、URLをご覧ください。

https://special.nikkeibp.co.jp/atclh/ONB/25/gov_online0214/

 もはや中小企業といえどもDX(デジタルトランスインフォメーション:企業がデジタル技術を活用してビジネスモデルや業務プロセス、組織文化などを変革すること)は避けて通れません。しかしならが、安易な導入は自社のサイバーセキュリティが未熟だと同じ中小企業だけではなく大企業にも影響を及ぼすこととなります。特に新しいシステムというのは最初からサイバーセキュリティを想定して創っていません。なので、ブラックハッカーの格好のターゲットになります。

 ですから中小企業といえどもサイバーセキュリティ対策が今後、喫緊の課題になります。

 そして、これまで申し上げてきた「ランサムウエア(企業のデータを暗号化して身代金を要求する)」が一番サイバー攻撃で増えているのです。ランサムウェアの被害を受けた企業の6割以上が中小企業です。中小企業の方が攻めやすいからです。

 大手企業が被害にあった場合でもその火種は中小企業というケースが増えています。最初に中小企業のシステムに侵入し、そこからサプライチェーンのネットワークを介して大企業のシステムを攻撃するのです。

 大手自動車メーカーがランサムウェアの影響で操業停止を余儀なくされたケースでは、最初に攻撃を受けたのはその大手の部品メーカーの子会社でした。大きな病院の電子システムカルテが攻撃されて診療がストップしたケースでも、休職事業者のサーバーを経由して侵入されました。

 いろいろなセキュリティガイドラインが増えているので、セキュリティに取り組む中小企業が増えてはいますが、まだまだ「そんなもの必要ない」と考えている中小企業が多いのも事実です。

  れを書き終えると累計ブログ記事1万件まであと90通です。

  from yuor taxpayer(アメリカ人は政治家に手紙を書くときには最後に必ずこの言葉を書くそうです)。

  今のほとんどんの政治家・官僚ならもう日本の社会には不要です。なんでこんなに愚かなやり方ばかりするのか。何十年もの永きにわたって、国民を苦しめ。自分たちの保身のためだけのために誤った政策を展開する。それも、歴史を学ばないので、これまでで何度も失敗していることを平気で繰り返す(このことは繰り返しこのブログで述べてきました)。民を苦しめるの無知か!

  例えば、今回、江藤農水相が、備蓄米の放出量を徐々に増やすと言っていますが、こんなの言ったらいろいろ画策するやつが出て来るだろう。みんなが「えっ」と驚くスピードでみんなが気づかないマーケット(財市場)を作るのことが政治家の仕事だろう。

 こういうのを「戦力の逐次投入」と言って、もっとも愚かな戦い方なんです。徐々に徐々に様子を見ながら少しずつ武器を使う。

  あんなに強い、世界最強の帝国陸海軍を有しながら、大東亜戦争で大日本帝国を滅ぼした、山本五十六のやり方です。

 山本五十六とか、今の政治家とか(特に石破)岸田とかは若い時に喧嘩をしたことが(おそらく)ありません。喧嘩をしてはいけませんと教えるので、喧嘩ができない男が増えています。喧嘩と暴力の違いもわからないから、暴力が横行します。政治の世界では最後に政局を作って無理矢理力技に持って行ってぼ暴力をふるいます。また政治が乱れます。

 かみさんに聞くと、確かに物価はものすごい勢いで上がっています。でも、それに対して無策です。例えばAという表品の物価が1,000円だったのが3,000円になります。そうすると消費税が100円から300円に上がります。なら時限立法でいいので、消費税をなしにしろよ。

 能登半島の方々に対してもそうですが、被災地には3年〜5年ぐらい消費税は無しにしろよ。

 立憲民主党の野田よ。あなたが学んだ松下政経塾を創った松下幸之助翁の理想を知っているかい?

無税国家の実現

だぜ。どこで何を学んだの? 松下政経塾で学んだ人間は高市早苗以外はみんな使い物になりません。

 自民党の税制調査会さんよ!財源財源というなら経済成長をすればいいんだ。あんたたちは共産主義者か。自分たちは何もせず。国民から奪うことしか考えていない。吸い上げた税金で少子化や地方創生に補助金を出すのではなく、経済を活性化したら民は自立する。民の人生にまで口を出すなよ。

 相続税で富の再分配をするなんてこと不要!! 富の再分配は政府にやってもらうことではない。こういうのを「田分け(たわけ)」と言います。家督相続で十分です。

 物価が下がらないならいくらでも、減税できるものがあるだろう。それで民の暮らしを楽にしろよ。

 仁徳天皇の民の竈の話をよく学べ!!!

  維新さんよ。この二回ぐらいの選挙で、あなたの党に投票した私がバカだった。特に前原さん。あなた何をしたいの? もう二度と維新には投票しません(というか、投票する政党がない)。もっとハングパーラメントを存分に操れよ。

 日本人は優しいからいいのですが、他国なら暴動が起きています。

 もう一度書きます。from your taxpayer

無策なり 政治家たちの ご都合主義 世界はいまも 戦っている

虎よりも 猛なりといふ 意味をしれ 政治家・官僚 無知もよく知れ

※苛政は虎よりも猛なり
 学校で習いましたよね。民衆を苦しめる政治は虎よりも恐ろしい。悪性を戒めることば。

 あっ、石破よ。80年談話なんて出して、またぞろ世界に恥をさらすなよ。国民は恥ずかしい。あんた自分のことがわかっているのか? 慶應義塾で福澤諭吉先生になにを学んだ!!!

  れを書き終えると累計ブログ記事1万件まであと91通です。

 大好きな曽野綾子さんがお亡くなりになりました。令和七年(2025年)二月二十八日午後二時五十九分。今更この方の素晴らしい軌跡を申し上げる必要はないと思います。ご冥福をお祈りいたします。私は曽野綾子さんの晩年の作風が好きです。「誰のために愛するか」「老いの才覚」「夫の後始末」「コロナという非日常を生きる」などなど。

 老いを楽しみながら覚悟を持って生きていらっしゃいました。

 この 年代の女性作家上坂冬子さんもそうですが、生きる覚悟が違います。日本男児が失ってしまった生き方を創造していらっしゃいます。テーマは(これは私が思っているだけです)「だからなんだぐずぐず言うな。前を向いて生きろ」です。確かに今の人間は生きて行くのに「ぐだぐだ言う」のが当たり前になっています。昭和がどうの平成がどうの令和がどうの。男がどうの女がどの。コロナがどうの。老いがどうの。めんどくせ〜。

 それがこの年代の方は、「スパッと」生きていらっしゃいます。

 私の人生目標の一つに「人に学び、生き方に学び、そして生き方を創る」と言うものがあります。

 誰に学ぶか。明治の男たちであり、そして、この年代の女性作家です。

 その綾子さん、あなたの生き方を学ばせていただいております。心から感謝しています。あなただったらきっと天国に召されるのでしょう。でも、上坂冬子さのと一緒に閻魔大王を叱りつけている曽野さんをみてもみたいような笑。あっ、曽野さんクリスチャンでしたね。ローマ帝国を倒し、欧州に暗黒の時代を何百年も作った、あのぐだぐだのキリスト教も、日本に来れば洗練されるのですね。

 お疲れ様でした。ゆっくりお休みください。と言っても、休む方ではないですよね。天国でもご活躍ください。

人のことを どうのこうのと 云ふ前に 己の生き方 創る人々
  これで、宇佐美の親父さんの記事を30ぐらい書いてきました。まだ書いていないエピソードもあります。もっというと、これは書けないなあ、という記事です。これまで書いてきたことと、そのオフレコ記事を一つにまとめてでデジタルブックにします。
 
  ブログ読者には無料で送付します(ただし、メールかライン)。ご希望の方は、このブログの「検索」機能を活用するか、メールかLINEでください。このブログからでも検索できますが、面倒臭いですよ笑笑。

メール:tsmhoutoku@gmail.com
ラインは、QRコードを送りますので、まずは、メールをください。
  れを書き終えると累計ブログ記事1万件まであと93通です。

 NHK朝イチの小芝風花さんをMHK+で観ながらブログを描き始めました。彼女素敵ですね。以前から存じ上げていてこの人素敵だなあと思っていました。小芝風花さんは演技が上手ですよね。最近の女優さんはみんな素敵です。TVを観るたびに「あの女優だれ?」と聞くと「何回教えればいいのよ」とかみさんにいわれ、今ではもう無視されています。

 さて、今日から二回ぐらいのお時間をいただいて母と結婚した後の若い頃の父を紹介します。若い時はもちろん94歳で亡くなるまでストイックな人でいつもなにかに目標を持って取り組んでいる人でした。心臓の病気で生死をさまようよな状態にあっても少し良くなると(まだ歩けないときなので)腿上げを片足毎日20回ずつやっていたり、退院する際も看護師さんから「二、三日家で安静にしてください」と言われているのに、「もう、退院したらすぐに散髪屋に行くんだ」と言って聞きません。看病していた妹も最初は心配していたのですが、退院するときは「お兄ちゃん、もう好きにさせり。まだ死ぬ様な人ではないよ」と呆れていました。こんな父を母はよくコントロールしていたものです。

 敗戦後、祖父はシベリア拉致で向こうで亡くなって帰ってきませんでした。祖父のことはまた改めて書きます。残されたのは祖母、伯母(敏子:長女)、佳男(父:長男)、正是(叔父:次男まさよし)、信(叔父:三男まこと)、卓(叔父:四男たかし)、治(叔父:五男おさむ)。信だけは、二歳で元山という朝鮮の街で亡くなりました。肺炎です。鯉の生き血をを飲ませたりして生きるのを望んだそうですが、可愛い笑顔を見せながら命を閉じたそうです(当時の肺病は死病だった)。祖父と父は召集されていたので、祖母と五人の子が北朝鮮から引き揚げてきました。軍隊が失くなった国の民族は外国人から筆舌に尽くしがたい酷い目に遭います。祖母は長く一緒に住んでいたのですが、引き揚げの話は祖母から聞いたことがありません。よほど辛かったのでしょう。この辺はまた書きますね。

  大日本帝国海軍が解体され、みんなが引き揚げてきたなかで、父は長男として家族を支えなければなりません。福井県丹生郡越前町玉川の、昔は「宝徳屋敷」と呼ばれた宝徳本家の土地建物はいつの間にか人に取られてもうありません。仕方がなく大阪に出てきた父は、バッタ屋までやって暮らしていたそうです。腹が減って腹が減って、道を歩きながら揚げ饅頭(あんドーナツのことを父は亡くなるまでこう呼んでいました)食っている人間をつけ回して奪おうとしたこともあったそうでです。帝国海軍甲種飛行兵第十四期(甲飛十四期)の父の人生もまた書きます。父(祖父)にいて欲しくて欲しくてしかたがなかったと晩年よく言っていました。
※バッタ屋:金属など金になりそうなものを道から拾いそれを売りに行って幾ばくかの金をもらう人。

 母と結婚して大阪府枚方市に家を移ってきた時に、父は椎間板ヘルニアになって長期入院します。今のようにセーフティネットの仕組みがある訳ではないので、収入ゼロです。母は内職をして家計を支えました。あるとき子供達に「昼間はいなくなるけどお母さんは働きに出る。このままでは、あなたたちに、おやつも用意してあげられない」と言いました。子供達三人は「おやつなんかいらないから働きにはいかないでくれ」と母に頼みました。私が幼稚園の頃だったと記憶しています。母は内職をしていましたが、相当苦しかったのだと思います。でも、いろいろな工夫をして私たち子供には、ひもじい思いをさせませんでした。祖母は祖父の年金だか恩給だかしりませんがかなりの額をもらっていたはずです。でも、あまりそのお金を家には入れていないようでした。それにどんなに母が忙しくても、祖母が台所に立ったのを見たことがまありせん。

 私たちのおやつは「パン屋さんで母が無料でもらってきたパンの耳を母が揚げたもの」「農家から母が安くもらってきた生卵一個ずつ」「これも母がもらってきたんだろうなあトマト一個(昔のトマトはうまかった)」「祖母が庭に植えていた柿」「長屋の裏に自然となっていた無花果」などなど。なので、私は外でおやつを調達するのがうまくなりました。野いちご、スイカやイチゴ(これは少しだけ盗んで食べた:ごめんなさい)、桑の実、回覧板おやつ(昔は回覧板というのがあって、町内連絡を板に乗せた紙で回しあっていました。それを隣の家に持って行くと隣のおばちゃんが紙につつんだおやつをくれます)。でした。そんな中でも母は子供達に対して笑顔をたやしませんでした。母のため息は聞いたことがありません。母が泣いたのは一回しか見たことがありません。母の愚痴も聞いたことはありません。

 その頃の母から叔母(洋子)への手紙を紹介します。洋子ねえちゃんだけには少しお愚痴をいっています笑。
  れを書き終えると累計ブログ記事1万件まであと94通です。

  最近、かみさんが夕方に突然いなくなるんです。どこに行っちゃったんだろう。出て行ったのかな笑?とか考えるんですが、実は、図書館に本を借りたり返したりしに行ってるんです。私も自分の蔵書を3000冊をほとんど手放してから図書館にで借りるようになりました。西宮市は図書館政策がとても充実しています。ある本をネットで検索することもできるし、借りる予約もすることができます。私の読みたい本も充実しています。図書館も市内にいくつもあり、全体で蔵書を管理していてその全部がネットで検索することができます。「へー」って感じでした。学生時代のように本屋さんで立ち読みすることも増えました。


 最近の讀賣新聞が定期的に「書店活性化」の記事を載せています。これが実にいい。今朝の朝刊には「鳥取方式」が書いてありました。図書館は書籍を長く収蔵・保存し、書店は新しい本に出会える場を提供する。読書を楽しむ人に多様な機会を提供する仲間だ。と書いてあります。大賛成!!!

 鳥取県立図書館では、1990年の開館以来、地元書店から本を購入しているそうです。協力書店が持ってきた本から司書が選んで購入する「見計らい」を週二回行っています。また様々な専門書も地元支店を通じて発注しています・

 年間予算は1億円!!! 購入するのは約23,000冊。そのうち9割以上は県内の八つの支店で書店で買っていて「鳥取方式」と呼ばれているそうです。

 これ書店のレベルも向上しますね。私は、本を買い始めた時は、だいたい20冊に1冊ぐらいしか良書に出会えませんでした。でも、十年以上、200冊/年以上読み続けているとそれがなくなりました。図書館の司書のレベルも上がりますね。地域の文化も創造できます。

 昔、ある人から「本を読む人は自分の小ささを知る。本を読まない人は他人をバカにする」と「人に自分の思いを伝えたかったら最低200冊/年以上は読んでから思いが伝わらないと言いなさい」と教えられました。

 いいなあ、いいなあ。鳥取いいなあ。いいなあ、いいなあ、最近の讀賣新聞は政治経済以外は本当に素晴らしい。讀賣新聞に感謝。

 本を読むきっかけが増え、本を読む機会が増えたら、人間は、日本人は特に好奇心が旺盛な民族です。また本を読みたくなります。

 本と逢う 本に囲まれ 本を読む 時間をかけて 命に染み込む
本が語る 私を読んでと 本が語る 至福の時間 生きる実感
 これを書き終えると累計ブログ記事1万件まであと95通です。

  今日の、讀賣新聞オンラインからです。「2月28日のトランプ米大統領とゼレンスキー氏の会談決裂を受け、他の欧州諸国と連携してウクライナを全面的に支え続ける意向を強調した」

 これ以上は著作権に違反しますので記事をご覧ください。

 https://www.yomiuri.co.jp/world/20250303-OYT1T50002/

  私の言った通りでしょ? トランプの頭の中には「アメリカを強くする」というコンセプトがあるので、どこをどうするかという設計図が頭の中でできています。プーチンにもNATOにもゼレンスキーにも全く設計図はありません。もちろん大統領時のバイデンには全くそんなことを考える気もありません。

  習近平には「支那で世界統一をする」という設計図(コンセプト)がありますが、今、国内や一帯一路がうまくいっていないので、今回のロシアとうまくいけばウクライナを取るという共産主義特有の「自分では生産しないが他人や他国のものとことを取る」ことを目論んでいます。

 全くゼレンスキーは愚かですね。外交というのは右手でぶん殴りあっていても左手では握手することが大切です。それなのに、駄々っ子のようにぐるぐる手を振り回すような喧嘩をしただけです。そして、欧州に泣きつきました。


 最初から今日の讀賣新聞オンラインの記事の内容「+NATO加盟」のプランぐらい先に持って行くべきでした。その前にこれまでアメリカが支援した19兆円のお礼を正装して言うべきでした。19兆円って、そんなGDPや年間予算の国はそうそうないぐらいです。

 ファイティングポーズもとらずに良い喧嘩はできません。 そして、この戦争に勝つという姿勢も必要です。「それにプーチンがどう反応するか?」ですって?  バカなこと言わないでください。それを探って相手の目的を知るために勝つという姿勢を示すのです。相手の目的を知り、その目的を叩き潰すためと自分が勝つための目的・目標・手段を知る。戦争における任務分析の常識でしょ?

  欧州も ゼレンスキーも プーチンも 旅の目的  一切見えず

トランプと 習近平の 外交で 今の日本は どこにもいない

このままで いいのか日本 世界地図の どこにもいずに このまま生きるか

このことを メディアは叫べ 情けなしと その情熱が メディアの使命

憲法「典」 の 似非平和主義に だまされる 今の日本に 怒れよ国民

これだけに 世界が小さいく なっている 明日我が身と 思へよ国民
  これを書き終わると累計ブログ記事1万件まであと96通です。

  今日は上巳の節句ですね。節句には五つあります。五節句を整理しておきますね。

人日(じんじつ)の節句:一月七日 七草粥を食べる日ですね。

上巳(じょうし)の節句;三月三日 桃の節句 ひな祭り
 三月最初の巳(み)の日です。

端午(たんご)の節句:五月五日 
 五月最初の午(うし)の日です。菖蒲の節句です。

七夕(しちせき)の節句:七月七日
 七夕ですね。笹の節句。織姫と彦星の話は有名です。

重陽(ちょうよう)の節句:九月九日
 奇數は陽です。陽の奇数の一番大きいのが、九です。その九が二つ重なるから、重陽となりあます。菊の節句です。
  これを書き終わると累計ブログ記事1万件まであと97通です。

 「私」という時の辺の「禾」は、穀物のことを示します。造りの「ム」は「肘で穀物を自分の方にかき集める」という利己的なことを示します。つなり「私」と言う字は自分さえ良ければいいという字です。人間だからそれはある程度仕方がないのかもしれません。

 では「公(おおやけ)」という字は?
  これを書き終わると累計ブログ記事1万件まであと99通です。

  憲法史家の倉山満氏の書はとても痛快なものばかりでかつ勉強になります。その倉山氏が支那王朝の滅亡ワンパターンを書いています。

 ここでこそ、支那という言葉を使うのが大切です。だって、漢民族が支配したのは「漢」「明」「今の共産党」だけなんですから。少し習近平で検証しましょう。

 倉山氏は支那王朝の栄枯衰勢を次のようにいっています。多少のずれはあってもいつも同じパターンです。
1.新王朝、成立
2.功臣の粛清
3.対外侵略戦争
4.漢字の一斉変更と改竄の歴史
5.閨閥、宦官、官僚など皇室側近の跳梁
6.秘密結社の乱立を農民反乱の全国化
7.地方軍閥の中央侵入
8.最初に戻る
「嘘だらけの日中近現代史(倉山満著)」


 弊社蔵書より
この記事を書くと累計ブログ記事1万件まであと100通です。  


いつだったけなあ。ずいぶん前のことだと思います。ある会社が歯ブラシの部分が短いのをつくりました。これ磨きやすくて結構画期的でした。確か小さいメーカーがつくったと記憶しています。他社も一斉に追随していきました。

  その時「歯磨き」についての商品の結構大手だけが追随しませんでした。なんでなんだろうと思いました。その大手は歯ブラシだけではなく、歯磨き粉(古い表現ですね笑。チューブ)も作っていたので短い歯ブラシを市場に出すと、歯磨き粉の売上が下がるからなんでです。歯磨き粉の利益の方が歯ブラシより高いからです。

 う〜ん、いつだったけなあ。大学生の頃かな。今のようにスマホやパソコンで検索なんてできませんから、当時はこういうときは本を読む必要があります。すぐに大学生協の本コーナーに行って探したような。

 見つけたのが上記の理由でした。

 この時はまだこの言葉はなかったように思いますが、こういう現象を「イノベーションのジレンマ」と言います。

※イノベーションのジレンマ
 既存の製品やサービスの拡充に注力するあまり顧客の別のニーズやウォンツに気付けず、後発のアイデア(特にベンチャー企業など)の技術革新に遅れてしまうこと。

 二、三日前のYahooニュースで、化粧品大手が赤字になったというものがありました。マスコミが言うことなので真偽の程は定かではないかもしれませが、その大手は低価格帯の商品群を捨てて、中高価格帯の商品に切り替えっていったので、低価格帯の商品にブランドスィッチをした顧客がでたからだというような主旨の記事でした。

 これが経営の難しさですね。ブランドスィッチも防がなくてはならないがある程度「選択と集中」もやらなくてはコストアップのなってしまいます。その難しさから「ジレンマ」という言葉を使っています。

 でも、この真偽はきちんと裏どりができているかどうかわからないので、今日は、イノベーションのジレンマという言葉だけ紹介しておきます。

 私は吉野家の牛丼が大好きです。
 この記事を書くと累計ブログ記事1万件まであと101通です。

  ウクライナ戦争においてプーチンが悪いのは明らかです。しめしめと思ったんのは習近平でしょう。戦争というのは、古代から国際政治の構図を大きく変えます。習近平は支那共産党が、世界N0.1に躍り出るチャンスだと思ったのでしょう。いま経済が苦しくなってきたので特にそうでしょう。共産主義の基本的な考え方は

他国・他人から奪う

です。共産主義は自分で稼ぐことはしません。生産を否定している「労働価値説」だからです。それがあの小難しいマルクスの資本論に書かれているただ一点です。なので、人からまた他国から奪ったものでその労働価値説を実現しようとします。立憲民主党や石破の政策を見たらわかりますよね。

 石破は(岸田もうそうでしたが)、懸命に民が稼いだお金を(過度な)税金等という形で奪います。それを政府支出という形で労働価値説(たとえば最低時給など。従業員の給料を政府に決めてもらう必要はありません)で実現しようとします。相続税もそうです。民が懸命に蓄積した財を奪い、「富の再分配」というもっともらしい表現で、労働価値説を実現しようとします。立憲民主党はいわずもがなです。
  
  なので、習近平はロシアあわよくばウクライナから奪うチャンスだと考え、支那共産党のバランスシートの自己資本と資産を作ろうと思っていました。自分たちはなるべくなにもせずに。

  特に、バイデン、NATO、ゼレンスキーが「誰のため、何のために」戦争をするかという目的もなしに、「戦力の逐次投入」という戦争では最もやってはいけない手法をとったときに習近平はほくそえんだはずです。バイデンには支那やイランから金が流れていますから特にです。米国民主党は金をもらわないと動かない体質です。つまり人のものを奪う共産主義の発想です。

 例えば、もし日本が支那共産党やロシアから攻められとき、政治がまず他国への支援を望んだらどうでしょうか? たとえ日米同盟があってもアメリカは日米同盟による米軍発動のきっかけにはしないでしょう。「まず、日本の戦いからを見てからだ」と、日本軍のコンセプチュアルスキルを納得するまで動きません。阪神・淡路大震災の時に村山首相が米軍の支援を断った(イデオロギーで)こともあります。

  今の状態とくにもし自衛隊を「暴力装置」といっている立憲民主党が政権を奪って、その時に支那共産党が日本を攻めてきたとします。おそらくアメリカ軍は出動しないでしょう。なので、これはただのウクライナ問題ではないのです。立憲民主党の前身 民主党の時は、支那にやられっぱなしでした。

 ましてや米国とウクライナは軍事同盟を結んでいません。結ぼうとしているのはNATOです。そのウクライナに米国は19兆円ちかく軍事支援しています。

 繰り返しますが、あまりにも初動でのバイデン、NATO、ゼレンスキーの戦うコンセプト(作戦)が不明確でした。この3年間、
勝とうとしていましたか?

 これでは大日本帝国を滅亡に導いたの帝国海軍の山本五十六とー緒です。

  誤解しないでください。懸命に戦っているウクライナ軍・ウクライナ国民をとやかく言っているのではありません。最高指揮官ゼレンスキーの軍事作戦のことを言っています。

 今回のトランプとの会談は、納得のいく(勝てる)軍事作戦を示すべきでした。NATOとの軍事同盟も含めて。トランプがそのことを会談で言っているのに外交にもならずにプアーな喧嘩で終わってしまいました。

 ウクライナ戦争を、日本国憲法「典」お得意の「自分だけよければそれでいい平和主義」でのほほんと見ているだけではダメなんです。

対岸の火事

では、ありません。
 これを書き終わったらブログ1万通まであと102通です。

 今日は母と叔母(洋子)とのやりとりではなく、叔母(洋子)と私のやりとりです。

 このシリーズを洋子姉ちゃんがとても気に入ってくれて、今日、母が小学校六年生の時の洋子姉ちゃんに送った竹久夢二の詩歌集をなんと私に送ってくれました。その時の洋子姉ちゃんから私への手紙と、洋子姉ちゃんの若い時の写真と私たち家族の写真と私が二回目の大学受験の時の写真を紹介します。よくこんなのとっていたね笑。 母は本当に勉強がしたかったのですね。当時の日本は貧しかったから中学校で一番だったのに母は高に進学させてもらえなかったのです。

 一回目の大学受験に失敗した時に父(佳男)がちょっと来いと、父の会社まで呼び出しました(昼休み)。父の会社は神保町にありました。この辺はB級グルメがたくさんあります。

 ピザを奢ってもらっている時に父が私に言いました。「健なあ、来年また失敗したら家を出ろ(私は高校受験の時も一度失敗しています)。自分一人で全部やれ。」と言いました。私は「(それは当然のことばい)」

と思いました。

  なので次の年は、大学受験の願書をもらう前に、新聞奨学生の申込書をたくさん集めました。讀賣新聞が一番好厚遇だったのを覚えています。新聞配達は小学校六年生から中学校三年生までやりましたから得意です。 朝刊と夕刊を配って二食付き住み込みで月五万円ぐらいの給料(当時:だったと思います)。これならもう少し他の奨学金をもらえば大学に入ってもやっていけるなと真剣思っていました。そんなことより受験勉強せんかい!

 そうしたら親父が私のその姿をみて、大笑いしていました。

 では、叔母と私のやりとりを。叔母も少し手が悪いので。本来ならとても綺麗な字を描きます。母が存命なら今年で93歳です。なので、洋子姉ちゃんはことしで81歳(失礼)。身近な人はいつの間にか歳を重ねますね。私も。
  ウクライナ戦争は明らかにプーチンの責任です。「終いを考えず戦争を起こしました。それも戦力の随時投入というおよそ戦争においてはやってはいけない戦いをやってしまいました」。それにしてもソ連やロシアは戦争が下手です。今まで買ったことがあるんだろうか?日本には連戦連敗。他の国にも・・・」。

 一方で、ウクライナはかつて世界第三位の核保有国でした。核を放棄する時に、「他の国はウクライナを絶対に責めない」との確約をしました。でも、今までそんなこと世界にあったでしょうか?」。核を放棄した国の支配者はみんな殺されています。欧米によって。なので金正恩は絶対に核を放棄しません。暴力の権化のような海外の政治です。そんな核放棄のときの約束なんかが守られるはずがありません。

 だけど、どこかで終いをつけなければならないのに、ゼレンスキーは外交よりも決裂を選択しました。これはダメだ。トランプみたいに狸にならないと。

 もったいないことしたなあ。

 トランプはこれは困りましたね。習近平が喜んでいます。
Bloomberg Newsからです。海外のメディアは日本のメディアより信じられないので、いつも参考程度に読んでいますが、我が社のドメイン(事業領域)が「リスクマネジメント」であることを考えると感化できません。

 情報システムがど素人の私は、「ブロックチェーン」という概念を聞いた時に「絶対に安全なシステム」と聞きました。同時に複数の人間がその一つの案件に承認を与えるから、という理由も含めて。

 昨日、こういうニュースが飛び込んできました。

「暗号資産(仮想通貨)」交換業社バイビット(Bybit)が2月21日に大規模なハッキング被害にあったとのニィーすが広がり始めると、サイバーセキュリティの専門家は早々に結論をだした。仮想通貨の窃盗が破滅的な規模になりかねない新局面に入ったという結論だ」

 なんとバイビットは15億ドル(約2,260億比較を盗まれその被害額はこれまでのどの事件よりも大きく、被害額だけではなく、過去のどの事件よりもはるかにだいたいんで阻止が難しかったことが判明したといいます。FBIは北朝鮮のハッカー集団「ラザルス」による反抗だと発表しました。

 「コールドウェット」から仮想通貨が盗まれました。 「コールドウェット」というのは、資金アクセスに必要な秘密鍵の保管に使われるハードウェアで、多くはインターネットから遮断されているそうです。ハッキング被害に遭う恐れはほとんどないと考えられてきました。侵入するのが不可能だとされるとされており、その神話が打ち砕かれたことになります。

 ITの世界はどこまでイタチごっこなんでしょう。新しいシスステムは作られる時に、リスクマネジメントまで考えていないものばかりなので、ハッカーには攻めやすいと言いますが、まさかブロックチェーンまで破られるとは。

 今後のこの事件に対してのウォッチはかなり注目されるでしょう。北朝鮮のやりほうだいですね。
 これを書き終わるとブログ記事1万通まで105通です。

 今日から七十二候は、雨水 末候 草木萌動(そうもくめばえいづる:いろいろな読み方があります)です。草木が芽を吹き始める頃です。

 雨水の次の二十四節気が、「啓蟄(けいちつ)」です。虫が動く頃。どんどん春らしくなるのですね。

 まだ寒いよという方もいらっしゃいますが、それはそれ、天の動きに文句を言うんではなく、楽しみましょう。

小林一茶の俳句に

石畳 つぎ目つぎ目や 草青む

 があります。京都府下京区の五条通りに「根性スイカ」というのはがいるそうです。道路の中央分離帯の草ぼうぼうので立派に生きているスイカです。大阪の御堂筋にもあるみたいですね。

 こんなの。Yhooニュースより。

 私の姉の前の家も、果物が育ちやすい土壌で、姪がスイカとか枇杷とかを食べたあとタネを吹き飛ばすだけで、スイカとか枇杷が生えてきていました。それを狸がよる食べに来るんです。夜、外を見るとたぬきの目が光っています。どんな田舎や笑。

 今住んでいるところそうみたいで、イノシシがよく出るみたいだから気をつけてとラインを送ると姉から返事「日常茶飯事」。

 でも、考えたら生物の中で植物が一番偉いのかも。だって、種が飛んできたらその場でしか生えられないんですよね。ここ飽きたからどこかに移りたいなんてわがままを植物は言いません。子供の頃、まだ道路の舗装は十分ではなかったのですが、それでもコンクリートの隙間から生えてくるたんぽぽをよく観かけました。このたんぽぽはここで一生を終えるかもしれませんが、虫などがめしべやおしべをはこんでくれて他のところにいけるんだなあって思っていました。

 人間は、すぐに不平不満をいいますが、それって植物にはずかしいですよね。

そこに生え そこに芽を出し 実る草木 だまってそこで 使命をはたす
 これを書き終わるとブログ記事1万通まであと106通です。

 前回はアラムコ格差について説明しました。これは、アラムコ系とそうでない石油会社に非常に大きな価格差を作りました。でも、それだけではおさまらなかったのです。あっ、そうだ、アラムコって一体なんだ?と疑問に思われる方もいらっしゃるいと思います。

 「Arabian American Oil  Company:アラビアン・アメリカン・オイル・カンパニー」です。

 アラビアンの「AR」 アメリカンの「AMC」 でアラムコです。 サウジアラビアの原油採掘権を有する世界最大の石油会社です(旧社名ですが)。

昭和八年(1933年)にカリフォルニア・アラビアン・スタンダード・オイル・カンパニーとして設立されました。このスタンダードオイルというのは当初セブンシスターズどころか世界の石油を牛耳っていました。反トラスト法というアメリカの独占禁止法で34社に解体されます。詳しくは前にご紹介した「セブンシスターズ」という本をご覧ください。

 それがスタンダードオイルオブカリフォルニアやスタンダートオイルオブニュージャージとかなんですが、今でも、根はスタンダードオイル(以下、SO)です。ロックフェラーです。強大な権力を持ちます。アメリカで石油をもっと売りたいSOは、鉄道会社の株式を買い取って潰してしまうことまでやりました。

 SO=エスオー=エッソです。

 昭和十一年(1936年)にテキサコというという石油会社が資本参加しました。

 昭和二十三年(1948年に)モービルとエクソンが資本参加しました。もっともすべてSOですが。

 昭和五十五年(1980年)にサウジの国有化で社名がサウジ・アラムコとなりました。サウジアラビア国内の原油生産・販売を行っています。サウジアラビアとアメリカがべったりですが。

 オイルショック(特に第二次)において、この会社がアメリカ企業に安く原油を販売し、他の国の石油会社にはプレミア等をつけたのでアラムコ格差が生じました。

 さて、このアラムコ格差に追い討ちをかけたのが「在庫評価」です。当時アラムコ系は「後入先出し法」を採用していました。このアラムコ格差で安い原油が手にはいると、その安い価格が在庫評価されます。「後に入れた」ものを「先に出す」からです。

 アラムコ以外は「移動平均法」です。過去の高い時の原油と今の安い原油(といってもアラムコ格差があったから安くはなかったが)両方をつかって在庫評価するのですぐには安くなりません。どちらの在庫評価がいいかとかはないのですが、在庫評価は前もって税務署にとどける必要があります。今の元売がどの在庫評価を採用しているかは私は存じ上げていませんが、この時はアラムコ格差と在庫評価のダブルパンチで石油製品販売業(特にアラムコ系以外の特約店・販売店)はたまりませんでした。ダウンストリーム(石油流通過程で一番現場に近いところ)が割を食います(特に日本の場合は)。

 あの普段元気がいい出光の素敵なおっさんたちもなすすべがありませんでした笑。

 さあ、次回は、特定石油製品輸入暫定措置法(特石法)から石油製品の輸入自由化にいたるまでの歪みをご説明しましょう。

 こういう変化が起きる時に一番大切なのが、「幹部社員のうち何割がオーナーシップを有して」いるかでその企業のその後の発展が左右されます。

カテゴリ

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このアーカイブについて

このページには、2025年3月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2025年2月です。

次のアーカイブは2025年4月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。