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この輸入自由化を書き得たらこのシリーズは一度、締めます。私たちが出光興産株式会社にいたことより業界自体はかなり良くなっていると思います。流通が整備され社員や特約店(販売店)の余計な仕事がずいぶん失くなってきています。
ただ、石油業界はその製品の特性からメジャー(セブンシスターズ)や政治や官僚や利権団体の道具に利用されていることが多かったのも事実です。これは日本だけではなく、ジェームス・ディーン、エリザベス・テイラーの映画「ジャイアンツ」の頃からのアメリカでもそうです(つまり最初から)。産油国は欧米から虐めにじめられてそれで失脚した人もたくさんいます。
出光佐三店主(出光興産株式会社創業者)は「出光五十年史」「積み重ねの七十年」「出光三十年の歩みに誤りなし」(これらは今でも私の生きるバイブルです)等で、「出光の経営は最初の十年ですべて決まった」とおっしゃっています。それは技術的なことではなく、人間としてのあり方です。
「五十年史」では、会社の状況が悪くなればなるほど喜んでいます。「人が育つ」と。よくなればなるほど嘆いています。「人が育たない」と。
それを考えると、あの不合理・不都合・鬱陶しさ・不条理等の出鱈目だった時代も店主にとっては、笑い飛ばすようなことばかりだったんですね。だって、その中でも立派位に経営していた方々もいらっしゃったですものね。
今はずいぶん市場が整理されて、そういう「不合理・不都合・鬱陶しさ・不条理等」が内容に思えます。
私が大阪支店で課長としていたころ部下があまりの値決め(販売店との値決めをする際に業界の流通網の整備の遅れが邪魔をしていた)の際に、「課長、本社の方で統一価格を決められないのですか?」と言いました。私は言いました「石油旬報を読んでいるか? リムは把握しているか? 日経の石油欄のデータは読んでいるか? もし本社が価格を統一すると担当者から相場感がなくなるぞ」と。
私の人生では、あのドングサレの不良中学で経験した恐怖にも似た経験や出光興産で経験した「不合理・不都合・鬱陶しさ・不条理等」は独立した時にとても役に立ちました。だって、それを熟考して乗り越えると自分が成長するのですから。
さて、石油業界の自由化には二つありました。アップストリームとダウンストリームの自由化です。
まずアップストリームの自由化です。
(昭和六十年(1985年)十二月二十日公布、昭和六十一年(1986年)一月施工)「特定石油製品輸入暫定措置法(特石法)」が制定されました(この法律自体は平成八年(1996年)三月末に廃止され輸入の自由化につながります)。
最後の自由化であるセルフの解禁は平成十年です(これはまた後日詳しく)。これはダウンストリーム自由化です。これでアップストリーム及びダウンストリームはすてて自由化されたので、あとは石油業界の流通の整備、つまり、製油所の統廃合と元売の再編です。
特石法は、石油製品の輸入について、「貯油能力」「石油製品の品質調整能力」「製品の輸入量に対応できる国内代替戦さん能力」の三条件を全て満たした者を輸入登録資格者としました。これを全て満たせるのは精製元売しかありません。
通商産業省にしたら、将来自由化するから備えろよというメッセージです。石油危機の時に中間留分(灯油・軽油・重油の産業用燃燃料)を価格大幅に引き下げて、ガソリンにその価格差を上乗せして油種間格差という歪みを作った通商産業省はそれをどうするかには知らんぷりです。
例えば当時の出光興産はガソリンで年間720万㎘、燃料油トータルで400万㎘販売していました。1円/リットル違うと72億円/年、他の燃料油で328億円/年の価格の歪みを格差をなくす必要があります。その利益差は256億円/年・ℓ。十円/リットル違うとしたら。2560億円です。これは出光だけではなく、格の歪みから儲からなくなっていた日本の全元売りにしたら大変な金額になります。倒産するどころの話ではありません。それまで横並びの競争に慣れてきた元売は、その横並びをとれなくなったのです(当たり前ですが)。
私は、平成八年に本社を離れて名古屋支店に転勤になりました。そこで宇佐美の親父さんと知り合います。特石法から製油所の統廃合と元売の期間は、元売・販売店ともに筆舌に尽くせない苦難を味わいます。
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