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出光興産株式会社勤務の時に欧州に出張に行く機会がありました。アメリカ出張は一度行っていますが、欧州は初めてです。とても楽しみでした。ロンドン、ポルトガル、マドリッド、パリ、スイス、またパリで日本に帰ってきました。
確か、十一月に行ったと思います。。フランス革命が始まったのが寛政元年(1789年)七月十四日で、終わったのが寛政十一年(1799年)十一月九日です。コンコルド広場で鼓笛演奏が行われていました。コンコルド広場というのはマリー・アントワネットが斬首されたところです。ルイ十六世はそんなに暗愚な王ではありませんでした。フランス最後の絶対君主で最初の立憲君主です。この世で一番優れた政体は間違いなく立憲君主です。我が国は今でもそうです。マリー・アントワネットはルイ16世の妃です。マリー・アントワネットも、幼い頃は寂しさからわがままだったかもしれませんが、成人してからは立派な王妃でした。ギロチン台にあがるとき、処刑人の足を踏んでしまった時も、立派な言葉でお詫びを言っています。
その鼓笛隊の近くにいたフランス人の言うところでは、フランス人の多数は王制を廃止したことに悔やんでいるそうなのです。フランスでは今でも、デモが頻繁に起きます。日本のことをデモが起きない民主主義の未熟な国ともいいます。
自分たちが選んだ議員が国会で決めたことをデモでひっくり返そうな国に言われたくない。これって、でもではなく「テロ」ですよね。
閑話休題、地下鉄サリン事件から今日で三十年です。被害に遭われた方のお見舞いを申し上げるとともに、亡くなった方には心から哀悼の意を表明します。
あの時は、出光興産株式会社本社のすぐ下で地下鉄サリン事件が起きました。日比谷の交差点がいきなり閉鎖され、パトカーと救急車と消防車が押し寄せました。帝劇ビルの七階からこの様子を観ていたのですが「何が起きたんだろう」と思いました。
あの事故で、出光興産社員の被害はゼロでした。なぜかと言うと、あの頃の出光社員はみんな8時過ぎには会社に来ていました。なので、犯行時と時間がずれたのです。あとでTVで観てびっくり。福岡に住む姉は怒って心配して電話をしてきました。「あんた、こっちはどんだけ心配したと思いよとね。誰からも連絡がなくて、心配で心配でしかたがなかったとよ。大丈夫なん」と。
オウム真理教はおそらく外国の援助を受け、日本国を転覆しようとしていました(おそらくロシア)。用意周到でした。長野県松本市でサリン事件が起きた時も警察の初動が遅れました。その他兆候は掴んでいたけれど警察は後手後手に回りました。その頃の日本は、自分の国であのようなテロが起きるなんて考えられない国でした。
さて、フランスのことを書きましたが、日本国憲法「典」は国民主権のところをフランスにならっています。国民主権とは実はとても危険な思想で、「国家や政府を転覆していい権利」なんです。
日本国憲法「典」の国民の三大権利は基本思想はみんなその要素を持っています。GHQ(占領軍)が日本をおかしくするために一週間でつくったものですから。
国民主権:政府・国を国民が転覆してもいい権利
基本的人権の尊重:人を殺してもいい権利(法律で禁じているが信じられない殺人も守られている。京アニ事件など)
平和主義:自分だけ平和ならあとはどうなってもいい(国を守る意識もない。14歳の女の子が攫われても助ける気もない)
こんな憲法「典」を後生大事に考えています。サリン事件をきっかけにそろそろ目を覚ましませんか?
この世にて 価値観唯一 素晴らしい 豊葦原の 瑞穂の國を
国家とは 他の国 誰も守らない 自分の国は 自分で守る
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