これを書き終えると平成二十一年(2005年)九月二十日に始めたブログがもうすぐ累計記事1万件になります。あと31通です。
「日本大国かと世界の平和」を「ドラえもん型にほんと世界平和」に変えます。もともと、我國は、ずっと「ドラえもん型」の国でした。我國の歴史を見ながら検証していきましょう。「ウルトラマン型日本」と言ってもいいのかな笑。日本が作った漫画やSFにもその姿が現れています。
欧米が、血眼になって、世界中を植民地にしているときに、我國は、古今東西どの国もやっていないことをやってのけました。秀吉の治世から江戸時代の田沼意次の治政までです。松平定信が悪政を敷き我國を弱め、家斉の時代の平和な時代に世界からどんどん遅れて明治維新になりました。
では、秀吉から田沼意次までの時代に古今東西どの国もやっていないこととは。それは、世界からの
武装中立
です。
教科書に載っている江戸時代の「鎖国」とは完全に間違いです。今の学校はどうやら勉強を嫌いにするところのようです。うすばかり教えるから「それはなぜ」という子供達の好奇心を消し去ります。歴史も正しいことを教えないから「日本って大した国ではないなあ」という潜在意識を植え付けます。とんでもない。
①いったい何千年前にできた国かがまったくわからないほどの高度な文明を持っています。
②どの国もやったことがない武装中立(ドラえもん型日本)を実現しました。
③アジアの植民地を解放しました。
④千年前に女性が小説を書いたり和歌を読んだりしています。
⑤世界で唯一歴史が連続した人間社会の奇跡の国です。
⑥元首(天皇陛下)が、権力をすべて放棄され、権威だけの国を創られた
⑦聖徳太子が 世界初の憲法を創られました。
等々、枚挙に暇がありません。
室町時代の我國は、他国から恐れられていました。でも、我國は、他国を侵略することはありませんでした。秀吉の時代もあれは朝鮮に出兵したのではありません。世界大国スペインがどうしても日本を攻めることができないので(事実上、日本の武装中立が始まっていた。信長の天下布武も国防のためだったのかもしれません)、支那を支配下において支那に日本を攻めさせようとしました。それに気づいていた(かつての日本は世界情勢にとても敏感でした)秀吉は、それを防ぐために、「支那」に攻め入とうとしました。朝鮮は通過点に過ぎませんしたが支那が朝鮮半島に出てきたので戦場がそうなってしまっただけです。
そして、江戸時代に家光がやったのは、
カトリック教会主義の排除
だったのです。それを隠すために教科書は、「鎖国」としています。
最後の欧米の宗教戦争「三十年戦争」の余波が日本にもやってきます。それが「島原の乱」です。教科書は天草四郎を権力に抵抗するヒーローのように扱いますが、海外の国の日本政府国手を貸した人間でしかありません。
考えても見てださい。我が国が中東の片隅で、ドラえもん型の国であったときに、世界は平和ではありませんでしたか?
そんな歴史を皆さんと見ていきましょう。
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