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今日は母と叔母(洋子)とのやりとりではなく、叔母(洋子)と私のやりとりです。
このシリーズを洋子姉ちゃんがとても気に入ってくれて、今日、母が小学校六年生の時の洋子姉ちゃんに送った竹久夢二の詩歌集をなんと私に送ってくれました。その時の洋子姉ちゃんから私への手紙と、洋子姉ちゃんの若い時の写真と私たち家族の写真と私が二回目の大学受験の時の写真を紹介します。よくこんなのとっていたね笑。 母は本当に勉強がしたかったのですね。当時の日本は貧しかったから中学校で一番だったのに母は高に進学させてもらえなかったのです。
一回目の大学受験に失敗した時に父(佳男)がちょっと来いと、父の会社まで呼び出しました(昼休み)。父の会社は神保町にありました。この辺はB級グルメがたくさんあります。
ピザを奢ってもらっている時に父が私に言いました。「健なあ、来年また失敗したら家を出ろ(私は高校受験の時も一度失敗しています)。自分一人で全部やれ。」と言いました。私は「(それは当然のことばい)」
と思いました。
なので次の年は、大学受験の願書をもらう前に、新聞奨学生の申込書をたくさん集めました。讀賣新聞が一番好厚遇だったのを覚えています。新聞配達は小学校六年生から中学校三年生までやりましたから得意です。 朝刊と夕刊を配って二食付き住み込みで月五万円ぐらいの給料(当時:だったと思います)。これならもう少し他の奨学金をもらえば大学に入ってもやっていけるなと真剣思っていました。そんなことより受験勉強せんかい!
そうしたら親父が私のその姿をみて、大笑いしていました。
では、叔母と私のやりとりを。叔母も少し手が悪いので。本来ならとても綺麗な字を描きます。母が存命なら今年で93歳です。なので、洋子姉ちゃんはことしで81歳(失礼)。身近な人はいつの間にか歳を重ねますね。私も。
「小学6年生の時に送ってもらったの。あまりピンと来なかったけど(遊び盛りの子供だからね)。ゴロがよくて覚えたよ。最近では(数年前)お台場という詩を詩吟にしてもらって吟じたりしたのよ」






私が生まれる前の年ですね。
上の写真の男のが父の末弟の叔父(治)です。母に抱かれているのが姉(一美です)。
下の写真はまだ発病前の母です。私たちの前ではいつもこの笑顔でした。どんなに苦しくてもどんなに辛くても。
これ若戸大橋ですね。若松と戸畑を結ぶ橋です。今でも歩けるのかなあ。左の写真は洋子姉ちゃんと姉と私。これは私が四歳ぐらい?としたら洋子姉ちゃんが二十歳か二十一歳。右が親父と姉と私。親父と遊びに行った写真は珍しい。退院したばかりかな。痩せてる。口を聞くのも怖かった。
二回目の大学受験時の私。「なんばつやつけとうとや(なに格好つけてるんだ:博多弁)
上記も含め、よくこんな写真をとっておいてくれましたよね。洋子姉ちゃんに感謝。
夢二の詩(うた) 我が家の歴史が 蘇る 六十七年 永遠(とわ)に遺して
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