母から叔母への命の手紙:17通目(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)三月十六日)2

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  今日の手紙は、妹(幸 みゆき)が、日銀に入社したばかりの新入社員の時のことです。

  彼女は、姉弟妹で、一番頭が良いと思います。絵のセンスなんかも抜群です。

  今日は、前置きを短く笑。では、母から叔母(洋子)への手紙です。母が、出光無鉛金アポロガソリンのハガキで送ってくれています。なつかしかったのでしょうね。

  これ妹は知っているのかなあ。別に恩着せがましくいう訳ではないけど、妹は親戚(父のすぐ下の弟)から「生まれたらうちにください」と言われたそうです。父も母もずいぶん悩んだのですが、姉と私が猛反対したみたいです。だって、可愛かったもの。

 今、嫌われていても、こうなってよかった。
「昨日電話、今日ははがきと続いてお便りをありがとう。こちらは先晴天に恵まれない秋です。こちらへ来る事は、ほんとうになにも心配しないで下さい。頼れるお兄さん(父)が居ますから。私も体が不自由になってもお父さんがやさしいし、車でどこへでも連れて行ってくれるので、本当に幸せ(おのろけ?)です。子供達も皆 やさしくしてくれるので感謝しています。私も迎えに行ったり明治神宮へ連れて行ったりしたいのですが、無理みたいです。今、幸は二十二日まで研修で大変です。日銀は給料もうよいかわりに勉強がまたすごいんです。本人は勉強するのがいやだったから勤めたのに、こんなに勉強したら大学でもいけたわ、と云っています。洋子ちゃんが来るのをたのしみにしています。では、又」

  洋子姉ちゃんは、父も大好きでした。父も洋子姉ちゃんの面倒はよくみていました。こういう親戚付き合いっていいですよね。我が家は、「我が家と秋武家と治にいちゃん(父の末弟:叔父)」とは仲がとても仲がよい関係でした。宝徳の親戚をとは、「とても」という表現は使えなかったかな。でも、従兄弟同士とはとても仲がいいです。

 えっと、しばらく会ってないな。父の姉に二人。「ふみよちゃん」と「かよちゃん」。ふみちゃんは、夫婦揃って音楽一家。お子様が聡くん(ごめんなさいもう40年ぐらいあっていません)。かよちゃんは、私と同い年でちょうど一ヶ月、かよちゃんの方がお姉さんです。二回ぐらいデート(?)しました。私が結婚した最初の正月に、かよちゃんと旦那さんとお子様(康貴くんだっけ)が、千葉県柏市に来て、かよちゃんが「しばらく電話がないと思ったら、こんなに綺麗な人をお嫁さんにもらって!」と首絞められました爆笑。

 もう、ふみちゃん、かよちゃんのご両親は連絡がないまま鬼籍に入られました。なので、ふみちゃん、カヨちゃんとは音信不通です。

 父のすぐ下の叔父(正是:まさよし)には、お子様はありません。正是が亡くなって葬儀には行きました。その後の法要は遠いので、私一人で行っていましたが、もう行かなくなりました。奥様どうされているのかな。

  父のその下の叔父(卓:たかし)もう鬼籍に入っています。従兄弟の「文ちゃん」と「忍くん」とは今でも時々連絡をとっています。ふたりとそのお母さんの「レイ子」さんは法事にも前は来てくださったのですが、もうみんな歳ですものね。でも、毎回、出席が叶わない方はリモートで招待しています。必ず参加してくれます。文ちゃんが小さい頃は同じ静岡県駿東郡裾野町に住んていたので、よく遊びました。私が小学校四年生ぐらいです。れい子おばさんは、理容師をしていたので、裾野に住んでいた時は、髪を毎月ってもらいました(無料で笑)。

 一番下で私たちと一緒に住んでいた治にいちゃんも鬼籍に入りましたが、従兄弟とは仲がいい。というか大阪なので、兵庫県に住んでいる私は、毎回、法要に生きます。長男が、輝くん。この人が男の子3人。次男が自衛隊の淳くん。この人はイランと東ティモールのPKOにも言っています。陸自です。長女が「恵ちゃん」。とても可愛い子と言ったらもう怒られる歳ですが、今でも可愛い。私が出光興産の大阪支店販売一課長だった時に、何かお土産を家の帰ろうと思って、(当時)の事務所のすぐ近くにあった阪神デパートの地下街で、良いものを物色していた時にとても綺麗で若い女の子が何か語りかけてきました。「こんな若くて綺麗な子が、私に話しかけてくることは絶対にない」と無視していたら、そのレディは帰りました。すると、その日の晩に治にいちゃんから電話「健、今日、阪神デパートの地下でなにがあった?」と。「若くて綺麗な女性が僕に話しかけてきた」と答えたら「あれ、恵やで。『無視された』って、泣いて帰ってくたぞ」。「ええ〜」という会話。だって、彼女と最後にあったのは何年前というぐらいちびっこでした。

 最初に会ったのは、祖父母や親戚の法要です。恵ちゃんはまだ三歳ぐらい? 「健にいちゃん」と、私を見上げてきます。仲が良かった治にいちゃんの奥様(以後、かずえねえちゃん)の方を見て「めーたん?」と聞いたら「うん笑」といいながら首を縦に振りました。めーたん(普段はそう呼んでます)の可愛いこと可愛いこと。すぐに抱き上げました。あのシーンはいまだに頭に残っています。彼女は私の会社の初代秘書です。

 輝(あきら)くんは、男の子が3人。えっと、まちがえたらごめん「たくま」「かずき」「いおり」です

 淳くんも男の子が3人「まひろ」「けんしょう」「こうすけ」です。

 法要でしか合わないので、漢字まではわからん😭。でも、父方も母方も合わせて男の子が私一人だったころを思うと隔世の感ですね。甥名姪合わせたらもっとたくさんいます。父は、晩年は幸せだったと思います。孫どころかひ孫までたくさん。みんなそれぞれしっかり生きています。法要をすると、男性がいっぱい爆笑。頼もしいですね。母方の方はまた詳しく。ごめんなさい。今日は、写真は割愛します。

妹も いとこもみんな しっかりと 生きてこの世に 功績遺す

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このページは、宝徳 健が2025年3月16日 04:53に書いたブログ記事です。

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