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今回、父が作った冊子には、祖父 義一の写真が載っています。
このブログでも繰り返し掲載しています。私は二十代と思っていたのですが、この頃の祖父は三十歳だそうです。それにしても当時の若者というのは迫力が違います。この写真が部屋に飾ってありました。家の中のどこに居ても、会えなかった祖父に睨まれているような気がしてなんだかいつも怒られて怖くて仕方がありませんでした。92年前の写真です。
この写真に関する父の冊子のコメントです。
「この資料(写真)は、皇紀二千六百年(昭和15年)に出版された『咸南名鑑』(元山毎日新聞社刊行-国会図書館蔵)を抜粋したものです。この名鑑には昭和8年5月に自分のカメラで写した30歳の時の写真が掲載されています。この資料によると、昭和13年、佳男(父)の同級生の父-堀平吉氏(明治22年生)が咸南魚聯(ぎょれん)理事長となっています。この資料ではまだ、洪原群牒(こうげんはらちょ)時代に「一緒だったのではないかと思われるものがあります。堀氏は経理でお父さん(祖父)は産業(水産)です。
では、親父の冊子からです。この前の続きから。
「北朝鮮に移送された「非労働力」の抑留者と入れ替わりに、当時、北朝鮮のソ連強制労働収容所にいた約2万2船員の日本人抑留者が、ソ連領内に「新労働力」として送られたという。元山(げんざん)では銃殺など日本人殺戮行為は行われなかったとしている。
平成9年(1997)3月、厚生省(今の厚生労働省)社会援護局が発行した『援護五十年史』は『ソ連邦側は、抑留日本人のうちの病気などに耐えられない約4万3千人を、旧満州および北朝鮮各地の病院または収容所に移送した。この中には輸送途中に死亡する者が続出したが、受け入れた病院・収容所の状態はソ連邦の収容所と同様で、さらに多数の死亡者を出す状態となった・・・」とだけ記され、移送者のうち具体的な死亡数などには言及されていない。
『援護五十年史』にはまた、旧ソ連地域への抑留者総数を「約57万5千人(うちモンゴル約1万4千人)」記している。しかし日露関係筋は「ざっと60万人だが、以前未解明」述べる一方、死者総数については「ソ連領内が約6万人、北朝鮮で約1万2千人、モンゴルでは約1万人で、最低でも8万2千人」と指摘して、「モンゴル抑留実態もなおナゾだらけ」と語った」
とにかくソ連・支那という共産主義国家は数字や広報はプロパガンダなので、自分達に都合のう良いように改ざんします。法治国家ではなく、人治国家なのです(いまだに)。
バカなアメリカはこんな恐ろしい支那やソ連を戦時中に支援してドラえもん日本を叩き潰しました。叩き潰したというより、官僚化した軍幹部が稚拙な軍運用であの素晴らしい大日本帝国をとんでもない目に合わせました。世界最強の帝國陸海軍の存在を消しました。世界の定説
官僚が國を潰す
です。今もそうですね。陸軍・海軍が、財務省・日銀に変わっただけです。最強の帝国陸海軍を潰したのは官僚化軍幹部であり、今は、最強の経済大国を潰しているのは財務省・日銀です。(つづく)
戦争は それまで あった枠組みを 一気に壊し 新たな利権を
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