博多弁亭主の独り言2(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)三月三十日日曜日)

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  れを書き終えると平成二十一年(2005年)九月二十日に始めたブログがもうすぐ累計記事1万件になります。あと23通です。

  俺はくさ、三十歳になる年にくさ、二十九歳で結婚ばしたと。えっ、誰ととか言うと? もちろん今のかみさんとたい。彼女は二十四歳やったばい。ちゃんと付き合ったとばい。結婚するまで指一本も触れてなかけんね。

  それまでもいろいろなところに遊びにいったりしとったばってん、それは1対1というより出光興産株式会社千葉支店の独身男女で出かけよったったい。昔の言葉でいうとくさ、グループ交際とか言うやつたい。今は、なんて言うと?

  ある日くさ、かみさんに手紙ば渡したとって、「結婚を前提にお付き合いしてください」って。そしたらちゃんと返事ばくれたと「私でよければ」と。

  女性と付き合うにはくさ、ちゃんと両親に報告せないかんやろ。だけん、まず、彼女の家に行って「お付き合いいさせてください」と言ったったい。彼女のご両親に了承ば得てからくさ、うちの家に連れて行ったとたい。もちろんその頃は、俺の母が病気やということは彼女に伝えとったとばい。

  うちの両親は反対することはなか。お袋がくさ「なんて綺麗な子なの」と俺にこっそりと言ったのを覚えとるったい。そうったい。「こげな綺麗な子と結婚ばしていいとかいな」と俺も思っとった。少しにロケさせやい。今では、この世で一番怖くてくさこの世でたったひとり喧嘩ばでける存在ばってん。

  ちゃんと両家に筋は通したろ?  結構、その過程は、硬派やろう? そうったい、俺は幼少の頃から硬派教育ば受けてきたとって。環境のせいにする訳やなかとばい。ばってん中学・高校・大学・社会人とずっと硬派ば張ってきたと。それががよかと思っとったと。

  彼女とはくさ子供がでける(「け」は博多弁では普通)まで四年かかったとたい。彼女が気にしてくさ「妊活」みたいなことば言うけん「そげなことば気にしやんな。でけんやったらでけんでよかやん。子供は天からの授かりものばい。でけんやったら、二人で旅行ばして暮らそう」と言っとったったい。そげんしたらくさ、四年後に息子ができたと。これがまた出来の良かろうが(親バカ)。トンビがタカを産んだったい。可愛かったばい!!! 自分がこの世に生まれてくさ、初めて「自分の命ば引き換えにしてもよか存在を知ったったい」。もし、もし息子になにかあって死神がきたらくさ、「お〜、俺の命ば持っていきやい。その代わりこの子を生かしちゃちやい」ということたい。

 息子が産まれるまではくさ、結構ラブラブやったとがくさ、息子がができたら、途端に強くなろうが。女は逞か。

 まだ郡山にいるときにくさ。
  嫁さんが欲しいと強烈に思った時期やったとばってん、じぇんじぇん(全く)俺はもてんかったたい。昨日出てきた先輩がさ、先輩の奥様に「なして宝徳は彼女ができんとかいな」と聞いたげな。そしたらくさ「わからない? 言っていいい? 宝徳さんは、とてもいい人なんだけど、古い人間なの。だから今の女性にはうけないと思う」とおっしゃったげな。そんな男をくさ、引き取ってくれたかみさんには本当は感謝ばせないかんけどくさ。

  それを聞いた俺はくさ、かなりショックやったとって。そうやって育ってきたとに、それが古い。なら、俺はどげんしたらいいとや(どうすればいいのか)と・・・。別に長く悩みはせんやったばってん。もう、三十歳近くなって今更自分を変えられんめいが、と、傲慢に思っとったと。変える気もなかのに。これがいかんったい。いくつになっても人間は自分を変えられるったい。そのことに気づかんやったったい。

  そういえばくさ、俺は、大学生どころか社会人になるまで女性ときちんと付き合ったことがなかったけん、女性へのきちんとした対応ば知らんかったとて。

  彼女と会うまでに紹介で三人ぐらい、少しお付き合いした人はいたばってん(もちろんプラトニックばい:俺はその辺のケジメはつけるけんね)、どう接してよかかわからんかったとって。とにかく女性の扱いはへたの極地やったと。今やったら「婚活アプリ」に行っても女性とは仲良くなれんめいや(なれない思う)。ある人とくさ、最初のデートというものばやったときにもくさ、(当時の)俺は「女は男の後についてくるものたい」と思っとって、スタスタ前をあるいとったと。俺は歩くのが早かっちゃん。そしたらくさ、振り向いたらくさ、その子がおらんめいが(いなくったてるのです)。いっちょけん(一発で)振られとろうが。最低やろ。

  女性がきらいな訳じゃなかとよ。どう接していいかわからんやっただけばい。

  博多から東京に出てきたときなんかくさ、「東京の女性はみんなきれか〜」と思ったとって。特に、慶應義塾はくさ、芸能人やらいっぱいおって凄かろうが。一回くさ、一般教養の講義でくさ、向こう一つ隣に「紺野美沙子」さんがおったったい。確か、「虹を織る」げな朝ドラに出とったろうが。テレビでしかみたことなか人ばい。

 「きれか〜」と思ったったい。輝いとったばい。天女に見えたったい。頭がくらくらしたったい。家に帰ってくさ、お袋にそげな話ばしたとを覚えとる。
 
 それとくさ、別の時にくさ、いきたくもなかとに、六本木のアンナミラーズというところに友達につれていかれたと。アンナミラーズがなんかじぇんじぇん(全く)わからんけん、しろしかろうが(うっとおしい)。そしたらくさ、アンナミラーズの隣の席に「川島なお美」さんが、おったったい。おったったいというか俺はそんな人知らんけん、おったげなという方が正解かもしれんばってん。ちょうど川島なお美さんがくさ、女子大生芸能人とかいうてくさ、もてはやされとった時期げな。

 そしたらくさ、友達連中が、いきなり川島なお美さんことば話題にして褒めまくろうが。俺は知らんけん「誰やそれ」と言ったらくさ、隣の川島なお美さんが、席を立ったったい。

 そげんしたくさ、友達連中が「お前、せっかく川島なお美とお近づきになれるチャンスやったとに、どげんしてくれるとか(と、彼たちは博多弁はつかわんばってん)」、と、俺をぼてくりこかそうが(ボコボコにする)。なして(なんで)俺はこげんぼてくりこかされないかんとや。と思ったったい。俺はナンパとかしたことはなか。

 せっかく天女みたいな人がたくさんおった、学生時代もだいなしたい。おっとまた脱線したばい。かみさんとのその後やね。いよいよお義父さんとお義母さんに、結婚の申し込みをしに行ったときの話ばしようかね。

無骨なのを 自ら知らない 愚かさを 過ごす男の さえない人生

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このページは、宝徳 健が2025年3月30日 00:37に書いたブログ記事です。

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