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憲法史家の倉山満氏の書はとても痛快なものばかりでかつ勉強になります。その倉山氏が支那王朝の滅亡ワンパターンを書いています。
ここでこそ、支那という言葉を使うのが大切です。だって、漢民族が支配したのは「漢」「明」「今の共産党」だけなんですから。少し習近平で検証しましょう。
倉山氏は支那王朝の栄枯衰勢を次のようにいっています。多少のずれはあってもいつも同じパターンです。
1.新王朝、成立
2.功臣の粛清
3.対外侵略戦争
4.漢字の一斉変更と改竄の歴史
5.閨閥、宦官、官僚など皇室側近の跳梁
6.秘密結社の乱立を農民反乱の全国化
7.地方軍閥の中央侵入
8.最初に戻る
「嘘だらけの日中近現代史(倉山満著)」
弊社蔵書より
支那の歴史はプロパガンダばかりなので、脚色していることがおおいのですが、司馬遷の史記で見ていきましょう。漢王朝ができるとき、高祖劉邦の周りには、綺羅星の如く功臣が揃っていました。劉邦はとても戦が弱く百回負けて一回勝ったぐらいです。それを支えたのが功臣でした。
特に戦の天才韓信は、宿敵 項羽を猊下に追い詰めます。最後は、有名な「四面楚歌」と「虞美人」 の話です。それは今日は割愛します。
天下を統一した後も劉邦は周辺諸国との戦いやかつての部下達の乱をおさめたり、走り回ります。その際にも都が功臣たちに奪われないかヒヤヒヤです。一番功臣である蕭何をも疑います。一番疑ったのは韓信です。彼に反旗を翻されたら絶対に劉邦は勝てません。
いろいろな策を巡らせて韓信を捉えます。韓信は劉邦に尋問された時に答えます。すると韓信は答えます。「私は百万の軍を動かしたら陛下よりうまいかもしれませんが、陛下は将の将です」と。
結局、関心は殺されます。その時の言葉が「狡兎死して走狗にらるる」と。意味は、獲るウサギがいなくなったら犬は殺されるということです。
もうひとりの功臣 超良は、君子の心変わりを予想して、病気と称して田舎に引っ込みます。
今の話で2迄来ましたが、こうやってどんどん進みます。支那は良いことも考え良いこともたまに実行するのですが、そう言う人は殺されてしまうので、もう表立って実行しなくなります。また、漢民族は、いつも周辺民族に支配されて奴隷のような扱いを受けてきたので猜疑心がとても強く、今あるものを壊したがります。
習近平も5〜7ぐらいまできています。いつ崩壊してもおかしくないですね。
おそらく古代からそうだったのだと思います。古事記を読んだりするとそんな記述が随所に見られます。
創造と 破壊の神が 共にいる 世界唯一 我國成り立ち
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