臣と民(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)三月二十三日)3

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  れを書き終えると平成二十一年(2005年)九月二十日に始めたブログがもうすぐ累計記事1万件になります。あと38通です。

  今の、俗に言う「中華人民共和国」には、憲法がありません。軍もありません。そんなことないだろう!って笑笑。

 支那共産党憲法と支那共産党軍ならあります。国家の上に共産党があるのです。ファシズムです。

 かつての日本のことを軍国主義だファシズムだとのたまう人がいますが、ファシズムの一番の敵は軍です。軍の一番の敵はファシズムです。両者は相ならびません。ファシズムであり軍国主義と言っている人は一体何を言っているのかさっぱりわかりません。

 そういうかつての日本をファシズムかつ軍国主義という人に限って、支那を礼賛しています。?が私の頭の中を10万個ぐらい駆け巡ります。

  また、その支那共産党憲法の漢字は、75%が日本が創ったモノだそうです。つまり、支那は今や日本文化の国だと、宮脇淳子先生がおっしゃっています。この方は素晴らしい研究をなされていますね。だけど、本当のことを書くので、いまだに大学や歴史学会で評価はされていません。いまだに講師です。

  日本に漢字が伝わってきた538年を「ごみや」で覚えませんでした笑笑。韓国は自国の言葉を捨て漢字文化にしてしまいました。支那でも漢字は、あの広い大陸で困らないような暗号のようなモノだったのに。日本は万葉仮名を創造するまで約500年近く漢字を使いませんでした。今や、支那共産党の方が、「早く日本人に字を創って欲しい」と思っているそうです。

 古代の支那の歴史の本、四書五経などを読みと特に五経は素晴らしく「字源」というものがあります。その後の四書以降の支那人がそれを曲げて使ってしまいました。

 たとえば「民」。この字は、彼ら支那人の考えてでは「良」と言う時の一番てっぺんの「点」のようなのをとった字でした。その字の「目に当たる部分」を一つとって「民」となりました。日本人はおおらかであまりそう言うことを気にしませんので、「民主主義」という言葉を創ったら、支那人は「衆愚政治」だと思っていしまいました。それでも、自分たちに字を創る能力がないので、使うことにしました。

 話を戻します。民という字は、先ほどの「良」のてっぺんを取ってさらに目の部分を一本とっています。つまり、「民は目くらだ(差別用語ですみません。文句があるなら支那に行ってください)」という意味です。つまり、民とは「何も見えない愚かな集団」として扱うのが支那なんです。


支那の遊女などは逃げ出さないように目を針で潰されていたそうです。日本の吉原が年季が開けた時のために和歌や書道などを教えていたのに比べたら天地の違いです。

 つまり、今の支那共産党に限らず、支那を支配した多くの辺境の人間たちも、法治国家など作らないのです。なぜなら、法治国家を作ったら自分がその法律で殺されてしまうからです。なので、いまだに人知国家です。恐ろしいですね。だから民を愚かな集団にしておいた方が「支配者は楽」なのです。日本の政治家に媚中の人間がたくさんいますが、なんでこんな国家を慕うのかがわかりません。

 菅原道真が、支那大陸は人殺しばかりやっているので、もう学ぶことはないと遣唐使をやめました。日本には見事に平和な平安文化が花咲きました。

 では、「臣」は? 
  太古の昔から(実質的に)立憲君主国だった我が国 日本は天皇陛下にとって、臣「おほみたから(おおみたから)」と言って、陛下にとって、何よりも大切な宝物でした。明治天皇陛下は、「この憲法で臣を幸せにできなければ自分は命と断つ」とまで、告文で言い切っています。天皇陛下にとって、私たちは民(こんなことばはなかった)ではなく、臣だったのです。一緒に国づくりをする。

 なので、欧米や支那なロシアで国家の概念ができたのはせいぜい300年から400年前なのに、我が国は数千年です。

※告文:皇室典範及び第日本帝国憲法発布にあたり、明治帝が神に報告したときに述べられた文章。これは素晴らしい文章です。もともと歴代天皇陛下が、やってきたことをまとめたのが皇室典範と第日本帝国憲法だとおっしゃっています。

 なぜ、歴代天皇陛下は、私たち臣をそのようい考えていた証拠があります。世界のどの国も古今東西どこもやったことがないことを歴代陛下はやってきました。途中、貴族や武家が「支配」をしましたが、今でも、陛下の御心の基本はこれです。

公地公民

 他国では国家概念ではなく、貴族の所領の集まりがなんとなく国のような体裁をしていただけです。アメリカなんかは、南北戦争の前にはまるで国家などありませんでした。

 そして、欧米・支那・ロシアでは、土地や財産もしくは領民でさえ、支配者の私地私民だったのです。

  敗戦後、私たちは欧米のような考え方になってしまいました。でも、陛下が自らの生き方でそれを引き戻してくださいます。あの時、アメリカが天皇陛下を抹殺していたら、今の日本はないでそしょう。ありがたいことです。感謝合掌。日本人に生まれてよかった。

数千年 良きこと かはらぬ国がある 豊葦原の 瑞穂の國が

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このページは、宝徳 健が2025年3月23日 14:46に書いたブログ記事です。

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