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亡父が生前、祖父の生誕百年祭の時に関東と関西に分けて寳德家をみんなを集めて記念祭をやりました。その時亡父は、「寳德義一生誕記念祭」という冊子を作りました。義一とは祖父の名前です。父は、二十歳で終戦を迎えた嫡男で一家の面倒を観なければならなりません。祖父が帰ってこないことをどれだけ寂しく思ったでしょう。定期的に引き揚げ船の来る舞鶴に行っていたみたいです。
この本が平成十五年です。今は、祖父は生誕百年ではなく百歳二十二歳です。ですからタイトルを「寳德義一生誕百二十二年祭」としています。
父は令和三年(2021年)三月十日(水)の陸軍記念日に亡くなっています。帝国海軍のくせに笑。享年は九十四歳ですが、実際の歳は、九十三歳でした。もう四年も経つのですね。存命なら父も今年で九十七歳です。なので父の生誕百年祭は令和十年(2028年)三月十日です。七回忌が令和九年(2027年)ですから父の生誕百年祭は一年前倒しでやります。
亡母(享年六十二歳)が亡くなったのは阪神淡路大震災の年、平成七年(1995年)ですから百年祭は1995年+38年で令和十五年(2033年)です。令和十三年(2031年)の三十三回忌の二年後ですね。みんな歳をとっているので、母の令和十三年の三十七回忌と一緒に百年祭をやります。それで親族との法要は締めます(父と母の命日は私は自分が死ぬまでやりますが)。父の五十回忌は令和五十二年なので、私はもう生きていません。どうするかどうかは息子に任せます。母の五十回忌は令和二十六年です。
母の五十回忌と一緒に父の七回忌の令和九年に一緒にやります。私が74歳。まだバリバリの現役ですね。
それ以降も私が生きている限りの法要は行います。
母方の祖父と祖母もやりたいのですが、秋武の家がやると思いますので呼ばれたら行く様にします。
昨年の故叔父の法要で、お坊さんが「人間は二回亡くなる」とおっしゃっていました。亡くなった時と忘れられたときだそうです。これからの世の中でそれ息子に押し付けることはできませんので、私が姿を示して(やってくれたら嬉しいですが)、私がやれるところまでやります。
さて、さっきの冊子からです。メディアも書かない本にもこんな記述はありません。まさに歴史のいき証人ですね。
それからしばらくして、というか最近になって、やっと諦めた父は政府に申請しました。政府から送ってきたのは勲八等の勲章と証明書だけでした。
その後父から頼まれたのは「靖國神社に英霊として祀ってしてくれ」ということでした(私は靖國神社の終身正会員なので)。なので祖父は今、英霊として靖國神社に祀られて眠っています。祖父も父も本当に無念だったと心中を察します。
この勲章は私の息子(父の孫)が小さい時にこれを大切に持っていてくれと頼みましたが、彼はまだ小さかったので私が預かっています。
父は、「嫡男の俺が戦争で亡くなったら誰もいなくなると思っていたら健(私)が生まれ、そして〇〇(孫)が生まれてくれて寳德家が繋がった。こんな嬉しいことはない」と晩年私に言っていましたし、息子には定期的におじいちゃんが生きていた時代のことを孫に手紙を書いていました。息子はまだその手紙を持っていると思います。
さあ、次回は手紙の続きを書きます。祖父の若い頃の話なんかもたくさん出てきます。ご覧くださいね。
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