母から叔母への命の手紙:16通目(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)三月八日土曜日)7

| コメント(0) | トラックバック(0)
  れを書き終えると累計ブログ記事1万件まであと75通です。

  明日の朝は、仕事に集中しますので、今日書きダメをします。こういうやり方は宇佐美の親父さんは、一番嫌います。いつも言われていました。「宝徳なあ、おまえは調子がいい時は仕事とかをたくさんやって、調子が悪い時は少ししかやらないだろう。それはダメが、良い時も悪い時も、辛い時でも、たくさんやりたい時も、いつも同じ様にやるんだ」

 あれだけの会社を創った、経営者が いつも同じ生活習慣と仕事習慣なんです。これはできそうでいてなかなかできません。親父さんは出張がない時は(出張がある時でも一緒ですが)、(当時の)宇佐美本社の前にある喫茶店で朝7時からモーニングを召し上がります。そこで数々の新聞を読みます。その時に、私も行きます。「おはようございます」という言葉だけで、あとは二人ともなにも喋りません。8時になると向かいの本社に行きます。すると本社は朝礼。そこをすり抜けて、社長室に入ります。親父さんはスタンドの図面を描き始めます。私は社長室の椅子に座ります。約1時間、なんにも喋りません。

 親父さんが図面を描き終わると、親父さんに用事がある社員さんたちがやってきます。それが終わってやっと私と話してくれます。いつも他愛もない話です。親父さんは大切な話は一番最後にぼそっとします。これを聞き逃したら大変なことになります。これが親父さんのルーティンかな。

 おっと、また前置きが・・・。

 今日の母から洋子姉ちゃんへの手紙は、妹(幸:みゆき)が高校を卒業して日本銀行に就職した時の話です。不思議なんですが、母の字がとっても達筆に戻っています。この時は手が痛くなかったのかなあ。いや、そんなことはありません。まあいいや。
「三月十日 幸の(高校の)卆業式でした。いつまでも小さいと思ってきましたのに、いつの間にか社会人になるのですものね。先日は、たくさんのお祝いとおこづかいをいただいてありがそうございました。沢山出費させてすみませんでした。卆業式にはパパ(姉と妹はパパママだった)が出席しました。幸はもうが高校へ行かないのねといつまでもアルバムを見ながら学校生活を惜しんでいました。日銀では山ほど勉強しなければならない本をもらってきて本人よりもパパと健がためになる本だと読んでいます。寒いと思っていたら暖かいのですね。草がのびて今日は抜かなければ、今日は・・・。と思っているうちどんどん大きくなってきます。いやですね。よい事もあるのですよ。春菊がどんどん大きくなるので、みそ汁やお弁当の青味に間に合っています。そのうち花が咲いて仏様のお花にも役だてることが出来ますもの。洋子ちゃんの庭も賑やかになってきているのでしょうね。お元気でいてくださいね。では又」

 この手紙は昭和五十六年(1981年)三月十二日です。妹は千葉県柏市の市立柏高校出身です。ブラスバンド部です。すごいところに就職したのでびっくりしました。というか受けたのでです。私は就職面接の時は日銀までついて行きました。かわいくて仕方がない妹ですが、彼女は私が嫌いです笑。




 母の中学校卒業式の寄せ書きからです。お袋、ごめん。この前の林田伸子さんの寄せ書きがもう2枚ありました。



みなさん可愛いですね笑。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/9802

コメントする

カテゴリ

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2025年3月 8日 16:37に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「寳德義一生誕百二十二年祭(皇紀弐千六百八十五年 令和七年三月八日土曜日)6」です。

次のブログ記事は「金美齢さん(皇紀二千六百八十五年 令和七年(2025年)三月九日日曜日)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。