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前回は、特製石油製品輸入暫定措置j法(特石法)の話でした。我が国は敗戦国だったので、「生産」「輸入」という石一番もうかる油製品のアップストリームから外されました(byメジャー:セブンシスターズ)。メジャーが掘った原油を輸入し、そして、それを製油所で精製して販売する「消費地精製主義」でメジャーの手先の様にダウンストリームに真面目に取り組んできました。
そして、二度のオイルショック(石油危機)を味わいます。元売がその変化に翻弄されると特約店・販売店が疲弊します。ダウンストリームの現場にいた私は、その石油業界の動きが理解できませんでした。
出光佐三店主はそれでも「石油業に復帰したい」と敗戦後に仰っていました。「なぜだろう」といつも思っていました。
誤解しないでくださいね。(当時の)出光興産の仕事の仕方は最高に面白かった。新入社員で販売店の担当になった私に対して、当然、販売店は疑問に思います(出光では担当者に絶大な権限が与えられていた。販売店の生殺与奪の権限とも言えそうな)。販売店の社長は出張所長のMさんに電話を入れます。「なぜうちの店の担当者が新入社員なのだ!!!」と。所長は「大丈夫だ」とだけ電話で答えるではありません。
どの部署もそうですが、出光では担当者の頭越しに上司が販売店と交渉したり意思決定したりすることは絶対にありません(今は知らんけど)。そんなことをしたら担当者は次に起きたその販売店の仕事は一切しません。新入社員の私に対しても相談があるまで絶対に口を出しませんでした。相談も「どうすればいいですか?」という質問は受け付けてくれません。「こうします(せいぜいこうしたいんのですが)」と言わないとそれこそぶっ叩かれます(冗談ではないですよ笑)。
まず何からやったらいいんだろうと思っていました。十年社員のSTさんの仕事を見ました。同じく十年社員のSGさんの仕事を見ました。
STさん(この方は私のオーベン(指導員)のような人でした)。には「お前は、血のしょんべんを出したことがあるか。懐に辞表を入れながら仕事をしているか。それができたらもう一度聞きに来い」と言いました。この方には厳しく指導していただきましたが、私が転勤する時に「お前がいなくなると寂しい」とワンワン泣いて送り出してくれました。当時の出光興産は厳しさと優しさを備えていた職場でした。決して幇間稽古の様な甘さと真剣に人を育成しようと思わない冷たさはありませんでした。なのでパワハラなんて発想を持ったことがなかった。
SGさんは「宝徳、時間で稼げる仕事もあるんだ。自分で時間を創って、キャビネにある書類を読むんだ。自分の担当店だけではなく、先輩がやっている仕事の書類もな。そうする自分の仕事と先輩の仕事の違いがわかるだろう。先輩を凌ぐ仕事を自分がするんだ」とご指導を受けました。
「よ〜しこの「おっさん(失礼)たち」が十年社員でここまできたのなら俺は三年でなってやる」と、お二人から受けた(良い)喧嘩(指導)を買いました。
ただ、アップストリームとそれに続く通商産業省の規制にはなんとも言えない怒りを感じていました。
前回も書きましたが、不合理不都合鬱陶しさ不条理は受けている時はとても嫌なのですが、それを乗り越えた時のうれしさに比べたら大したことがありません。結局は、不平不満の原因は自分の力のなさです。その後の出光人生、独立人生すべてそうでした。だから「落ち込んでいる」人を見たら「お前暇な人間だなあ」、不平不満をいう人間を見たら「原因は何だ誰だ」と聞いていました。
宇佐美の親父さんにお会いした時には別の観点から見方を教わりました。「宝徳、ガソリンスタンド(石油製品販売業)はいいなあ。商品が腐らない、商品に流行がない、お客様が来てくれる、複雑さがない。こんな簡単な商売はないぞ」と。
私は数々の素晴らしい方といろいろなシーンでいつも出会います。その幸せをまだ十分にやりきっていません。
閑話休題。特石法に戻ります。
(昭和六十年(1985年)十二月二十日公布、昭和六十一年(1986年)一月施工)「特定石油製品輸入暫定措置法(特石法)」が制定されました(この法律自体は平成八年(1996年)三月末に廃止され輸入の自由化につながります)。十一年間です。詳しくは石油連盟や元売りのホームページをお読みください。私は現場で起きたことを中心に書きます。
その後、本格的な輸入自由化が平成八年(1996年)四月から始まりました。一定の条件を満たすのであれば石油製品を自由に輸入できるのです。そして、石油業法とか揮発油販売業法とか元売と石油製品販売業者(特約店・販売店)を縛っていたものがどんどん廃止されていきました。
単純に言えばガソリンが大幅に下がって、中間留分(灯油・軽油・重油)の価格が大幅に上がるのです。
守秘義務の観点から許される範囲でご説明します。
例を挙げます。当時、私が担当していたM社があります。カツオ船に大量に重油を売っていました。元売りからの重油の卸価格は10円/ℓ〜20円/ℓ(原油価格による)上昇します。販売店はそれ以上あげなくてはなりません。そんな価格交渉をカツオ船(日カツ連:全国組織)が、受けるはずがありません。
M社のカツオ船担当者は判断不能に陥りました。
少し話はそれますが、M社の取締役に私が尊敬するTさんがいました(後のM社の社長・会長)。Tさんは農業(創業家が地方で農業をやっている)出身です。それが後継修行のためにM社に移ってきました。M社の古参幹部たちは最初Tさんを馬鹿にしていたようです。Tさんを下の名前でYさんと呼んでいたくらいです。
石油製品自由化の中で誰もその動きにどう対応していくかの判断がつかない時期です(元売りも販売店も)。M社の中で全責任を負い見事な意思決定をしたのはTさんだけでした。それから古参幹部社員は「取締役」「社長」と尊敬の念をもって呼ぶ様になりました。これを
オーナーシップ
といいます。素晴らしいですね。経営の最高判断です。コンセプチュアルスキルのもう一つ上位にある経営者の絶対条件です。
これは社員や幹部にはできません。「みんなと相談してから」「みんなの意見を聞いてから」というのはよくありますが、こんなことを相談しても社員や幹部は答えの出しようがありません。経営者の先見事項であり経営者の最大の責任「決断」です。
さあ、では元売はその時どうしていたか。元売の経営陣も地獄の釜の蓋を開けました。つづく。
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