日の丸の赤いところに字を書くな(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)三月二十一日金曜日)

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  メキシコオリンピックが昭和四十三年(1968年)にありました。私は十歳です。日本選手の活躍にワクワクしてTVで観ていました。特にサッカー!  なんと銅メダルを獲得したのです。ウイングが杉山選手(三菱重工)がサイドを瞬足で駆け上がり、センタリングをあげます。それを釜本選手(ヤンマー)が豪快にシュート!!!とても興奮しながら観たのを覚えています。

  昔は、今のようにスポーツのテレビ番組の放映が盛んではありませんでしたので、オリンピックで活躍した種目を子供達は真似てやっていました。次の昭和四十七年(1972年)のミュンヘンオリンピックなんか、松平監督が率いるチームが金メダルを獲りました。日本中狂喜乱舞です。「おおこ選手(すみません。漢字を忘れました)」「猫田選手」「横田選手」などスター選手の勢揃い。一人時間差、天井サーブなどなど日本が開発した世界初めての技もいっぱい。子供達は昼休みにバレーボールをするようになりました笑。

 スポーツは子供達に夢を与えます。今でも、サッカーは大好きです。特に今の日本のデフェンダーが守備ラインを前に前に上げて戦う姿はすごい!あれ、きっと怖いですよね。勇気がいる行為だと思います。たかだか高校時代のクラスマッチの経験ですが、うちのクラスにサッカー部のキャプテンA君がいました。もちろんサッカー部はその種目のクラスマッチに出ることはできません。サイドで我々クラスのチームのコーチングをやっていました。A君は、守らせずに私一人をバックスにおいて後は全員上がらせるのです。「大丈夫だ!相手があげてきても宝徳が阻止する。宝徳に足で勝てるやつはおらんやろ。宝徳がボールを獲ったら前に出ろ!あいつにキック力にかなう奴はおらんやろ」と、本当はシュートをしたい(笑)私をバックスに置き去りにしたんです。私は、その時、サッカーの素人でしたから初めは意味がわかりませんでした。でも、「ああ、勇気を持ってデフェンスラインを上げることは一つの大きな戦略なんだ」と思いました。こちらはクラスマッチレベルの話なので、比べようになりませんが、なので、今の、日本代表の世界レベルでの戦いでのあの戦法はものすごく怖いのにやりきっています。すごいなあ。
 
 選手はこんなに凄いんだから、サポーターは間違えた行動をするな。 最近、だいぶん少なくなってきましたが、まだ、サッカーはたくさんあります。

日の丸の赤いところに字を書くな!!!

 やっぱり強い日本代表! 昨日も圧倒的な試合だったみたいです。おめでとうございます。「だった」と書いたのは、最初、TVで応援しようとしたのですが、あの、馬鹿サポーターたちの日の丸の赤いところに字を書いて日の丸を振る姿を見て、悲しくて悲しくてチャネルを変えてしまいました。情けない。
 
 自分たちはそういう教育を受けていないという人もいますが。私だって受けていないけどそんなことは日本人として当たり前ですよね。海外なら国旗侮辱罪です。

日の丸の 赤いところに 字を書くは 日本の恥を 世界に示す 

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このページは、宝徳 健が2025年3月21日 01:01に書いたブログ記事です。

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