これを書き終えると平成二十一年(2005年)九月二十日に始めたブログがもうすぐ累計記事1万通になります。あと37通です。
すみなれし 都路(みやこじ)出て(いでて) 今日幾日(いくひ) いそぐもつらき 東路の旅
私は、日曜日の讀賣新聞朝刊が大好きです。特に本紙とは別についてくる「よみほっと」が。日本全国各地の歴史を毎回紹介してくれています。
今、讀賣新聞は、「政治」「経済」を除けば一番素晴らしい新聞ですね。政治部と経済部は勉強不足です(他紙はもっと酷いが)。社会部は、他紙と違い猛獣ではないので好きです。一番いいのは文化部。讀賣新聞は最近「よみうり抄」を上梓しました。読みたくて仕方がないのですが、どうやったら手に入るのだろう?でも、読んでなくても発表当時の日の讀賣新聞に掲載されていた記事を読めばその素晴らしががわかります(二月二十日のこのブログの記事)。
これが讀賣新聞の理念なのですね。素晴らしい。
昨日(三月二十三日)の「よみほっと」も素晴らしい記事でした。
冒頭の和歌は、皇女和宮さまの詩です。(静寛院宮(せいかんのみや)御詠集)より)。そして昨日は岐阜県の中津川宿。もうすごそこは長野県です。馬籠宿などがあります。
かつてこの地でもコンサルティングをしていました。栗きんとんがとても美味しく。秋になると中津川じゅうの栗きんとん屋さんが集まるお祭り見たいのがあります。それと、小さいけど、美味しい青果屋さんもあります(確か塚田商店)。他では買えない果物がたくさん。かつてここで「かりん」を買って「かりん酒」を作りました。美味かったなあ。
おいしいパン屋も(あれっ、検索したら出てこない。なくなったのかなあ)。ここは飛騨高山で世界一を何度もとっているトラン・ブルーというパン屋さんのお弟子さんだったのに。
それと、なんと言っても「くるまや」のそば。絶品です。蕎麦もうまいが、その後のそば湯がこれまた絶品。おっとコンサルに行ってたのに食い物の話ばかりですね。
さて皇女和宮様。
時は江戸末期。公武合体で和宮様(以下、姫様)は、第十四代将軍、徳川家茂(いえもち)に嫁ぐために住み慣れた今日を出て中山道(警護のため)江戸に向かいます。その時の和歌です。まだ十五歳です。皇室は「公」です。必要な時はいつも「私を捨て」ます。
当時の江戸下向の列は約二万人。七十七キロの大行列だったそうです。
姫様は家茂に嫁いだ後、家茂に従って大阪に赴きます。でも、家持ちは急逝します。遺体を船に乗せて江戸に戻りました。弘化三年(1846年)に仁孝天皇陛下の第八皇女・親子(ちかこ)内親王としてお生まれになられました。孝明天皇陛下の妹でもあらせられます。
新幕府軍の江戸城攻撃回避や徳川家存続にご尽力されました。明治十年(1877)に三十一歳の若さで急逝されました。合掌。
そうだ、中津川といえば島崎藤村の「夜明け前」ですね。アメリカ海軍のペリー来航の嘉永(かげい)六年(1853年)から慶應二年(1866年)までの幕末・明治維新の激動を、中山道の宿場町だった信州木曽谷(中津川市馬籠)を舞台に主人公 青木半蔵が尊王攘夷の支柱だった平田國學に傾注しました。その半蔵の人間人間像を書いた小説です。
島崎藤村は、少し、ひねたところがありますが、この小説は読み応えがあります。
それぞれの 人の苦難は 数あるが 国体選ぶ 道と殉じる
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