2025年4月アーカイブ

 れを書き終えると平成二十一年(2005年)九月二十日に始めたブログがもうすぐ累計記事1万件になります。あと12通です。

  石破は、力もないのに、ろくでもないことをしようとします。80年談話を出そうとしてやめてくれたのはよかったのですが、先の大東亜戦争の検証をしようとしています。頼むからやめてくれ。石破のことですから共産主義左翼リベラルの学者をたくさん集めてきて、やっぱりあれは侵略戦争だったと言うに決まっています。石破が防衛大臣の時の言葉です。

・日韓合意に関して韓国側が納得するまで謝罪しろ!
・「第二次世界大戦(まあ、こう呼ぶこと自体がもう間違えている)の時、日本の指導者達は何も知らない国民を戦線に駆り出し、間違った戦争をした。だから靖国神社に参拝しない。
・あの戦争は間違いだ。多くの国民は被害者だ。
・日本には南京大虐殺を否定する人たちがいる。30万人も殺されていないから南京大虐殺そのものが存在しないという。何人死んだとか大虐殺があったかは別問題。
・日本には慰安婦についていろいろな見解があるが、日本軍が関与していた事は間違いない。
・日本人が大東亜共栄圏の建設を主張したことは侵略戦争に対する一種の詭弁だ。日本は中国に謝罪するべきだ。

  こんな共産主義左翼リベラルの奴が連れてくる学者に検証させたら、河野談話よりひどくなります。

  頼むからやめてくれ、検証も総理も。十分わかったろう、あんたは総理の器じゃない。地位にしがみついているだけだ
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  三大神勅はご存知ですか? 敗戦前なら小学生でも知っていたことです。瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が、天孫降臨の折に天照大神から下された言葉です。

天壌無窮の神勅(てんじょうむきゅうのしんちょく:我が子孫が日本の統治者(支配者ではない)であり、清く正しい統治をする限りそれは永遠に続く)

斎庭の稲穂の神勅(ゆにわのいなほのしんちょく:天照大御神は瓊瓊杵尊に稲の種を与え、これで民を養いなさいと命令した。日本は稲作国家である)

宝鏡奉斎の神勅(ほうきょうほうさいのしんちょく:天照大御神は瓊瓊杵尊に鏡を与え、これを私と思っていつも自分を映し出して自己を反省せよと命令した)

  これが日本の国体(豊葦原の瑞穂の國)の基本です。

   今の米価格の高騰は、減反政策を続けてきたのが原因です。備蓄米の放出なんかやってもなんの効果もないでしょう、政治家も官僚(とくに農林水産省)も、この三大神勅なんて全く知りません。
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  きいちゃりやい(聞いてください)、俺今くさ、昼に一万歩歩いとったい。そげんしたらくさ、ごっつい(とても)身体の調子がいいってた。みんなもうやりいな。それと今は、禁酒ばしとうと。酒ば飲むよりくさ、仕事の方が一万倍楽しかろうが。


 昔、宇佐美の親父さんから、「人に言うことを聞かせたかったら一万回同じことを言え」と言われたばってん、一万という数字にはきっと天が宿っとるとやね。

 それがくさ、昨日、午前中忙しくてくさ、その後の一万歩ば歩いたらくさ、疲れたったい。少しふらふらしたったい。そげんしたらくさ、かみさんが「酒でも飲んだんだろう」って疑うとたい。かみさんに言い訳したらくさ、火に油を注ぐようなもんやけん、「そげんこつなか」とだけ言うたったい。実際今、仕事がありがたいことにいっぱい入りようったい。だけん、忙しさでふらふらに。酒ばごと飲む暇はないとって。

 そげんしたらくさ、俺の机の引き出しやらなんやら徹底的に、かみさんが探索しようが。「お前、なんばしよっとか」(亭主び独言)、ってくさ言ったばってんそれを信じとらんって。どげん信頼がない男や俺は。

 は〜、毎日これったい。たまらんめいが。うらんしか〜。

  そうったい、息子との鈍行旅行の話ったい。
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 参議院で予算が通過しました。我が国は与野党ともに情けない。内向き政策ばかりそれも大衆迎合主義(ポピュリズ)予算です。

 今、世界は大きく変わろうとしてます。良きにつけ悪しきにつけ。なのに日本は曲学阿世の徒(大衆迎合主義)です。

  今、大切なのは教育無償化(これは完全に憲法「典」違反ですが誰も声を上げない)や、医療費のへ値上げや、なんたらかんたら。情けない。かつてのイギリスでは戦争に勝てる人が首相になりました。今の日本だとドラえもん型武装中立が実現できる人が首相になるべきです。そして、世界に平和を唱える人が。

 なのに、大衆迎合ばかりではなく、世界の動向に迎合している政治です。

 国家経営の意思などまったくない。利権だけで動いています。与野党とも。私の愛する日本はどこに行くのでしょうか?

 国民も悪い。でしょう、私たちが主権者です。自分に都合のよい政策をしてくれる人間に投票するのではなく、国家をどうするかです。

  敗戦時、日本から軍隊がなくなりました。その時、引揚者などはどんなに惨めな思いをしたか。天皇陛下がおわさなかったらとっくに潰れていました。国民よもっと自覚を持ちませんか?そろろ目を覚ましませんか? でなければ、民主主義なんてあり得ない。国民主権などありえない。陛下に大政奉還しますか?

 立憲民主党も情けない。不信任を出すよりこのまま行った方が参院選が有意じゃないかと言っています。国民のためだからではなく、自分たちの党利党略で政治を政局に変えています。だから、立憲民主党は支持が増えないんだよ!!!

   それぞれが わがまま言うと 膨らむは わがまま予算の 国の破滅か

国を支えて 国を頼らず(福澤諭吉先生)

国とは政府ではありません。
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 昨日タイトルで書いたくさ「晦日」というとは  、「月の終わりの日」ったい。だけん年の終わりばくさ、「大晦日」げな。今日のタイトルに書いた「朔日」は月の初めの日ったい。ようと覚えときやい。

 一昨日くさ、俺が家で少し水ばこぼしたっとって。そげんしたらくさ、かみさんが、えらい怒ろうが。普通に怒るぐらいやったら俺も我慢できるばってん、これはたまらめいや。結婚前の可愛らしさやら微塵もなかったい。

  「もうこいつとは口きかん」と思っとたらくさ、昨日の昼に俺が帰ってきたらくさ(俺はだいたい昼飯を食ってから一万歩を歩くったい)、「ねえねえ、マイナンバーの更新するけん(彼女は博多弁は使わんけど記事の性質上)、スマホで上手に写真ば撮っちゃらん」というとたい。

 「昨日のあれは何やったんや。ようこげなことを笑顔で頼めるばい」と俺は思ったと。まあ、しょんなか(仕方がない)と思って撮って見せたらくさ、「これじゃだめ」げな、何遍もダメだしようが。もうTAKE10ぐらい撮りなおしたったい。俺は心の中でくさ「マイナンバーやら他の人に見せることがかなカードになしてそげんこだわるとや。どんな写真でも一緒やろうが」と思ったったい(亭主の独り言)。やおいかんめいが(どうしようもない)。「お前はSNOW WHITEの怖いお母さんか!金正日か!スターリンか!ゲッペルスか!」げな思ってしまうったい。

  怒ってもいいばってんくさ、仕事の邪魔ばせんで欲しいったい。懸命に仕事をしとっても、「ねえねえ、ちょっといい」と部屋に入ってくると。作業の時やったら聞いてやるばってん、仕事の時にくさ「今、考えとったこと」とかくさ「今までやってきたこと」が全部、頭の中から飛んでいこうが。それを言ったらくさ「じゃあ、主婦は仕事していないっていうの?」と言うとたい。そげんこつ入ってなかろうが「俺が仕事中やということやろうが」と思って時間の空いた時に「さっきのあれは何やったと?」 って聞いたらくさ。「何だっけ」とか言うとたい。女は強かばい。

  そうやったばい。今日は、昨日の旅行の続きやったね。
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 あれ? ブログ書けますね。では、今契約しているプロバイダーは何だったんだろう? まあ、書けるならいいいや。うれしか〜。

今ここに ブログを書ける 喜びを 心に遺し またブログ書く

  私の和歌は下手くそなことわかっています。昔、和歌の先生で故 河野裕子先生という方がいらっしゃいました。あの才能を天はなぜ、先生を若くして召されたのか。先生に一度、お会いしたことがあります。その時に「先生、私の和歌は下手ですよね」と言ったら、最高の笑顔で「それでいいの、最初から上手い人なんかいなんだから。日本人でしょ? それだけで和歌の素養は備わっているから。どんどん詠んでください。そうしたら必ず上手くなるから」とおっしゃられました。それからこのブログで和歌を書いていますが相変わらずのレベルですね笑笑。まあ、お付き合いください。
 
 この「寳德義一生誕百二十二年祭」の前の記事は三月十四日のホワイトデー(関係ないけど笑)に書きました。最初は、寳德家の歴史の振り返りを留める目的で書いたのですが、もっと広い意味がありました。これ、日本敗戦史を親父が書いています。これは面白い。

みんな歴史の中で生きているのこと

が、しみじみわかります。

  よく、「私は歴史が苦手です」という人がいます。前の大阪事務所の近くのお寺に「大塩平八郎とその子供の墓」が、ありました。当時の社員に「すごいな。こんな近くに歴史が眠っている」と言ったら、一言。「私は歴史が苦手です」という答えが返ってきました笑。それは学校の教科の歴史です。この人は、自分が歴史の一員だということに気づいていません

 以前に、ある企業の再生の仕事に就いたことがあります。古い企業だったので「歴史DD(デューデリジェンス:企業の人間ドック)をしませんか? と言ったらあまり興味を示しませんでした。日本には、1,000年以上の歴史を紡ぐ企業が七社あります。世界最古の会社があります。欧州の国々が国家観を持ったが、せいぜい三百年、少し、古くても五百年です。日本はこんな財産を持っています。

 今、「遺って」いる老舗企業と「残って」いない企業の違いはわかりますか? それは歴史(その会社だけではなく日本の歴史も)と常に緊張感を持って真剣に向き合っているかいないかです。

  ある、老舗企業の社長が教えてくれた言葉があります。「老舗にこだわるな。だけど、老舗を忘れるな」と。まさにそうですね。

 さて、私の祖父は、どんな歴史を歩んでいたのでしょうか。父が一族宛に書いた資料なので、父母ではなく、お父さんお母さんとなっています。親父の文章に若干私が加筆しています。

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