母から叔母への命の手紙19通目(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)四月四日金曜日)3

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   れを書き終えると平成二十一年(2005年)九月二十日に始めたブログがもうすぐ累計記事1万件になります。あと5通です。いよいよテンカウント。カウントダウンです。楽しみです。

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   妹(幸 みゆき)が、日銀に入社した昭和56年(1981年)四月二日のハガキです。消印がだいぶん読めるようなりました。母は妹にブロゾンスーツを買ってあげたみたいです。でも、母は自分の着る物は買っていません。亡くなった時に遺品整理をしても、何もありませんでした。私は、母が使っていた湯呑みを一つもらいました。いつもそういう人でした。
「四月一日 幸の入社日です。(うすみどり系)ブルゾンスーツを着て短く切った髪がよく似合ったかわいらしいフレッシュマンらしく出かけました。今日から一週間は目黒で研修です。それが終わると各職場で一ヶ月位働いて又一ヶ月位研修があります。今朝はお父さんが日銀まで送って行きました。この頃は雨ばかりですね。わずかな庭の草がとってははえてうんざりしています。これからは又草になやまされるのでしょう。今後はトマトをうえます。いつか福間でたくさん出来て助かったので・・・。四月中ごろ一美(姉)が一城(甥)ちゃんを連れて帰ってくるのでたのしみにしています。うひのお父さんは中国語が上手です。毎日勉強しているので。では又」


 母の卒業にあたっての寄せ書きからです。お袋、幸子さん。名簿に載ってなかったから苗字がわかりませんでした。

  昔の日本女性は、字は上手い。詩を創れる。和歌が詠める。絵が描ける。なんて素敵な人たちなんでしょう。我國の敗戦前の教育が正しかったことが証明されています。

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このページは、宝徳 健が2025年4月 4日 03:59に書いたブログ記事です。

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