これを書き終えると平成二十一年(2005年)九月二十日に始めたブログがもうすぐ累計記事1万件になります。あと1通です。いよいよ10,000通達節です。
このホームページジをお読みになると私の今の仕事がよくわかります。
https://batonz.jp/partner_adviser/keieisenryakushitsu/
前にも書いたばってん、子供の頃は家にお風呂がなくてくさ銭湯やったったい。子供心にくさ、家族全員で三日か四日に一度行く銭湯がとても楽しみやったったい(その他の日は行水(ぎょうずい)ばい)。ばってん、貧しい我が家やったけん、銭湯のお風呂から上がってもくさ、みんなのごと(ように)コーヒー牛乳とかフルーツ牛乳とかを飲ませくれんったい。大人になってからくさ、たまに、家の近くの銭湯に行ったくとたい。銭湯好きやけん。その時にはくさ、左手を三角にして腰に当てて立って飲むコーヒー牛乳やフルーツ牛乳ば飲むっちゃ。飲んだ後に「ぷはー」と息を吐き出す時の感覚! うまかろうが、気持ちのよかろうが、たまらんめいが、いわせんめいが。
あっ、また少し脱線するばい。小学校三年生の二学期の給食からくさ、不味げな表現では足りない脱脂粉乳が牛乳に変わったったい。みんな狂喜乱舞ばい。喜ぼうが。
こんなやつったい。。鼻をつまんで飲んでもまずいったい。今は、息子に来たらくさ、給食がうまいげな。俺たちの頃はくさ、給食の時間になったら、カールルイスのごと、走って逃げたくなるぐらい苦痛やったと。アメリカのポストハーベスト(余った小麦を敗戦国日本につけた)の吐きそうになる不味いパン。美味しいおかずが出ることやら、ほんとありえんめいが。それに当時はくさ、給食を残したらくさ食べるまでずっと、その給食がその人の机の上に置きっぱなしにされると。これを拷問って言うとばい。その人はいつもなるとると。かわいそか〜。
なんでんかんでんよかけんどくさ、給食の牛乳には三種類あったったい。白牛乳、コーヒー牛乳、フルーツ牛乳でばい。「やった大好物のコーヒー牛乳ば飲めると」げな近々始まる牛乳給食にコーヒー牛乳ば選ぼうとしととったらくさ先生がが「今から、アンケートをとります。三つの牛乳の名前がかいてありますから、全員、白牛乳に◯をつけること」げな言うとたい。俺は頭に来てからくさ「先生、ならなんで三種類の牛乳があるねん(当時は大阪だった)」と聞いたと。「つべこべ言わずに白牛乳に◯をしろ」と先生が言うと。頭にきてくさ、二人の友達と「俺たちはコーヒー牛乳に◯をしようぜ」と言ったと。家に帰ってお袋と親父にそれば言うたらくさ、黙ってそれを笑いながら聞いとるとって。俺の両親の教育方針はくさ「自分で決めて自分で行動して自分で責任を取る」ばい。これがよほど日本人として間違ったことをせんやったら両親は何も言わんとって。
次の日学、学校でアンケートが回収されたったい。なんと・・・・。コーヒー牛乳げな書いとったとは俺一人ったい。あとの二人の顔ばみたらくさ、ごめんという顔をしとるったい。先生がくさ「宝徳一人だけが、コーヒー牛乳やった」とみんなの前で言うとって。「書き直せ」げな言われたばってん「ならなんでアンケートをとったんですか」と言ったったい。そしたらくさ、先生がくさ俺ばくらして(なぐって)廊下に立たせるとって。俺はガンとしてアンケートば書き換えんやったとにくさ、給食の時間に出てくるとは白牛乳やろうが。残したということでくさ、見せしめに俺の机の上にずっと白牛乳が置いてあろうが。逆にそれを利用してくさ、一番まん中の一番前の席のやつと席ばかわっもらってくさ、先生と俺の間にその白牛乳ばおいたったい。どうなったか?覚えとらん。
閑話休題。なしてこげな話ばしたか。その小さい頃行った銭湯の横にたこ焼き屋の屋台があったとて。いつもやなかばってん、良い子にしとったら、お袋ばそこでたこ焼きば買ってくれると。コーヒー牛乳ば飲ませてやれんから心がいたんだっちゃろ。そげん気ば使わんでもよかとに。当時は3個で5円やったとて。5➗3で一個あたりの値段がでわからんちゃん。ずっと不思議やったと。姉俺妹の三人やけん、一人一つずたい。親は我慢するとって。それがくさ、時々、治にいちゃん(父の一番下の弟:叔父)が帰ってきた時とかはくさ、50円分ぐらい買うとって。30個ばい!!!! 「あれを一人で食べられたら幸せばい」といつも思っとたと。「大きくなったら俺は50円分のたこ焼きを一人で食べるったい」と思ったとって。その望みはすぐに叶ったけんよかばってん、今、たこ焼き屋がどんどん潰れとろうが。悲しいっちゃん。
家の近所のたこ焼き屋も美味しかところがどんどんなくなってくさ、もう美味しかところは一軒しか残っとらんめいが。家の近くに「たこみつ」ば言うたこ焼き屋さんがあったと。
安くてうまいったい。優しいおばちゃんがやいとってくさ、いろいろな人が来ると。習志野第一空挺団がないう陸上自衛隊のエースとも知り合ったと。じぇんじぇん(全然)連絡ばとれんくなったけん、もう空挺レンジャーとか特殊戦闘群に昇格しとると思うったい。空挺レンジャーとかくさ、特殊戦闘群は特殊部隊ったい。なったら、家族にも自分の所属さえ言うことがでけんとって。顔も普段は真っ黒に塗っとるけん、他の自衛隊員でも誰がその部隊にいるとかも知らんったい。世界最強の特殊部隊ばい。
そのたこ焼き屋さんはくさ、地域のみんなから愛されとったと。地域の子供とその親やったら知らん人はおらんめいが。それがくさ、一連の値上げで、20年やっとったたこ焼き屋さんば閉めよんしゃったとて。悲しがろうが。最終日にはくさ、もう近所の人でいっぱいったい。「20年ありがとう」ってくさ、花もいっぱいやったと。たこ焼きを焼くとも近所で看護師さんをしとる娘さんがくさ、焼きを手伝いにきとった。この子のお姉ちゃんも看護師ばい。店で何度かあったことがあるっと。
福岡県遠賀郡芦屋町に住んどるときもくさ、ある日、授業をサボって近くのたこ焼き屋さんに言ったと。そこのおばちゃんも優しくてくさ、お金がないけん素焼き(お好み焼きの具がはいっとらんうやつったい)しか頼まん俺たちにくさ、だまって、具ば入れたりしよんしゃったとったと。そげんしよったらくさ、いきなり隣の中学の生徒がたこ焼き屋に襲ってきたとって(この話はフィクションにしとくばい)。先週喧嘩して負けたやつらがリベンジに来たと。大乱闘ったい。もう店の中はぐちゃぐちゃに壊れよろうが。「やめやい」とおばちゃんが叫ぶとばってん後の祭りったい。申し訳なくてくさ、しばらく顔ばださんやったとって。
大学生になってくさ、芦屋に帰ることがあったけん、そのたこ焼き屋に行ったらくさ、廃業しとろうが・・・・・・。なんも言えん悲しさやったとって。
俺のたこ焼きに対する思いはくさ、尋常じゃないとよ。この世で一番好きな食べ物なんよ。
そのたこ焼き屋さんがくさ、全国でどんどん潰れとるとって。もちろん乗り切る努力も必要ばってん、そのレベルではなかろうが。
やっと本題。政府が無策ったい。自分たちがやりたいことばっかりくさ、やろうとして財務省のいいなりになってくさ、日本の文化を消しよるとって。消費税減税を言ったらくさ、石破が財源がなくなるとかほざきよる。その対策は昨日言った通りばい。まず、税ありやきなかとって。民間消費経済ありきばい。富国強兵ばい。強兵富国やなかとばい。
たとえばくさ、消費税をなくせばくさ、たこ焼き屋でん、なくなったことでくさ、得られるお金で商品開発やら一部の値上げやら考えることがたくさんできようが。
ガソリンの暫定税率を廃止するとやなくてくさ、石油諸税はなくすったい。民間消費経済ばこのままいくと消滅するばい。
相互関税でもくさ、石破がアメリカに行くとかくさ、トランプに電話するとかほざきようとって、俺がトランプやったら「今更、なんばいいよっとか」と思うったい。もっと前から検討できたとに、政府の危機管理がなっとらんったい。
まともなのは高市早苗だけったい。彼女は相互関税についてでもくさ、「上等です。ではこちらもやります」というとるとって。よお相互関税の仕組みばしっとる。相互関税は、その国によって関税をかける商品が違うけん、だいたいでやるったい。それをどう計算したかわからんとか危機管理の前に今の政府は言い訳ばっかりたい。だけん、相手が輸出してくる商品で関税ばあまり書けてない商品の関税ばかければいいとです。諸外国もみんなそうや。日本だけばい自立ばせん政府は。こんな上手な喧嘩もでけんやつに総理ばやらしとったら日本は潰れるばい。
最後に二宮尊徳翁の言葉を紹介するったい。よう聞いときやいよ
遠くを図るものは富み 近くを図るものは貧す
政治屋の 考えぬ姿 観るたびに 不満と不安が 湧き上がる国
コメントする