博多弁じじいの独り言9:習慣1(皇紀弐千六百八十五年 令和七年(2025年)四月六日 日曜日)2

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平成二十一年(2005年)九月二十日に開始ブログ累計記事10002通目(後で数えなくていいように)

このホームページジをお読みになると私の今の仕事がよくわかります。
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   昨日、仕事とかの合間にニュースがみよったらくさ、石破の発言が目に飛び込んできたとって。もうこの人のことでくさ、ブログ記事ひとつで単独に書くのは勿体無いけんくさ、他の記事かくときに「ついでに」書くようにしたと。「報復関税やらない」と。「報復」やて。笑ってしまたとって。とにかく石破さん、国をつぶさんようごとだけしてくさ、早くリーダーば替わってくれ。海外ではこれを優しさとは言わんとって。「甘さ」と言って舐められるだけたい。

 宮沢喜一の時の天皇陛下の支那共産党ご訪問げなくさ、最も恥ずかしいったい。支那は朝献の国ばい、行ったら日本は子分と思われようが。彼は東大法学部です。こんなものです。支那共産党が天安門事件で世界から総すかんくっとりときにくさやった愚行ったい。

  福田(名前忘れた)ときの「隣人の嫌がることはせん」と言った発言もくさ、外交でそんな言葉はいらんとって。その親父の福田赳夫の時の「一人の人間の命は地球より重い」ば言ったっともさ「日本は車だけではなくテロも輸出するのか」げな言われたことかくさ。この甘さが北朝鮮の日本人拉致事件のきっかけとなったと。

   みんな外交上「小さな親切大きなお世話」「気が利きすぎて間が抜ける」ったい。とくにトランプは今回の石破のためには電話会談やろうがアメリカ訪問やろうがわざわさそのために時間は作らんめいや。「こいつバカか」とトランプは思っているだけばい。もし時間を作ったとしたら、アメリカが今以上に有利になるよう交渉しようや。

のび太がジャイアンに「もうなぐらないで」げな言っても通じんけんね

  あきれてものが言えんばい。のび太にはドラえもんが必要なんやって。我國はドラえもんにならんとトランプも習近平もプーチンの言うことは聞かんけんね。

  閑話休題。習慣ていう字はくさ、どういう意味でなりたっとうかしっとうや。故 伊與田 覺先生の「『人に長たる者』の人間学」げな本に書いてあったとって。俺が買うたときにはくさ1万円ぐらいする本で「高か〜」と思うたばってん、今は中古市場で安く買えるっちゃないと。目から鱗が落ちる本屋けん、機会があったら読んでんやい。
   俺はこの習慣という時の意味は解っとったばってん、でけるようになったとは六十過ぎたあたりばい。だけんあと数十年ば生きんと俺は世の中で使い物にならんったい。だけん106歳まで生きると。108ある煩悩のうち2つだけ残してくさ笑。どの煩悩ば残そうかね〜。

 って、思ってくさ、108の煩悩を検索してみたとって!!! 「ひえ〜」と思ったったい。人間はこげん108を消さんと悟って如來になれんったいね。詳しくはこれをみやい。2つに絞るのは「今は」やめたばい。これも今後の人生の修行のひとつにするばい。俺がもし、この修行ば忘れとったら怒っていいばい「。

https://bukkyouwakaru.com/dic/108nobonnou

 また、ここで得意の「話の脱線」ばするばい。ようと聞いときやいて。

 如來とほかの観音様とか天とかの違いはわかるや。俗に言う「仏様」って言うとはくさ、「如來」のことったい。悟って解脱した存在ったい。だけん如來は大日如来以外は粗末な服ば着とろうが。大日如来はなして違うとということは、またいつ書くばい。頭にも肉茎というのがあって目が空ろばい、それが解脱した如来の姿ったい。

  観音様はくさ、服ば如來より豪華で、いろんな首飾りとか冠とかしとるし棒とかもっとるケースもあるったい。まだ解脱してないけんくさ、欲が残っとるとって。だけん服装とかが豪華になるったい。如来になるとを目指して修行ばしとると。だけん人をたくさん救おうとしとると。

 天は大雑把に言ってくさ、如來を護る使命をもっとるとって。四天王げながそうやろうが。須弥山ばいうところの天の一番偉いのがフーテンの寅さんで有名な柴又に祀られとる帝釈天ったい。その須弥山の四方を護っとるとが四天王ったい。「持国天」「増長天」「広目天」「多聞天」の4つの天ったい。多聞天はくさ、毘沙門天ともいってくさ、上杉謙信が信仰しとった天ったい。俺が一番好きな天はくさ、奈良の秋篠寺におらっしゃる伎芸天(ぎげいてん:女性)ったい。日本にひとつしかない伎芸天立像があるとって。あまりの美しさに息を飲もうば。須弥山で多くの天たちが彼女を奪い合ったとって。あっ、天の下に阿修羅とかたいると。顔がよっつあるやる。煩悩のかたまりったい。

  美しいと言えばくさ、奈良の中宮寺におらっしゃる弥菩薩像やろうや。この像は、世界のどの美術の中で一番美しいばい。この像の前では一時間でも二時間でもおられるとって。それも観とったらあまりの美しさと無欲さにくさ、涙が出てくるとって。弥勒菩薩とはくさ、釈尊入滅後の五十六億七千後に阿弥陀如來になってくさ、もう一度、俺たちの前に現れて世の中を救ってくれるげな。そのために今、修行しとるげな。

 話しが脱線し過ぎたばい。習慣の話も長こうなるけん明日にするばい。なんしよっとかいな俺は。書いとったらどんどん書きたかものが出てこようが。ばってんたまにもこう言う話もよかろう。息子が小さいときにくさ、家族旅行によう行ったったい。その時行ったとはくさ、神社と寺ばっかりたい。息子は喜ぶばってん、かみさんは文句ばいいよったったい笑。

仏知る 観音さまも 天も知る 我國の天は お天道様
次々と ブログの記事を 書いていたら 書きたいことが 頭に溢れる

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このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2025年4月 6日 03:49に書いたブログ記事です。

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