この記事は、讀者の皆様は、興味がある方だけお讀みください。私の日本語の訓練ですので。
私たちの子供のころ、「当用漢字」といふ言葉がありました。GHQは、日本語を廢止しやうとしました。漢字を簡素化し、字數も制限しました。歴史的假名遣ひもやめにしました。つまり、我が國の素晴らしい歴史と臣民を切り離さうとしたのです。「当用漢字」とは、「日本語を廢止するまで日本人に当面用いらせる漢字」だつたのです。言葉を替へると文化が滅亡することは、カトリック教會主義が世界でやつた所業を振り返るとわかりますね。
まあ、これは、我が國數千年の歴史をたかだか二百年の愚かな國がやらうとしたことなので、びくともしませんでしたが、なんとなんと、國内に、この動きに便乘して、日本語を叩き潰さうとした勢力があつたのです。文部省を中心に。
この動きに、福田恒存先生は猛然と戰ひました。
我が國が今、おかしくなつてゐる眞因をご存知ですか? 言葉が日本語でなくなつてゐるからなんです。言霊の幸(さきは)ふ國 日本。美しい言葉つ使ひ合ふからみんなが幸せになる國でした。それが、こんな動きに翻弄され、正しい日本語會話がなくなつたことから、
何をコミュニケートしてゐるかがお互いわからなくなり
意思疎通が阻害され、爭いが起こります。我が國開闢數千年で我が國が崩壊しやうとしてゐます。
三島由紀夫の「小説とは何か」を學びながら、私自軆の日本語を鍛へて參ります。この本は、三島の遺言です。そして、昭和四十七年初版刊行であるのに、歴史的假名遣ひと繁体字で書かれてゐます。
今は、あまりないのでしょうが、私たちの子供の頃は、神社の境内で遊ぶのはごく自然なことでした。三角ベースやゴムとび、石蹴りなんかもよくやりました。なんか、とても安心して遊べる場所でした。テレビゲームよりもよほどよい。
また、子供の頃、神主さんが「むにゃむにゃ」言っている言葉は、いったいなんなんだろうと不思議でした。大祓詞、だったんですね。
大祓詞の最終回です。次、なに書こうかなぁ。また、古事記でも書こうかなぁ。
今は、あまりないのでしょうが、私たちの子供の頃は、神社の境内で遊ぶのはごく自然なことでした。三角ベースやゴムとび、石蹴りなんかもよくやりました。なんか、とても安心して遊べる場所でした。テレビゲームよりもよほどよい。
また、子供の頃、神主さんが「むにゃむにゃ」言っている言葉は、いったいなんなんだろうと不思議でした。大祓詞、だったんですね。
大祓詞の最終回です。次、なに書こうかなぁ。また、古事記でも書こうかなぁ。
信じられないことですが、この大祓詞の内容を未だに実践していただいている皇室を私たち日本国民は有しています(失礼な表現ですが)。よかったかわるかっ
たかは別の議論として、アフガニスタンやイラクのあの戦後の惨状をご覧ください。彼らには、国家の支柱となるものがないのです。あの惨状をみると宗教に限
界がありことが明白です。神道は宗教ではありません。私たち日本国民そのものです。
大東亜戦争後、日本は復興を成し遂げました。ある有名な米国人が明言しています。「日本の戦後の復興は天皇がいたからだ」と。気づいていないのは、私たち日本人です。
大祓詞は、読めば読むほど味があります。では、続きです。
信じられないことですが、この大祓詞の内容を未だに実践していただいている皇室を私たち日本国民は有しています(失礼な表現ですが)。よかったかわるかっ
たかは別の議論として、アフガニスタンやイラクのあの戦後の惨状をご覧ください。彼らには、国家の支柱となるものがないのです。あの惨状をみると宗教に限
界がありことが明白です。神道は宗教ではありません。私たち日本国民そのものです。
大東亜戦争後、日本は復興を成し遂げました。ある有名な米国人が明言しています。「日本の戦後の復興は天皇がいたからだ」と。気づいていないのは、私たち日本人です。
大祓詞は、読めば読むほど味があります。では、続きです。
ルーティンは11個でした。Dメールをやらなかった。今月からDメールの基準を下げたのに。一昨日の徹夜がきいている。早め早めに仕事を片付けていったら徹夜しなくていいのに。大反省。握手は8回。累計2913回です。
夏祭りの季節。郷里博多では山笠まっさかり。ふんどし男が街を闊歩しているんだろうなぁ。
かつて、森前首相が、「日本は神の国」とう発言をして物議をかもし出しました。私は、森氏はあまり好きではありませんが、この発言は素直に受け取れました。そもそも「神」という捕らえ方が、他の国と日本ではまったく違います。
第四回目です。どうでしょうか? 大祓詞は?
日本の国がどのように治められていったかという精神が刻まれています。無政府主義という混乱はありえません。としたら、そこに住む人間は、何かしらの理念と形態を共有する必要があります。日本では、それが、皇室を中心とした、一体感のある大人の社会なのです。世界に冠たるわが国の文化を今一度、わたし達が勉強しなくてはなりません。
そうではないというのであれば、わたし達が新しい国づくりをする必要があります。でも、今のわたし達日本人にそんな力はないでしょう。国家という概念を勉強していないからです。
伊與田覺氏の『「人に長たる者」の人間学』からです。今回は、前回に引き続き、「人間の天命」の章からです。前回は、論語を知る上での基礎知識を載せました。
釈迦は35歳にて悟りました。キリストは30歳前後です。孔子は50歳にして天命をしったそうです。
日本人は、なぜ、必要以上に、自分の国のことを悪く言うのでしょうか?私は、子供の頃からそれが不思議でなりませんでした。なのにサッカーとかオリンピックでは熱狂する?
自分の国のことを学ぼうとしないのが大きな原因だと考えています。私自身偉そうなことはいえませんが、学ぼうとしている自信はあります。でも、勉強してそれを述べれば述べるほど、おかしいと思われるのが現状です。国の正しいことを知ることが否定される。これが今の日本の最も悲しい事実ですね。
大祓の三回目です。楽しんでください。天孫降臨です。ぜひ、このブログの古事記シリーズと一緒にお読みください。
日本人は、なぜ、必要以上に、自分の国のことを悪く言うのでしょうか?私は、子供の頃からそれが不思議でなりませんでした。なのにサッカーとかオリンピックでは熱狂する?
自分の国のことを学ぼうとしないのが大きな原因だと考えています。私自身偉そうなことはいえませんが、学ぼうとしている自信はあります。でも、勉強してそれを述べれば述べるほど、おかしいと思われるのが現状です。国の正しいことを知ることが否定される。これが今の日本の最も悲しい事実ですね。
大祓の三回目です。楽しんでください。天孫降臨です。ぜひ、このブログの古事記シリーズと一緒にお読みください。
私は、この大祓の最初に出てくる、日本の国の別名「豊葦原の水穂の国(とよあしはらのみずほのくに)」という言葉が大好きです。日本は、なぜ平和国家なのか。この事実を知るだけでも、先の戦争が侵略戦争などではなかったことがはっきりとわかります。つまり、あの戦争が侵略戦争などと言っている国民は、日本の国のことをまったく勉強せず知らない人なのです。だから、総理大臣が正しいことを言っても言論の自由の無い国からの攻撃から守ってあげられない国民なのです。
さあ、基本的なゲームは学んできました。では、いよいよゲームする人への対抗の仕方です。十分注意してください。今回は、ゲームをやめるための基本的な考え方です。次回以降具体策を述べます。
私は、宗像大社にて1週間修行をしたことがあります。毎朝4時に起きて、冷たい水で身を清め、それから、掃除をしたあとに、神棚の前で奉献・拝礼の儀をと
り行います。とても神聖ですがすがしい気分になります。その儀の際に、必ず読まれるのが大祓詞(おほはらへのことば:おおはらえのことば)です。家を建て
るときの神事などに、神主さんがモゴモゴ唱えているあの言葉です(神主さんごめんなさい)。
これは、決して教義経典というものではありません。もともと、神道は宗教ではありません。日本人の生き方そのものなのです。宗教ではない証拠に、教義経典がありません。死んだらみんなが祀られるのです。
ですから、靖国神社に首相が参ることが政教一致になるなどという、マスコミの不勉強さにのせられてはいけません。では、公明党はどうなるのかな???(公明党をどうのといっているのではありません。あくまでも、ロジックとして)。